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IGCSE History「歴史」学習単元まとめ(シラバス日本語訳版)[403]
日本の公立高校で歴史を学んでいる時に、「受験のために学ぶ」あるいは「単位を取るために学ぶ」というのはとてもつまらないものでした。大学に進学して歴史を学んでからは、今の社会の仕組みを理解したり、人としての生き方を考えるきっかけを与えてくれるのが歴史だと感じるようになりました。歴史はクイズのように答えをたくさん覚えることでも、大量に暗記してテストで高得点を取ったらそれで終わりというようなものではなく、「今起こっていることを正しく理解する」ことや、「よりよく生きるには」を追求することを重視し、歴史を学ぶことでその人の人生が豊かになることが最も大切なことなのではないでしょうか。
歴史を学ぶ面白さを知ってから社会科の教員になろうと思い8年間公立高校で社会科を担当してきました。そして、現在は日本とは異なるカリキュラムでは歴史をどのように学ぶのかを調べています。
そして今回、私が日本語のサポートをしている生徒が通うIGCSEのカリキュラムで学ぶ歴史の学習内容についてまとめていきたいと思います。
シラバスから読み解くIGCSEの「歴史」
IGSCEでは選択式のテストもありますが、論述試験も行われます。また、単元で教える内容についても、おさえておくべき「問い」として掲載されています。現在、地理と経済のサポートをしていて感じることですが、単に用語を覚えるのではなく、その働きやそれが現実世界を理解するのにどう役立つのかを理解しておかないといけません。
そのため、試験勉強をする時も実際にその言葉の意味やそれがどのように現実で使われているのかを確認しながら勉強していきます。もちろん、テストの範囲が広すぎたり、先生の授業の進め方が強引な場合は生徒が詰め込みになってしまう場合もあるようですが、学び方や評価の仕方に魅力を感じる部分があるのでこのように日本語に翻訳して記事を残しています。
学習内容は、主にセクションAの「コア・コンテンツ」とセクションBの「探究学習」に分かれます。セクションAでは、さらに選択AとBに分かれています。選択Aでは19世紀に関するトピック、選択Bでは20世紀に関するトピックを学びます。ここではどちらかが選択されて学ぶようです。
それでは、以下「セクションA(選択A・B)」「セクションB」で学ぶ内容についてまとめていきます。トピックの中には、「重要な問い」が示されており、それに関連する「関連する問い」と「指定された内容」があります。ここでは、試験の時にある程度の範囲を揃えておく必要から書かれていることが予想されるので、学びながら最終試験で問われることも想定しながら学習を進めるとよいかもしれません。
19世紀のトピック 近代の国民国家の発展(1848〜1914年)【セクションA・選択A】
①1848年の産業革命は重要であったのか?
・自由主義とナショナリズムが1848年までに影響力を増したのはなぜか?
・なぜ1848年にそんなに多くの革命があったのか?
・革命には共通点が何かあったのか?
・なぜほとんどの革命は失敗したのか?
・革命は何かを変えたのか?
⚪︎指定された内容
・1848年の革命の性質と自由主義とナショナリズムの影響
・フランス、イタリア、ドイツ、オーストリア帝国における革命の原因、出来事、結果
・革命の失敗の理由
②イタリアはどのように統一されたのか?
・なぜイタリアは1848〜49年に統一されなかったのか?
・イタリア統一へ向けてのガリバルディの後見はそれぐらい重要だったか?
・カヴールは、イタリアの統一を助けたり妨げたりしたのか?
・イタリア統一に向けた動きは、他のヨーロッパ諸国にとってどれほど重要だったか?
⚪︎指定された内容
・イタリアに対するオーストリアの影響
・イタリアのナショナリズムとマッツィーニの役割
・1848-49年の出来事
・ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世とカヴール:プロンビエールの密約、1859年のオーストリアとの戦争(イタリア統一戦争)
・ガリバルディと、シチリア・ナポリの侵略
・イタリア王国の創設、1870年までに統一の完了
③ドイツはどのように統一されたのか?
