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子どものころ勉強する気が起きなかったのは、必要性を実感できなかったから

少し前のこと。
フリーランスとして働いてきた身であるものの、数か月後に某大学院を受けることを決心した。

コロナ休業で仕事は短く少ない。
もちろん収入は減っているが、自由に使える時間は増えた。
寝る食べる仕事以外はひたすら勉強、読書、書き物。
ひたすら勉強する日々を過ごしている。
練習時間が大半を占めていた楽器とはしばらく距離を置いている。

当初の目的は試験にパスすることではなかった。
仕事に必要な分野、興味がある分野の資料を探し読んでいくうち、英語の資料にぶつかることが多くなってしまった。
専門用語や前後関係の問題もあり、グーグル翻訳を使っても的確な翻訳はできない。
時間がかかりすぎる上にろくに理解できない。
翻訳をしてもらう時間も費用を考えても効率が良くない。

そもそも演奏について行き詰っていた。
長くなるので詳しくは書けないが、音楽の本質、人間と音楽について引っかかるようになってしまった。
引っかかったまま、惰性で演奏したくない。

研究の仕方を磨きたい、豊富な資料や刺激的な環境の下で、もっと研究したい。
ふと、某大学院の試験内容や要項を調べた。

今さら学生になるのか?
受験生になって胃を痛める日々を送るのか?

いや、コロナのおかげで時間がある。
受からなかったとしても勉強した内容は無駄にならない確信があった。
絶好のチャンスだと思った。

某大学院の受験を決め、本格的に英語や歴史、文章を書く勉強を始めた。

なぜ当時勉強しなかったのか

十代のころに比べて年を取ると記憶力が衰えているのでは?と思いきや、今の方が断然覚えやすく、楽しめている。
大人になって語彙力や知識・関心が広がっていることもあり、理解のスピードが速い。
物事をすぐ結び付けられる。実生活への役立て方もすぐ見つけられる。

体育に次いで英語は苦手な教科だった。
生活上、英語ができなくても困らなかったし、必要性も感じていなかった。
親や身近な人も英語を使っていない。
海外に行く気もなかった。
よって、なかなか勉強する気が起きなかった。
日本で暮らすぶんには日本語が出来れば十分だったのだ。

国によっては生活上、母国語ひとつでは不便な場合もある。

ガムランの研修でインドネシア・ジャワ島のスラカルタに行った際、このことを痛感した。
この国では自分たちの言葉(ジャワ語)+国の共通語(インドネシア語)は基本で、さらに英語でもやり取りできる人が多いらしい。
観光業が盛んである上に他民族国家であり、普通に暮らしていても英語を使うことがあるそうだ。
(地方になるとまた状況が違うかもしれないが。)

ちなみに、ジャワ語とインドネシア語は全く似ていない。
インドネシア語は国家として統一されてから使われるようにいなった比較的新しい言語であり、一方の元々使われていたジャワ語は世界で最も難しい言語のひとつだともいわれている。

日本とは全く異なる環境である。
英語を使えるかどうかが、実生活に関連しているのだ。

外国人はみな語学の才能があるのか?
そうではなく、必要性があれば自ずとできるようになるのである。

効率はモチベーションに比例する

ここしばらく勉強してみて、「やりたい」と思ってやった時と「やらなきゃ…」でやったとき、集中力や効率が全く違う。

人間、やりたい時やりたいことをやるのが一番効率的らしい。

(とはいえ、こう言うと、とてつもなく贅沢なことに聞こえるが。)

目的は音楽関係の論文を読む為だが、英語自体の勉強も楽しくなってきている。
異なる言語、独特の言い回し、日本との共通、和製英語との関係など知れば知るほど面白い。
自分自身の研究のためはもちろん、ちょっとした話のタネとしても使えるかもしれない。

ここしばらく毎日流しそうめん(in喉)の生活だが、耐えられている。
いや、特に我慢しているわけでもない。
やりたいことを優先しているだけ。時間とお金の節約。
食べることもお風呂も掃除もさっさと終わらせたい。
リッチな暮らしのために嫌な仕事はしたくない。嫌なことには時間を一切使いたくない。

自分が納得できないことはやらない。
フリーランスだからそれが可能なのかもしれない。

「ほんと、やりたいことしかやらないよな…」
最近になって親や長い付き合い友人・先輩方にこう言われることが増えた。
この言葉だけだと嫌味に聞こえないこともないが、そのあとには決まって「あなたらしくて、とてもいいよ」と言ってくれる。

今となっては、それが自分の人生を自分らしく幸せに過ごす方法のひとつだと確信している。
ある意味、ありがたい才能なのかもしれない。

勉強の楽しさに気づくのは遅かったかもしれない。
ただ、勉強する楽しさに気づいていなかった子供時代は別のことに熱中していたから、これはこれでよかったのではないかと思っている。
子どものころしかできないことを目一杯やれたと思う。
他人の価値観ではなく、自分の価値観で判断することによって始めて本来の力を発揮できるのかもしれない。

効率的な時間の使い方に関して様々な情報が溢れかえっているが、
自分の気持ちに正直な「やりたい時にやりたいことをやる」これが最も効率的で効果を最大限に引き出す時間の使い方なのかもしれない。




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