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「漢字」ができなくて泣いてしまった子〜継承語の視点から〜

 今日はオンラインでスポット受講をしてくれている小学生の漢字学習の時に、あまりにも読めない漢字がたくさん出てきて泣いてしまった子について私が考えたことを記事に書きたいと思います。
 日本語の外で生活していて、日本語を学ぶということは本当に大変なことではあるのには違いありません。
 しかし、子どもが納得できていない状態で心が傷つくようになるまで無理やり進める必要があるのか、仮に日本語を学んでほしいのであればどういう考えを持つべきなのかについて、私が考えたことをまとめておきたいと思います。これは、海外で継承語として日本語を学ぶのに限らず、日本で子どもの学習が強制的に行われている状況でも考えるべきことだと感じています。

私の継承語サポートのスタンス

 私の日本語教室では、それぞれの日本語の習得レベルや本人のモチベーションに合わせて学びを展開しています。子どもたちの日本語環境は千差万別で、日本での生活経験がある子もいれば海外での生活しか経験したことがないような子もいます。また、日本での生活経験においても年数や何歳までいたのか、海外生活しかない子でも一時帰国の頻度や日常に日本語を話す友達がいるのかなどを含めるとパターンは無数に分かれます。だからこそ、継承語としての日本語はそれぞれの子どもたちに合わせた進め方である必要があると思っています。

 私は教室でのレッスン以外に、オンラインでの学習サポートも行っています。その中には、日本の学校に通う子(中学生・高校生)もいれば、継承語としての日本語レッスンなども行っています。その中で「週末補習校の宿題サポート」というご依頼を受けることがあります。
 週末補習校は、基本的に日本の学校で学んでいる子と同じペースで学習が進められるため、実際に通っている子たちはかなり苦労していると聞きます。もちろん、補習校の方針がそれぞれにあると思うので、一概には言えないと思いますが、私が出会ってきた人たちはみんな口を揃えて「土曜日の半日を使って通わせるのと、毎週の宿題が大変だ」と言っています。

「3年生で習う漢字」の総復習

 今回私が依頼を受けたのは、4月から日本だと4年生になる子の「3年生で習う漢字の読み方を復習してほしい」ということでした。私が日頃教室で子どもたちの進捗状況を見ていると、日本での生活経験が浅く、国外で生活しているかつ日本の学校に通っていない子が学年相応の漢字を習得するというのは、かなり難しいことだと思っています。また、これまで4年間継承語のサポートをさせていただいていますが、先程の条件で生活している子で3年生の漢字をほとんど理解できている子には出会ったことがありません。

 実際に読み方を確認してみると、最初の10個ぐらいの漢字で読めなくなってしまっており、それ以降はほとんど全部わからないという状態でした。私からすると、この状況は決して本人の能力や努力不足なのではなく、当然なことなのです。
 日本語としてのインプットの機会が限られている子が3年生以降の漢字を学習するのは、時間をかけてその子のペースで学んでいく必要があると思っています。また、できるだけその子に興味が持てそうな説明を使って進めていきますが、それでもかなりじっくりと進めていく必要があります。
 漢字が読めない状態が続いたその子が何をし始めたかというと、画面には見えないところに読み方がわかる紙を置いて答えていったようなのですが、「誤魔化さなくていいから、わからないところはわからないって言っていいからね」と伝えるとその行為はやめたのですが、今度はあまりにも自分ができないことに泣き出してしまいました。

 まだ3年生の子が、漢字ができなくて泣くというのは私にとってはショックな出来事でした。仮に、自分が熱中していることでうまくできなくて悔しさのあまり泣くというのは、次の成長につながると思います。
 しかし、本人が「なぜやらないといけないのか」というポイントを通過することができていない状態で、大人が決めたスピードで学び続けることを求められ、なかなか覚えられないのが当然の状況で「自分はできない」ということを感じさせるのは、その子の自信を失わせてしまう余計なことだと感じました。

 その時の私にできたことは、「今僕の教室に通っている同じ年ぐらいの子どもたちも、3年生からの漢字は難しいって言っているから、⚪︎⚪︎くん以外にもみんな苦戦してるみたい。だから、自分のペースでいいから進めていったらいいよ」という声かけぐらいでした。
 私は子どもたちと学習についてはじっくりと話す必要があると思っています。そういう話をずっとしていると、「自分のペースで」という前提に「なぜ日本語を学ぶのか」についてある程度クリアにできているため、そこから学習が始めやすいのですが、その子は「別にやりたいわけじゃないし」と涙ながらに語っていたのでした。
 私も本当にその通りだと思い、「日本に住んでなくて日本語の勉強って本当に大変よね。でも僕は⚪︎⚪︎くんと日本語で話してて、本当に日本語を話すのが上手だと思ってるよ。本当にしんどいと思ったら無理しないでね」と伝えました。するとその子は涙ながらに「ありがとうございます」と答えてくれました。
 そして、授業が終わった後は保護者に報告しました。スポット受講なのでこちらから具体的な方針を押し付けることはできませんが、せめて「本人はもう精一杯頑張っていて、それでもうまくできないことに苦しんでいる」という状況を共有しました。
 それに対して、対処療法的に「今度日本に一時帰国した時に日本の学校に通わせます」「もっと漢字を復習する時間を家で設けます」と言った話になってしまうのがとても残念なところですが、対処療法で乗り切ろうとするのではなく、まずは日本語の学習についてじっくり対等に対話をすることができるように環境設定をしてもらいたいとい伝えました。押し付けでやらせると一見やっているようには見えても、その定着度が本当に高いのか、何より保護者との今後の関係で不信感につながるリスクの方が高い気がします。