・ドイツは1848〜50年の間になぜ統治されなかったのか
・ビスマルクは1866年の普墺戦争でオーストリアをどのように打ち破ったのか
・ビスマルクは1870年の普仏戦争でフランスをどのように負かしたのか
・ビスマルクはドイツの統一にどこまで責任があったのか
⚪︎指定された内容
・ドイツのナショナリズム
・ツォルフォアライン(炭鉱業施設)
・1848年のプロイセンの革命
・フランクフルト議会の設立と最終的にもたらされた失敗
・1850年までにドイツにおけるオーストリアからの影響の再確立
• プロイセン大臣・大統領としてのビスマルク
・1871年までのビスマルクの外交政策
シュレースヴィヒ・ホルシュタイン、オーストリア・プロイセン戦争とその結果
フランスとの関係、スペイン継承戦争とフランス・プロイセン戦争、ドイツ帝国の創設
④アメリカで南北戦争(a civil war)が起こった理由とその結果はどうだったのか?
・奴隷制はどこまで南北戦争を引き起こしたのか
・リンカーンの大統領選挙の意義は何だったのか
・なぜ北側が戦争に勝つことができたのか
・戦争は何かを変えたのか
⚪︎指定された内容
・アメリカ南北戦争(1820〜77年)の原因と結果
北と南の違い、奴隷制・奴隷州と自由州・廃止主義、1860年の選挙と南部州の脱退
北の勝利と南の敗北の理由、リンカーンの役割、再建とその成功の範囲
⑤国が19世紀に海外帝国を獲得し、拡大した理由とその効果
・ヨーロッパとアメリカの帝国主義の背後にある動機は何だったのか
・ヨーロッパの帝国主義がアフリカ人に与える影響はどれぐらい多様だったか
・インド人は、なぜ・どのようにイギリスの支配に抵抗したのか
・アメリカ合衆国は、なぜ・どのように旧スペイン植民地を獲得したのか
⚪︎指定されたコンテンツ
• 帝国主義の背景:経済的、軍事的、地政学的、宗教的、文化的動機
• アフリカのヨーロッパ人:フランス、イギリス、ベルギーの帝国主義のケーススタディとアフリカ人への影響
同化と直接支配におけるフランスモデル:ファイデルベとセネガル
間接支配におけるイギリスモデル:ルガードとナイジェリア
ベルギー人と私的帝国主義:レオポルド2世とコンゴ
・インドのイギリス人:1857年の出来事と彼らがイギリスの支配にもたらした変化
• フィリピンとキューバの独立戦争、米西戦争、パリ条約
アメリカ帝国主義をめぐるアメリカでの議論
フィリピン:フィリピン人に対するアメリカの支配の影響
1906年までのキューバへのアメリカの介入
⑥第一次世界大戦を引き起こしたものは何か?
・同盟システムとグローバル外交は、戦争の可能性を高くもしくは低くしたのか
・植民地問題は大国間の緊張をどこまで生み出したのか
・なぜバルカン半島の問題は、大国が解決するのが難しかったのか
・フランツ・フェルディナンドの暗殺はどのように戦争につながったのか?
⚪︎指定されたコンテンツ
• 第一次世界大戦の起源(1890~1914年)
同盟システムと欧州外交システム
1902年の日英同盟
軍拡競争
植民地時代のライバル関係
バルカン半島の発展
1914年6月から7月の危機と戦争の勃発
1919年からの国際関係【セクションA・選択B】
①ヴェルサイユ条約は公正でだったのか?
• ヴェルサイユのビッグスリーの動機と目的は何だったのか
• なぜ勝者は彼らが望んでいたすべてを手に入れなかったのか
• 1923年末までのドイツへの条約の影響はどうだったか
• 当時、条約は正当化される可能性があるか
⚪︎指定されたコンテンツ
• 平和構築プロセスにおけるウィルソン、クレメンソー、ロイド・ジョージの役割
• 条約の条項
• 1923年末までのドイツにおける条約の社会的、経済的、政治的影響
• 条約に関する現代的な意見
②国際連盟はどの程度成功したのか
・連盟の組織とメンバーシップの弱点は、失敗をどこまで避けられなかったのか。
・1920年代の連盟の平和維持の試みはどの程度成功したか。
・リーグの人道的活動はどれほど重要だったのか
・不況は1930年代に連盟の仕事をどこまで困難にしましたか?
