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映画みぞおちにタピオカ

<19歳>
一浪して大学に進学した私は、映画サークルで幸田一平と出会った。
好きな映画を聞かれてETと答えたら、私のことをETと呼んできやがったのが1個上の学年だけど同い年の幸田一平だった。居心地が悪すぎた新歓飲み会。逃げるように駆け込んだトイレで、隣の個室に入ってきた酔っ払い男女のセックスが始まり、出られなくなった時私は、東京になんか出てくるんじゃなかった、と思った。全然外に出られないまま私は諦めて息を潜めていると、幸田一平からメールが来ていた。ET、みんなで次カラオケ行くけどどこにいんの。トイレ。大丈夫か。大丈夫ではない。カラオケ、向かいの店だよ。私帰る。終電ないよ。
セックスは思ってたより長かった。
やっとの思いで外に出た私は、思い切り深夜の空気を吸い込んだ。空気はこんなに美味しいものかと思った。全然酔っ払ってなどなかった。店の外でフラフラと地面のコンクリートの模様を足でなぞっていた幸田一平は、私を見つけると、ET!と叫んだ。
「ETじゃない」
「大丈夫か大丈夫か、全部出したか」
「吐いてない」
「隼人さんって、みきちゃんと付き合ってるんですか」
「え?違うでしょ」
「…」
「なになに、キスでもしてた」
「キスどころか」
「なるほど」
何かを察したように幸田一平は笑っていた。このころ、思えば私は幸田一平のことをまだ下の名前では呼んでいなかった。

<20歳>
先輩のアパートで飲み会をしたとき、みんなが雑魚寝をする中、一平と私だけ起きていた。私はいつものことだけど、今日という1日を後悔していた。なんでこんな場所に来てしまったのか、一平がいるから来てしまったことを後悔していた。そんな私を見て、「誰だよ終電まだあるって言ったやつって思ってる」とガサガサの声で一平は言った。
「…」
「帰ろう」
終電は逃していたけど、一平と一緒に歩いて帰ることにした。このころ、一平はもう私のことをETとは呼ばなくなった。家はめちゃくちゃ遠かった。電車だとすぐなのに、歩いたらめちゃくちゃ遠かった。あと寒かった。もう秋だねえと言いながら、一平はそれなりにあったかそうな服を着ていて、私はまだ夏みたいな服を着ていて、でも一平は別に上着を貸してくれたりとかはしなかった。俺の方が絶対寒がりだと威張っていた。
2人してスマホの電源が切れていたので、看板を頼りに道を進む。
一平の汚いコンバースのスニーカーが、道端の石ころを蹴り飛ばす。コロコロとこっちに転がってきたので、私も思い切り蹴り飛ばす。次に一平が蹴り飛ばした石ころは近くの駐車場に止まっていたハイエースのフロントガラスにあたり、私たちは急いで逃げた。
朝日が昇り始めた頃、一平が、りさこちゃん、と私をたぶん初めて名前で呼んだ。俺の映画出て、と私に言った。一平が授業にロクに出ずにバイトばかりして映画の製作資金を貯めているのを私は知っていた。いいよ、と私は言った。芝居なんかしたことなかった。
一平から後日渡された脚本は、正直言って面白くなかった。私の出番はそんなに多くはなかったけど、なぜか全てのシーン、一平の元カノと一緒に出る羽目になった。元カノ、可愛かった。一平と高2から大学1年の夏まで付き合っていたらしい。撮影中に一平と撮影部が揉め出したので暇だった私と元カノは、それなりに仲良くなった。
「この映画、多分完成しないですよ」
「え?」
「前に出てって言われて撮ったやつも完成しなかったし。一平の撮る映画、いつも完成しないから」
元カノが言っていた通り、一平が撮った映画は完成しなかった。