漢字学習は本当に難しい

 私が継承語のサポートを始めてから気づいたことなのですが、日本語以外の言語環境の中で育っている子たちは、小学3年生からの漢字の習得がかなり難しくなるということです。1・2年生の間は、日常生活に馴染みのある訓読みが中心の「聞いたことがある言葉」から連想できる漢字がたくさんあるので、子どもたちが持っている語彙と関連させて読むことができるようになります。しかし、3年生からは音読みで音を聞いただけではなかなか意味を判別できないような熟語などが増えてきます。すると、これまでと同じペースでは学べなくなってきます。

 言語の習得というのは、おそらく何度も見たり聞いたりすることで自分が使える語彙が増えて、それと文字が組み合わさることで進んでいきます。子どもたちが日本以外の現地の学校やインターナショナルの学校に通っている場合、その大前提となる「語彙」が少なくなります。それは決して悪いことだと捉える必要はなく、子どもたちは日本語とは異なる言語で学び社会の中で生活しています。その中で、日本語もある程度理解できることは本当に素晴らしいことだと私は考えています。そういった意味で、学年通りに進まないとかひらがなを忘れてしまうというのは当たり前のことだと考えるべきなのかもしれません。その理由は、インプットの機会が日本とは圧倒的に違うからです。

 子どもたちの様子を見ていると、日頃から目にする漢字は理解して覚えています。好きな漫画などでも、そこに出てきた漢字は比較的覚えられるようです。それは、おそらく子どもたちの「楽しい」という気持ちが土台としてあるからだと思います。
 私の娘は医療系の漫画やドラマが好きなので、「病気」「妊娠」「心臓」などは読むことができます。また、私の教室に来てくれていてブルーロック(日本のサッカー漫画)が好きな子は、登場人物の名前やそれに関連する言葉(蜂のように飛びまわってドリブルをする「蜂楽廻」、豹のように足の早い「千切豹馬」など)を覚えることができています。これらは、小学生で習う漢字の学年に分けると、バラバラであったりむしろ中学生以降の漢字も含まれています。つまり、継承語における日本語の習得は、その子の興味のあるエリアから広げる方が効果が高いことが分かります。

「できないこと」よりも「できること」に目を向ける

 継承語のクラスの子どもたちの日本語能力をみると、4技能もその度合いもバラバラです。言語の歴史をたどると、「聞く・話す」が最初にあってその後「読み・書き」が発展してきました。
 海外で生活する子どもたちにとって、まず大切なのは「日本語での会話に自信を持ってもらうこと」だと考えています。日本語で話ができることで学ぶことに対して前向きな姿勢を持つことができます。
 そして、その次の段階として「語彙を増やすこと」です。これは、教材やドリルなどで機械的に学ばせるのではなく、生活の中で得られることが最も大切だと考えます。そういった意味で、会話以外にいろんな語彙に触れられる絵本の読み聞かせは大切だと思います。
 とはいっても、これはかなり難しいことで家庭によっては日頃から日本語こ会話も耳にしないという状況の子もいるので、その子達にとっては日本語に興味を持ってもらって、まずは会話の力をしっかり鍛えることが必要かもしれません。その場合、語彙の強化は日本の文化で何か興味があること(漫画、ドラマ、音楽、工作など)から広げていくことができると思います。

 ご家庭で使用する主要言語が日本語の場合は、とにかくたくさん会話をすることが必要だと思います。これは、子どもと保護者の会話だけでなく、保護者同士の会話や知人、子どもの友達、親戚などいろんな人との会話をしているところを見せて、そこから出てくる知らない言葉などと少しずつ出逢いながら語彙を増やしていくことが大切だと感じます。

 ちなみに私は「漫才」が好きなので、よく家で漫才を見たり聞き流しをしたりするのですが、会場がどっと笑ったところで、「今のどういうこと?」と聞いてきたりします。その時に、簡単に言葉遊びの面白さや日本の文化について触れるようにしています。それも子どもの語彙を増やすのには役に立っている可能性があります。

 このように語彙を自然と身につける習慣ができる段階まできて、やっと読み書きにつながっていくと思います。なぜなら、何かを読んでいる時に日頃聞いたり話したりする言葉と照らし合わせて「こうやって書くんだ」と答え合わせをするからです。知らない言葉が多すぎると、読む意欲も削がれますし、そもそも楽しくないので読もうとはしないと思います。もし、子どもが「これなんて書いてあるの?」と聞いてきた時は絶好のチャンスです。そこで読むことを楽しめるような関わりができると子どもたちの日本語へのアプローチは変わってきます。

 以上、私が最近レッスンの中で気づいたことをまとめました。日本にいても国外で生活していても、子どもが未熟だからということで子どもを置き去りにした意思決定がたくさんあります。それに巻き込まれた子達は、自分で決める練習ができないまま大人になって、大切な決断をしなければならない場面で大きな失敗を経験することになります。
 遊びを知らないネズミは、ネコの気配がするものが近くにあるだけで、そこからどうしてよいかわからずに動けなくなってしまい、逃げられるかどうかも確かめることなくその場で死んでしまうそうです。その一方で、遊びを知っているネズミは、何度も試行錯誤をして失敗を経験しているので、逃げられる方法を探してその場から離れられるそうです。

 このように、大人になってからの失敗は取り返しがつかないこともありますが、子どものうちの失敗はまだまだ小さいものでどれだけでも修正できます。継承語に限らず、子どもを大人の言いなりにやらせるのでもなく、その反対に自主性を履き違えて大人が何でも子どもの言いなりになるのではなく、子どもと対等に向き合って話し合いながらいろんな物事を進めることが何より重要です。私にできることはまだまだ小さいかもしれませんが、自分ができる範囲でいろんな意識を変えることを取り組んでいきたいと思います。

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