⚪︎指定された内容
・連盟の構造、目的、メンバーシップ
・1920年代の平和維持の成功と失敗
ヴィルナ(1920)、アーランド諸島(1920–21)、コルフ(1923)、ブルガリア(1925)
・連盟の人道的活動
難民、健康、労働条件、奴隷制
・1930年代の連盟
満州事変とアビシニア危機の原因、出来事、結果
③1939年のヨーロッパでの戦争の勃発について、ヒトラーの外交政策はどこまで非難されたのか
・ヴェルサイユ条約の長期的な影響は何だったのか
・1930年代の国際連盟の失敗の結果は何か
・融和の方針は正当化されたか
・ナチス・ソビエト協定はどれほど重要だったか
・なぜイギリスとフランスは1939年9月にドイツに宣戦布告したのか
⚪︎指定された内容
・ヒトラーの外交政策の目的、再軍備、ザール、ラインラントの再軍事化
・ローマ・ベルリン枢軸と反コミンテルン協定
・スペイン内戦へのドイツとイタリアの関与
・オーストリアとの併合
・チェコスロバキアとミュンヘン協定をめぐる危機
・ポーランドの危機と戦争の勃発
④冷戦の責任は誰にあったのか
・なぜ米ソ同盟は1945年に崩壊し始めたのか
・ソ連はどのようにして1948年までに東ヨーロッパを支配したのか
・米国はソ連の拡張主義にどのように反応したのか
・ベルリン封鎖の結果はどうだったか
・冷戦を始めたのは誰の責任なのか:米国とソ連のどちらなのか
⚪︎指定された内容
・冷戦の起源
1945年のサミット会議と1945-46年の米ソ同盟の崩壊
1948年までの東ヨーロッパへのソビエトの拡大、およびそれに対するアメリカの反応
ドイツの占領とベルリン封鎖
NATOとワルシャワ条約
⑤米国は共産主義の拡散をどれだけ効果的に封じ込めたのか
・米国と韓国での出来事(1950~53)
・米国とキューバでの出来事(1959~62)
・ベトナムへのアメリカの関与(1955~75)
⚪︎特定された内容(ケーススタディ)
・北朝鮮の韓国侵攻に対するアメリカの反応、国連の関与、1953年への戦争の経過
・ミサイル危機とその余波を含むキューバ革命に対するアメリカの反応
・ベトナム戦争へのアメリカの関与(関与や戦術、戦略、撤退の理由を含む)
⑥1948〜1989年の東ヨーロッパに対するソ連の支配はどのくらい安全だったのか
・なぜ1956年にハンガリーと1968年にチェコスロバキアでソビエト支配に反対があったのか、そしてソ連はこの反対にどのように反応したのか
・1956年のハンガリーと1968年のチェコスロバキアでの出来事はどれほど似ていましたか
・なぜベルリンの壁は1961年に建てられたのですか
・東ヨーロッパにおけるソビエトの影響力の低下に対するポーランドの連帯の意義は何でしたか
・ゴルバチョフは、東ヨーロッパに対するソビエト支配の崩壊について個人的にどの程度の責任を負っていましたか
⚪︎指定された内容
• 東ヨーロッパのソビエト権力
ハンガリー(1956年)とチェコスロバキア(1968年)のソビエト権力への抵抗
ベルリンの壁
ポーランドの連帯
ゴルバチョフと東ヨーロッパに対するソビエト支配の崩壊
深い研究(探究学習)【セクションB】
セクションBでは、1つのテーマを深く掘り下げることになっています。ここでは、少なくとも1つを学習するとされています。
A:第一次世界大戦(1914〜18年)
1 なぜ西部戦線で膠着状態にあったのか
・なぜシュリーフェン計画は失敗したのか
・なぜ1914年末までに防衛戦争が勃発したのか
・塹壕での生活と戦いはどのようなものだったのか
・新しい戦争方法はどれほど重要だったのか?
・ヴェルダンとソンムの戦いの意義は何だったのか?