<22歳>
一平が大学を休学して、アメリカに行った。でも割とすぐ戻ってきた。一平の短編映画が知らない間に海外のなんかの学生映画祭でグランプリを獲ったらしい。私が出たやつではない。絶妙にセンスのない、よくわからない絵葉書とサイズの微妙なよくわからない布を数枚お土産だと言って買ってきた一平は、数日間死んだように眠っていた。死んだかな、と思って蹴ってみたら、起きた。
「いつか、エディレッドメインと仕事してよ。サインもらってきてよ。ディア莉沙子って入れてもらってよ」
「おう」
一平の映画は、頭の悪い私にはますますよくわからないものになった。一平も、私にわかってもらうつもりでは撮っていないのだと思う。私は一足先に大学を卒業することになり、卒業までの間私のアパートで一平と一緒に暮らした。一平と何回かご飯を食べて、何回かセックスをして、何回か映画を観て、何回か喧嘩をした。ある時怒り狂って一平を部屋から追い出したら、部屋の前の花壇の雑草を一平は全部綺麗に抜いていた。何で、と私は力が抜けた。暇すぎたらしい。次の日、チューリップの球根を買ってきて、2人で植えた。

<24歳>
一平が初めて長編映画を撮ると意気込んでいたけど、一緒に組んでいたプロデユーサーが消えたらしい。いつものことだけど仲間とも揉めて、俳優も飛んで、お金もどうやらなくなって、脚本も全然書けず、一平と連絡取れないんだけどと彼の周りの友達から私に連絡が来るようになる。でも私はこのころ一平と一緒に住んではいなくて、会社の近くで1人暮らしをしていた。一平は酔っ払うと夜中に電話をかけてきていたけど、次の日も朝から仕事に行かなければいけない私は、よく知らないふりして寝た。一平の映画が完成しないのには慣れっこなのに、なぜか彼は私に謝るのだ。私は別に、撮ってなんて言ってない。
一平は何も生み出してない人間は価値がないと思ってることに気づいてしまってから、私は一平に会わなくなった。0か100でしか映画と付き合えない一平を見ていると誇らしいけど痛々しい。私がやってるみたいな誰にだってできる仕事毎日淡々とやってるだけの人間になるくらいなら、たぶん一平はしぬんだろうね。でも映画の前に、生活がある。人生なめてる。私は一平に馬鹿にされたくない。一平が私を馬鹿にして生き延びている気がしてしまうのが、嫌だった。
「莉沙子にはわかんねーよ」
わかってもらう気などないくせに。私に理解されたら、心が死ぬくせに。
私は、一平と別れた。始まりがうやむやだった分、別れもうやむやだった。

<27歳>
苦しいこととか、嫌なこととかあると、一平に話すんです。
いつか一平が映画にしてくれるから。つらくても、いつか一平が映画にしてくれるって思ったら、まあいいかって思えた。
別れてしばらく経ったころ、大学時代の同期の結婚式で一平と再会した。
二次会終わり、そっとみんなの輪から抜けて帰宅しようとする私を追いかけてきた。
結婚式のムービー、あれ俺作った、と引き出物の紙袋をふらふら振り回しながら一平は言う。
「へえ」
「映画、作ったからさ、見に来て。小さいとこだけど、映画館で流してもらうから」
「すごいじゃん」
「りさちゃんの映画だよ」
「…」
「りさちゃんに捧ぐやつだよ」
「捧ぐってさあ、死んだ人みたいだよねちょっと」
「…」
「彼女できた?」
「うーん」
「…」
「彼氏できた?」
「うん」
「どんな人?」
「会社の先輩。優しい、どこまでも。実家広島でね、今度一緒に行く」
「ふうん」
「うん」
「結婚すんの?」
「わかんないよ、まだ3ヶ月?とかだし」
「そっか」
「私が結婚するってなったら、あれ作ってよ。思い出ムービー」
「何でだよ、やだよ」
「何でだよ」
結局、あの時のチューリップはあまり綺麗に咲かなかった。2人して水をやるのをサボったから。一平が私に捧ぐと言っていた映画は、私とのぐだぐだした数年がまとめられていて、何一つ面白くなかった。タイトルも意味わかんなかった。

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