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このきもちをなつかしく感じてしまう前にアメリの彼氏を深いところに埋めたい

アメリの逃亡が決定したのは、まだ梅雨が始まったばかりの6月のことだった。
バイト終わりにふらふらと帰宅する途中、アメリが突然電話をしてきて「荷造り手伝って」と言ったのだ。もう夜中の1時だったけどわたしはアメリの言うことは絶対にきくたちなので、そのままふらふらと方向転換し、アメリの住むアパートに向かった。

アメリの部屋は、いつも色んなにおいがする。
チョコレートみたいな甘いにおいと、いろんな化粧品のにおい、タンスの中のにおい、あとは昔持ってた練り消しみたいなにおい、諸々が混ざっていてわたしは時おりきもちわるくなる。しかし今は幸い鼻風邪を引いているので大丈夫。万全の状態でピンポンを5回くらい連打したところで中から「うるせえ聞こえてるわ!」と声がして、その数秒後古い木造の扉の奥からアメリが出てきた。アメリは眼帯をしていた。眼帯をしてないほうの目の下には濃い隈があり、適当に結ばれた根元の黒くなった金髪、だぼだぼの古着のTシャツには中指立てた外国人のおじさんのプリント、ださいジャージの短パンから伸びた白い脚、絵に描いたような不健康な姿だった。わたしは途中で寄ったコンビニで買ったお菓子とおにぎりとジュースの入った袋を振り回しながらサンダルを脱ぎ捨てた。ちなみにアメリのぶんのお菓子はない。今は何を食べても吐いてしまうらしいから。
アメリに子どもができたと聞いたとき、わたしは、「へえ」とか「ほお」とか言ったと思う。たしか夜中のファミレスで、ふたりで大盛りポテトと大きい方のパフェを頼んで楽しんでいたときだったと思う。アメリの彼氏は、府中に住んでいる。そこで奥さんと、3歳になる娘と三人で、そこそこきれいなアパートで暮らしている。わたしは、アメリの彼氏を手っ取り早くそして1番苦しい死に方で殺す方法を、ない頭で必死に考えた。結局シンプルに穴に生き埋めにするのがよいのではないかと自分の中で結論が出たところでやっと、「どうするの」とアメリに聞いた。アメリはどうしようかね、と。ひどく落ち着いた、低い声で笑った。ポテトの脂がついた指で、彼女は平気でスマホを触る。

「産むの」
「…」
「…産まないの?」
「…」
「東京で、育てるの」
「…」
「トチギに帰るの?」
「群馬な」
「グンマに帰るの?」
「わかんない」
「じゃあ」
「かんがえてる」
「…」
「かんがえてるから、あんたは、何も聞かないで、アメリはまちがってないってだけ言って、お願い」
「…」
「…」

アメリはまちがってないよ。わたしが小さな声でそう言うとアメリは、嬉しそうに、ありがとね、と言った。
アメリの部屋は、部屋というより巣というほうが正しい気がする。壁も床も見えやしない。大量の服と布に四方を囲まれ、ちょっとつついたら崩れ落ちそうな、微妙なバランスを保ってすべてが折り重なっている。アメリは3年前まで服飾の学校に通っていて、就職はせずに2年くらい前に自分のブランドを作って、バイトと掛け持ちしながら細々と暮らしていた。でも色々とうまくいかなくなった。作れば作るほど稼げなくなったアメリはいつしか服を作らなくなった。
わたしはアメリの本名が剛田真知子であることも、クレジットカードが全部止まっていることも、アメリの彼氏のインスタも、アメリに本当は帰る場所がないってことも知ってる。

「わたしんちに来なよ」
「…」
「ふたりで育てよう」

アメリは笑っていた。名前どうしようかなあ、希望のきに、良いに、梨で「きらり」にしようかなあ、とアメリは笑っていた。
男でも女でもなんでもいいや、元気だったらいいやと。
アメリは、東京からいなくなった。メールも電話も音信不通になった。ここでの唯一の友だちが、あっさりいなくなってしまった。
アメリと一緒に行ったのはファミレスとドンキとカラオケくらいだったけど、アメリは1番の友だちだったと思う。アメリの作る服は派手すぎてわたしは着られなかった。これから産まれる子に彼女はまた服を作ったりするのかな。

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