2 第一次世界大戦はどの程度まで世界大戦だったのか
・西部戦線における大英帝国の軍隊の役割はどれほど重要だったのか
・アフリカにおけるインド軍と南アフリカ軍の貢献は何だったのか
・連合国の勝利への日本の貢献は何だったのか
・アラブの反乱はどれほど重要だったのか
3 他の前線はどれほど重要だったのか
・海上での戦争に勝ったのは誰か
・なぜ1915年のガリポリキャンペーンは失敗したのか
・東部戦線はどのくらい重要だったのか
・戦争が民間人に与えた影響はどうだったか
4 なぜドイツは1918年に休戦を求めたのか
・アメリカが参戦したことの重要性は何だったのか
・なぜ1918年のドイツの攻勢は失敗したのか
・なぜ1918年10月にドイツで革命が起こったのか
・なぜ休戦協定が調印されたのか
⚪︎指定されたコンテンツ
・シュリーフェン計画とその機能
ベルギーを通じたドイツの前進とイギリス遠征軍の影響
ロシア動員の西部戦線への影響
• モンスとマルヌの戦い、海への競争と最初のイーペルの戦い
膠着状態への反応:塹壕と消耗戦争の発展
• 塹壕戦の性質と問題
• 戦車、機関銃、航空機、ガスなどの開発の使用と影響
• ヴェルダンとソンムの戦いの影響
ソンムの戦いにおけるヘイグのリーダーシップと戦術
• 西部戦線における大英帝国軍の役割と経験
ケーススタディ:インド軍、カナダ軍
• アフリカでの戦争
ケーススタディ:ドイツ東アフリカ、南西アフリカ
• アジアにおける日本の貢献
チンタオ包囲戦、シーレーンを確保するための海軍支援
・アラブの反乱
・海上での戦争
ユトランドの戦いとその結果
船団と潜水艦の使用とUボートキャンペーン
• ガリポリキャンペーンの理由と結果
• 東部戦線での出来事とロシアの敗北
• 戦争が民間人に与える影響
• 1918年のドイツの攻撃と連合軍の前進
アメリカの参戦の影響
• 戦争の終わりに向けたドイツの状況
キール反乱とドイツ革命、カイザーの退位
• 休戦
B:ドイツ(1918-45)
1 ワイマール共和国は最初から運命にあったのか
• ドイツは第一次世界大戦の終わりにどのように敗北から抜け出したのか
• ヴェルサイユ条約が共和国にどのような影響を与えたのか
• 1923年以降、共和国はどの程度回復したのか
• ワイマール時代の成果は何だったのか
2 なぜヒトラーは1934年までにドイツを支配することができたのか
・ナチス党は1920年代に何を支持したのか
・なぜナチスは1930年以前にほとんど成功しなかったのか
・なぜヒトラーは1933年までに首相になることができたのか
・ヒトラーは1933年から1934年にかけてどのように権力を固めたのか
3 ナチス政権
(a) 1933年から45年にかけて、ナチスはドイツをどの程度効果的に支配したのか
• ナチス政権にどれだけの反対があったのか
• ナチスは政敵にどの程度効果的に対処したのか
• ナチスは人々をコントロールするために文化とマスメディアをどのように使用したのか
• なぜナチスはドイツ社会の多くのグループを迫害したのか
• ナチスドイツは全体主義国家だったのか
(b) ナチス・ドイツに住むのはどんな感じだったのか
• 若者はナチス政権にどのように反応したのか
• 女性と家族に対するナチスの政策はどの程度成功したか
• ドイツのほとんどの人はナチスの支配の恩恵を受けたか
• 戦争の到来はナチスドイツの生活をどのように変えたか
⚪︎指定されたコンテンツ
• 1918年の革命と共和国の設立
• ヴェルサイユ入植地とそれに対するドイツの反応
• ワイマール憲法、主要な政治部門、軍隊の役割
• 政治的混乱(1919~23)
左と右からの脅威、経済危機とハイパーインフレ、ルールの占領
• シュトレーゼマン時代
経済的成果、外交政策の成果
• ワイマール時代の文化的成果
• ナチス党の初期
ナチスのアイデアと方法、ミュンヘン一揆、ヒトラーと他のナチス指導者の役割
・大恐慌がドイツに与える影響
1930年から1933年の政治的、経済的、社会的危機
ナチスが権力を握る理由
ヒトラーが権力を握る
国会議事堂火災と1933年の選挙
• ドイツのナチス支配
授権法、長いナイフの夜、ヒンデンブルクの死、野党の除去、制御と抑圧の方法
文化とマスメディアの使用
• 再軍備を含む経済政策
• ナチス支配のさまざまな経験
女性と若者、反ユダヤ主義、少数派の迫害、ナチスの支配への反対
