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blog.ver34 1日の中でやっぱりやらなければならないと感じていた選挙。

4月9日は僕が住んでいる地域の市議会議員を決める選挙がありました。

全国的にも選挙がありました。

でもなぜ全国的に選挙があるのかわかりません。

そんな状況ですが、私は選挙にいきました。

そんな重たい腰を持ち上げて選挙にいったお話しです。


当日は私が毎月一回は行っている和菓子屋さんがあります。
そのお店で4月8日と9日は大々的に感謝祭というイベントをやっていました。
8日はいく時間が遅かったのもあってほとんど品物が売り切れ状態でした。
なので9日にまた出直しました。
お店が9時からだったので浅はかな気持ちで9時半ごろに出ていきました。
するともうすでに売り切れの商品があったのです。

残念。

そして本日の予定では子供のお宮参りをしよう!ということでとっくに100日は過ぎたのですが気候も暖かくなったのでこのタイミングにしました。
予定では11時頃に離乳食とミルクを上げてそれから出かける算段でした。
準備とその合間に和菓子屋さんへ行ったのです。

でも妻と「選挙はいついくの?」と話していました。
妻はそこまでいく気分ではなかったようです。
その気持ちもわかります。
妻は言いました。
「よくもわからない人に投票しても逆に迷惑になるんじゃないか?」と。
なので僕は伝えました。
「よくわからないからこそ選挙に行くべきなんじゃないの?」と。
僕も実際のところよくわかっていなかったので行くことでまず何人候補者がいるのか?後日誰が当選したのか?を気にするようになるので、わからないからこそ行くべきだと思いました。

と、伝えても以前に決めたやりたい予定があるので妻も私もそちらをしたいということもあって選挙へ行くことが重たい状態でした。

でも結果的にお宮参りもして新年の挨拶と家族の挨拶もできて帰宅する前に選挙へいきました。

行ってみるとどうでしょう?

ただ行くだけで投票用紙に名前を書くだけで何か自分の中で変わった気がしました。

たかが1票ですが、よーく考えて自分の意思をしっかり持った人も1票だし、私みたいに何も関心がない1票も同じ1票になる。
小さなことではありますがその違いを感じることができました。

そして、このように行くことで関心を少なかず持つことができるようになりました。
この先。自分が生きるこの日本ではどのようなことが起きるのか関心をもつ必要があるということですかね。

言いなりに生活をしていくのか、自分を持って生活するのか。それは人それぞれになるとは思います。

どちらの人種も人間界では必要なことだと思います。

ですが自分はどうでしょうか?

いつまでも流される人間でいいのだろうか?
国の言いなりになっていていいのだろうか?

もちろん私1人がどこに投票しようと大きな変化はないと思います。

ですがそこが重要じゃないのです。

この日本という国に住んでいる以上、この国で生きていく以上、どのような生き方が大切なことなのかということでもある。

どのような生き方をしていくのかって今後、自分のためにもなるし、回りに回って自分の子供にも影響があると考えます。

私の考えとしては自分のためにもあるが子供のためにでもある。


子供に自分の考え方をそのまま伝えても意味がない。というより言葉で説明しても伝わないので親の行動がそのまま子供に伝わるのだ。
ということは親から変わらなければ子も子だ。
ということは子供の恥は親の恥にもなる。恥が悪いという考えも些か疑問ではあるがこの場合、この日本で生きていく上でどんな人間になって生きていくのか?ということだ。

子供のうちは可能性は無限大。
と言われているが、結局は親が子供に対してどう伝えるのかで人間は成長していくのだろう。

親の役割は子供が1人で生きていく上で大切なことを伝えることなのではないかと最近は特に考える。

だからもちろん勉強も大事だし常識の教育も大事だし運動も大事だし。
このように一般的な表面の部分はもちろん大切なのですが、どのように成長をするのかがとても重要だと今の私は考える。
もちろん、このように自分で言語化できるほど考えがまとまっているのでそれほど深まっているということにもなる。
でも言語化できないがこういうことなのかな?と考えている部分もある。

だからこそ伝えるということは難しいし、後悔もいつか必ず出てくる。
いつまで経ってもその答えは答えではなくその時の考えになるのだから。

後悔があるということは悪いことではない。
その分だけ自分が成長しているということの印ともなる。

成長はとても大事。

以前、メンタルトレーニングの先生が言ってました。

『人間は誰でもどんな時でも心は成長できる。』と。

その言葉が本当なのかどうかの審議は難しい。でも心理学の先生がそのように言っているのだからそこを疑っても仕方がない部分もある。
疑うくらいなら信じて頑張ればいつの日かわかる。
やらないくらいならやった方がいいのと同じだ。

選挙の話から子供の話になったがこれからは私よりもさらに長く生きるであろうこの世の中をできる限り知ってもらうためには親が伝えていかなければならない。親が知らないことは子も知らない。ということもある。
親が知っていて損することはない。
そこから取捨選択したらいいのだから。

要するにもっと色々なことに興味を持ってその姿勢を子供にも伝えなければならないということだ。

このブログのまとまりがない内容となってしまったが
要するに頑張れということ。


それでは今回はここまで。

おしまい。

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