見出し画像

内なるアウトプットを求めて語彙力と知識を集める旅に出た。ステイホームで。

子どものころは声が出しにくく喋ることが苦手、活字も苦手で読書ができなかった。視覚的にとらえる方が得意で、画集や図鑑、楽譜ばかり読んでいた。
なんというか、物語とかドラマとか歌とか人間の成長や心、恋愛や友情といったものを描く作品に全く興味がなかった。

あまり人と喋らない上に読書量も乏しかったので、自分が感じたことや考えたことを適切かつ正確に相手へ伝えることが苦手だった。
今思えば、伝えるために必要な語彙力がなく説明できなかったのだ。

今になって伝えられるようになったあの頃の考えや気持ち。
子どものころ感じていたことを母に話すと、いつも驚かれる。

さて、今日ラヴェルのワルツ「ボロディン風に」を弾いていてふと気が付いたこと。
高校生の頃からずっと惹かれてて好きな作品であるけど、その曲が「好き」だけで済ませることができない。
どうしたものか。

最近になって分かったことだが、どうやら自分がなぜそれを「好き」なのか理由を知りたい、理解して納得しないと気が済まないらしい。
対象物が好きすぎて分解や解剖しちゃうタイプらしい。

細々と作曲の勉強を続けている原因もそれっぽい。
願わくば、その「好き」を自分で自由自在に使いたいらしい。

ただ、その「好き」といった感情だけで伝えようとすると、自分と近いタイプの人には伝わるかもしれないけど、漠然としか伝わらない。
拡張子が合っておらず、正しく開けないというか。
とは言え自分自身も漠然としか分からない「好き」はモヤモヤしていて、釈然としない。そのまま一生を終えるのはとにかく「嫌だ」。

感情だけを伝えるのは至ってシンプル。
赤ちゃんでも動物でも「好き」「嫌い」はすぐ伝わる。

大人になった。様々な人と関わるようになった。
自分のこともだんだん分かってきた。
何かに対して「好き」「嫌い」と感じたとき、適切に説明できれば相手が理解を示すことがある。建設的な議論ができる。相手が感情や感覚だけでなく「何がどう好き」で「何がどう嫌い」なのかを説明してくれたら、感情を投げつけられるのではなく、異なる意見として受け止められる。時にはその意見にこちらも納得・共感できるかもしれない。

自分自身に対しても納得のいく説明ができたら、きっと自分自身への理解が深まる。考えたこと・感じたことを鮮明に、自分に見せてあげる。

そうか、これは内なるアウトプットなのかもしれない。

説明するためには語彙が必要になる。
自分が「好き」とは何なのか、人々の好むものは何なのか、とりあえずインプットが全く足りないことに気が付いた。

外向けのアウトプットで例えるなら
映画や本のレビューで見かける「めっちゃハマりました。大好きな作品です!」「今年一番おもしろい!」
なんかよりも、
「〇〇や〇〇(他のタイトル)が好きな人はハマりそう」とか「〇〇分野に興味があって今後〇〇を考えている人に是非読んでほしい」
とかだと、やっぱり引きつけられるんだよね。

いつもの仕事が消え、不安が沢山あるけど時間も沢山ある。
好きを説明したくて、今ちょっぴりがむしゃらに勉強している。
和声学やコーチングと言った音楽の仕事に直結するものも、歴史や教養、日本と世界の文化など、片っ端から。音楽大学に入るギリギリまで迷っていた考古学も。

三国志の映画を観てから文庫版読んだり、暴君を切り口に古代のヨーロッパ史について調べたり映画見たり前後関係を整理してみたり、2度の世界大戦はなぜ起こったのか映画を観つつ気になった単語やついていけなかった部分はネットで検索してみたり。
なんだこれ、めっちゃ贅沢な時間ではないか。

いますぐ収入につながることではないけど、とても有意義な時間だと実感していている。一つの事柄から受け取れる情報量が確実に増えているのを感じている。自分の頭の中が耕され、広く豊かに、鮮明になってきている。
シンプルに言えば、「分かることが増えた」ということなのかもしれない。人からの評価を意識した外向きアウトプットも大切だけど、内なるアウトプットに磨きをかけていくことで、人からの評価に左右されない、確実な自分が育っていくと思う。

いきおいで書き綴ってきて雑文乱文。
そうだ、このnoteで書いていく記事は率直に思ったことを書き連ねていく内なるアウトプットと名付けよう。(即決)

ラヴェルのワルツ「ボロディン風に」が好きな理由は、きっとまだ8%ぐらいしか説明できない。
残りの92%を知るために、自分が納得できるように、誰かに伝わるように、語彙力と知識を集める旅をひたすら続けたい。

いただいたサポートで少しイイご飯になったり心に余裕が生まれます…お礼に記事モリモリ書きます♪お待ちしております!