• 第二次世界大戦のドイツへの影響
戦争経済への転換、最終的な解決策
C:ロシア(1905-41)
1 なぜツァーリ政権は1917年に崩壊したのか
• ツァーリ政権は1914年までロシアを支配する困難にどの程度うまく対処したのか
• 皇帝は1905年の革命をどのように生き延びたのか
• 第一次世界大戦によって皇帝はどこまで弱体化したのか
• なぜ1917年3月の革命は成功したのか
2 ボリシェヴィキはどのようにして権力を獲得し支配を固めたのか
• 暫定政府は1917年にロシアをどの程度効果的に支配したのか
• なぜボリシェヴィキは1917年11月に権力を掌握できたのか
• なぜボリシェヴィキは内戦に勝ったのか
• 新経済政策はどこまで成功したのか
3 スターリンはどのようにして権力を獲得し保持したのか
• なぜトロツキーではなくスターリンがレーニンの後継者として浮上したのか
• なぜスターリンは大粛清を開始したのか
• スターリンはソビエト連邦を支配するためにどのような方法を使用したのか
• 1941年までにソビエト連邦に対するスターリンの支配はどれほど完全だったのか
4 スターリンの経済政策の影響
• なぜスターリンは5カ年計画を導入したのか
• なぜスターリンは集団化を導入したのか
• スターリンの経済変化はどの程度成功したのか
• ソビエトの人々はこれらの変化によってどのように影響を受けたのか
⚪︎指定された内容
・第一次世界大戦前の帝政統治とロシア社会の主な特徴
1905 年の革命とその余波、改革の試み
・第一次世界大戦とそれがロシア国民に与えた影響
• 1917 年の三月革命
• 臨時政府とソビエト、増大する革命グループの勢力
• 臨時政府の失敗の理由
• ボリシェヴィキの権力掌握、レーニンの役割
• ボリシェヴィキ統治の主な特徴、内戦と戦時共産主義、およびボリシェヴィキが勝利した理由
• クロンシュタット蜂起と新経済政策の確立
• レーニンの死と権力闘争
• 1928年までにスターリンが指導者として台頭した理由
• スターリンの独裁政権
テロの利用、大粛清、プロパガンダと公式文化
• スターリンの経済政策とその影響
ソ連産業の近代化、5か年計画、農業における集団化
• ソ連での生活
社会集団の異なる経験、少数民族と女性
D:アメリカ合衆国(1919-41)
1 1920 年代の米国経済はどこまで隆盛したか
• 好景気はどんな要因に基づいていたのか
• なぜ一部の産業は繁栄し、他の産業は繁栄しなかったのか
• なぜ農業は繁栄を享受できなかったのか
• アメリカ人全員がブームの恩恵を受けたか
2 1920 年代に米国社会はどこまで変化しましたか?
• 「狂騒の 20 年代」とは
• 不寛容は米国社会にどの程度蔓延したか
• なぜ禁酒法が導入され、その後廃止されたのか
• 1920 年代に女性の役割はどの程度変化したか
3 ウォール街暴落の原因と結果
• ウォール街暴落の原因はどこまで投機にあったのか
• 暴落は経済にどのような影響を与えたか
• 暴落の社会的影響
• なぜルーズベルトは 1932 年の選挙に勝ったのか
4 ニューディール政策はどの程度成功しましたか?
• 1933 年に導入されたニューディールとは
• 1933 年以降、ニューディール政策の性格はどの程度変化したか
• なぜニューディール政策は反対に遭ったのか
・ニューディール政策にも関わらず失業が続いたのはなぜか
• ニューディール政策が失業を解決できなかったという事実は、ニューディール政策が失敗だったということを意味するのか
⚪︎指定された内容
・1920 年代の米国経済の拡大
政府の政策、自動車およびその他の消費財産業における大量生産
古い産業の運命、クレジットと割賦購入の発展、農業の衰退
• 1920 年代後半までに経済が低迷
• 1920 年代の社会
「狂騒の20年代」、映画およびその他のメディア、禁酒法とギャング行為
入国制限、「赤狩り」、宗教的不寛容、アメリカ黒人に対する差別
クー・クラックス・クラン、女性の役割の変化
• ウォール街暴落とその金融的、経済的、社会的影響
• 暴落に対するフーバー大統領の反応
• 1932 年の大統領選挙、フーバーとルーズベルトの計画
• ルーズベルト大統領の就任式と「百日天下」
• ニューディール法、「アルファベット機関」とその仕事、経済的および社会的変化
彼らが引き起こしたニューディール政策への反対
