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夜中に猫を探す会

タイラーダーデンがいなくなった。
もうすぐ10歳になる猫である。

正確に説明すると小田の元彼氏ハルオくんの猫だけど、ハルオくんの新しい同棲相手が猫アレルギーだったこともあってタイラーダーデンは小田が譲り受けた。
その3ヶ月後に私は小田と付き合い始め、小田のアパートでタイラーダーデンとともに2人と1匹のささやかな暮らしをスタートさせた3ヶ月と2週間後、私たちは別れた。
それも今から1年前のこと。

「やあ池本。猫探すのてつだって」と小田から連絡がきたのが先週の木曜日。
LINEは去年の8月、「ハンターハンターの11巻と12巻、池本の荷物にまざってないよね?」「まざってないけど」とやりとりしたのを最後に終わっていた。
しばらく未読無視していたら昨日の夜、私の知っているタイラーダーデンよりももう少しふくふくと太った黒猫の写メが送られてきた。
今世紀最大に深いため息をついたあと、最近酔った勢いで課金してしまった使い勝手の悪いLINEスタンプを適当にポンと押す。

1年ぶりに降りた小田んちの最寄り駅は相変わらず寂れていて、クリスマスの時期になると中途半端に点灯するイルミネーションが今は死んだように蝉の声に埋もれている。
改札を出てすぐのニューデイズの前。
立っていたのは小田ではなくてハルオくんだった。
私の知っているハルオくんは金髪だったから、黒髪になっていて一瞬誰だかわからなかった。
ハルオくんは私に気づき、すみれちゃん、と片手をあげる。
そういえば、東京で私のことを下の名前で呼ぶのはハルオくんだけかもしれない。
小田ですら私を苗字で呼ぶのに、ハルオくんはどこで私の下の名前を知ったんだろう。

「ハルオくん」
「一瞬わかんなかった」
「小田は?」
「あ、いまジュース買いに行ってる」

てっきり小田と2人で探すものだと思っていた私は、ホッとしたようなその反対のような、変な感情になった。
というかいくら愛猫のピンチとはいえ自分の元恋人たちを集結させるって。
ハルオくんは、あれだよねえ気まずいよねえ、と私に言った。
その苦い笑顔を見た瞬間、小田と付き合っていた時にタイラーダーデンって何でタイラーダーデンなの?と尋ねたら、ファイトクラブ観てないの?と小田がびっくりした顔をしたことがあったのを思い出した。
あれだいぶむかついたな。
そのあとファイトクラブを観てもちろん面白かったけど、せっかくの名作も観るたび小田の顔が過ぎるから損だ。
名付け親のハルオくんも、そこに関しては若干恨んでる。

「やあ、ハルオ、いけもと〜」

ぼさぼさ頭でジャージ姿の小田が両手にジュースとお菓子と猫用のチュールと煙草を抱えてやってきた。
そのあまりに能天気な姿に、肩の力が抜ける。

「買いすぎ」
「レジ袋けちったらこうなるよね」
「ばかじゃないの」
「つーか池本、久しぶり。ハルオも」
「なんかさ、いいけど、ふつう言うよね、ハルオくんも呼んでるなら」
「そうだよ若干冒頭気まずかったんだよ俺。すみれちゃんと」
「すめん」
「謝罪を噛んでんじゃないよ」

ケラケラと小田が笑いながら、トランプを配るように、持っていたジュースとお菓子とチュールひとつずつ私とハルオくんにぐるぐる渡していく。

「南口の方はね結構探したから、今日は北口の方探そうと思ってる」

こうして、夜な夜なタイラーダーデンを探す奇妙な集会が始まった。

「先週向かいの家で火事あってさ。夜中に消防車とかいっぱい来て。おれんち木造だし念のため外に出て避難?してたんだけどそのときにタイラーがびっくりしちゃって、どっかいっちゃって」
「タイラーダーデン〜」
「どこ〜」
「タイラ〜!」
「黒猫だから夜の捜索はむずかしいんすよ。ペット探偵に頼もうかと思ったけど金ないし。その火事でおじいちゃん1人死んじゃってさ、そっから俺、金縛りがやばいの。夢にゾンビみたいな知らないジジイ出てくんの。勘弁してよっていう」
「お〜いタイちゃ〜ん」
「出ておいで〜」
「2人呼んでどっちか手伝ってくれたらいいかなって。そしたら池本もハルオも来てくれて、俺最近全然いいことないけど、なんか今日はうれしいよ」

これまでも、これからも、小田は私のことをよりハルオくんのことの方が好きなんだろうな。
付き合い始めたときから私はそのことに気づいていたけど、とりあえずしんどくならないうちは小田と一緒にいようと思った。
そして案の定どことなくしんどくなった私は3ヶ月とちょっとで諦めた。小田のことを好きって気持ちは私が思っていたよりも軽くて、思っていたよりも重くて疲れた。
今、そういう面倒くさいものを一旦下ろした状態で小田に会うと、唯一私のことを焦らせない人間でホッとする。
それにしても大の大人3人で、河川敷の茂みの中をニャアニャア鳴きながら歩き回る光景は、なかなか恐ろしい。

「そういやハンターハンターの11巻と12巻、見つかったの」
「あ〜いや。ない。ずっとない」
「あ、待ってそれ多分俺だ。俺持ってる」
「はあ?」
「ごめん」
「ハルオだったのかあ。俺池本がパクったんだと思っててさずっと」
「私、超濡れ衣じゃんか」
「ごめん、すみれ」

小田が私に向かって手を合わせた時、もしかしたら私のいないところで小田は、私のことを下の名前で呼んでいたのだろうか、と、何でか知らないけど一瞬泣きそうになる。

「ニャァニャァ」

その夜、タイラーダーデンは見つからなかった。
私たちはまた来週も会う約束をすることになる。

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