共和党、お金持ち、ビジネス上の利益、最高裁判所、ヒューイ・ロングのような過激な批評家
• 失業と不景気対策におけるニューディール政策の長所と短所
E:ヨーロッパとアジア太平洋における第二次世界大戦(1939〜1945年)
1 ヨーロッパにおける第二次世界大戦の発展
• 1940 年にナチスドイツはヨーロッパをどの程度支配したか
• なぜドイツはイギリスを征服できなかったのか
• なぜヒトラーは 1941 年にソ連に侵攻したのか
• スターリングラードの戦いが転換点となったのはなぜか
2 アジア太平洋における第二次世界大戦の発展
• 日米関係はどのように悪化したのか
• 日本の真珠湾攻撃はどれほど成功したか
・なぜ日本軍は戦争の初期段階で勝利を収めることができたのか
• なぜミッドウェー海戦が転換点となったのか
3 戦争はヨーロッパとアジア太平洋地域の民間人への影響
• イギリス (1940 ~ 1941 年) とドイツ (1943 ~ 1945 年) への爆撃は民間人にどのような影響を与えたか
・日本の統治は人々の生活にどのような影響を与えたか
• ナチス占領下のヨーロッパにおける民間人はどのような経験をしたか
• ヨーロッパとアジア太平洋における抵抗運動はどの程度効果があったのか
4 連合国はどのようにして枢軸国に対して勝利を収めたのか
• 連合国軍のイタリア進軍の重要性
• なぜナチスドイツは 1945 年 4 月までに崩壊寸前になったのか
・なぜ連合国は日本に対して勝利を収めることができたのか
• 連合国はどのようにしてドイツと日本での勝利を強固にしたのか
⚪︎指定された内容
・1940 年のドイツのヨーロッパ征服の範囲
フランスへの侵攻と降伏、フランスのヴィシー政権、ダンケルク、ドイツ軍は英国侵攻を計画(アシカ作戦)、バトル・オブ・ブリテンとその結果
• バルバロッサ作戦とナチスの初期の成功
• スターリングラードでのドイツの敗北とその影響
• 日本軍の真珠湾攻撃の理由とその結果
• 1942 年初頭までに東南アジアで日本が初期の軍事的成功を収めた理由
ケーススタディ: マラヤとシンガポール
• ミッドウェー海戦とその影響
• ヨーロッパの人々の生活と士気に対する爆撃の影響
ブリッツ、連合軍によるドイツの都市爆撃
• 日本の統治が人々の生活に及ぼす影響
ケーススタディ: マラヤとシンガポール
• 占領下のヨーロッパにおけるナチスの支配の影響
ケーススタディ: ポーランド、ホロコーストに至った状況とその影響を含む
• マラヤとフランスにおける抵抗運動の方法と効果
• 連合軍のシチリア侵攻とイタリアにおけるドイツ軍に対する勝利
• 1945 年のナチスドイツの崩壊と降伏
ノルマンディー上陸とドイツへの進軍、東からのロシアの進軍
・日本の敗戦の理由
ガダルカナル島の戦いと沖縄の戦い、米国のアイランドホッピング戦略、日本への原爆投下、原爆使用の決定とその影響
• 勝利の確固たるもの
連合国によるドイツと日本の占領と支配、ニュルンベルクと東京での戦争犯罪裁判
まとめ〜単元の「問い」が中心の学び〜
日本との学び方の違いの1つとして大きいのは、「何を学ぶか」だけではなくその時代のテーマとなる問いを中心にいくつもの問いを通じて学習が進むところにあります。もちろん日本の教科書にも重要な問いがいくつも掲載されていますが、それが試験として出されるような形式はあまり目にしたことがありません。そもそも、記述型ではなく論述型(答えが決まっていることを書くのではなく、自分で論点を設定して展開するタイプ)は評価規準がしっかりと定められていないと評価をする側が対応できないということが多いのかもしれません。私が記述試験を導入した時も、「それだけ生徒が色々な文章を書いてきたら評価をどうするのか」という質問が多かったような気がします。そのため、教員がこれまでに取り入れたことのない評価の規準について学べる機会がまず必要なのではないでしょうか。観点別評価などは評価規準を明確にするために設定された概念だと思いますが、このような考え方の本質をしっかりと理解するためにも教員自身が学ぶ機会を確保することが必要だと強く感じます。
それでは次回は、IGCSEの歴史で行われる評価(試験)と評価基準について英語で書かれたものを日本語にして記録していきたいと思います。
<参考URL>
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