![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/106502328/rectangle_large_type_2_141634fa7e342816bdbeaf359a26f5c6.png?width=800)
自分の考えや意見をはっきりと表明できる人とできない人〜継承語クラスのサポートで感じたこと【304】
日本語モノリンガルと日本語マルチリンガル
みなさんは、今からお伝えするどちらの環境の子どもが「日本語での議論」が得意だと考えるでしょうか?
1つは、オランダで継承語あるいは複数言語の1つとして日本語を学ぶ子たち、そしてもう一方は、日本に暮らしガッツリ日本語で学校教育を受けている子たちです。それらを比べた時、どちらの子の方が議論が得意なのでしょうか?
この問いに対する私の考えを記しておきたいと思います。
その答えとして、まず私が最初に強調して言えることは、それを決まるのは言語に触れた量ではなく、家庭の言語の質や通っている学校の学習カリキュラムによるということです。日本語が限られている環境で育ち、日本語とは異なる言語で学校教育を受けている場合であっても、家庭や学校教育の中で自分の考えを話す機会があり、プレゼンや議論などの機会が十分に用意されている子たちは、たとえ日本語が第二言語でもミックスの状態でも、こちらが与えたテーマで議論することができます。
その一方で、日本語が母語であり日本で暮らし、日本語で学校教育を受けている子たちでも、学校教育の中でそういったトレーニングを受けていない子は、議論となった時に自分の考えを話すことができません。
それは私が3年間日本に暮らす子たちと、海外で日本語を学ぶ子たちの両方をサポートしてきて気づいたことです。
他の言語から「転移」する議論のためのスキル
この話から分かることは、議論などの力は言語の力だけでなく、他の言語で身につけたことであってもそれが転移して、その力を発揮するということです。
私は言語習得に関して学んだ時に、「二言語基底共有説」という考えがあることを知りました。これは、一見別個に存在するように見える言語でもそれらの言語能力には共通する部分があり、相互に関連しているということを示しています。
レッスンで感じる「考えたことを表現する力」の違い
私は現在、オランダのデン・ハーグで子どもたちの日本語学習のサポートをしています。また、日本の子どもたちにもオンライン家庭教師という形で学習サポートをしています。
授業をしていると、いつも全く議論が深まらない時もあれば、とても議論が深まったなと感じる時がこれまでありました。そして、最近ふと「その違いは何なのだろうか」と考えるようになったのです。
議論が止まらない小学校高学年と中学生の日本語クラス
教室で日本語のレッスンをする時、小学校の高学年や中学生クラスでは議論が活発です。日本とオランダの違いや、子どもたちがこれまでに生活してきて感じることなど、何かのテーマについて話し始めると、自然といろんな子たちが自分の考えを積極的に表現してくれて、日本語レッスンとしてはとても充実したものになります。
先日、私がイタリアのローマに行った時に、妻が地下鉄に乗っている時に「財布をスられた」という話をしました。すると、子どもたちからは家族が同じような経験をしたことや、フランスのパリやスペインのバルセロナでもそういった被害が多いことを話してくれたのです。
さらに話は広がり、ある子の自転車がオランダで盗難に遭ったなどの話になり、最終的には国の経済やヨーロッパの地域によって全く異なるというところまで話が広がりました。
一方で、日本で学ぶ子たちにその話をしても「えー怖い」ぐらいで全く話が広がりません。ひょっとしたらヨーロッパの話題だったのが理由であまり身近に感じられなかったかなと思い、日本ではマスクの着用についての問題や、国の防衛費、若者の自殺率の高さなどいろんな話題を複数回にわたって話してみました。しかし、「そんなことより早くテストのための授業をしてくれ」というような雰囲気で、あまりそれに対して自分の考えを表現したりすることはありませんでした。
テストのための勉強ももちろん大切です。しかし、世の中のことについて考えたり、いろんな人と議論する機会がないまま授業が行われ、テストで評価されないければ勉強をしようと思えないような教育をしているのであれば、それは社会で生活するために必要な大切なものを失っているのではないでしょうか。
マルチリンガルの環境が思考力を刺激する
ここまでは学校のカリキュラムの違いから、子どもたちが自分の考えをどれだけ表現できるのかについて考えてきましたが、複数言語を学ぶ子たちに備わる分析力や思考力も影響していると考えられます。
複数の言語を習得している子は、同じものでも呼び方が違うとか、複数の文化を体験しています。こちらの文化では礼儀として必要とされていることが、もう一つの文化では無礼にあたるなど、日常生活の中に自ずと2つのものを比較して分析する機会が設けられています。また、相手の文化や考えに合わせて自分を適応させる力もあるので、判断力や適応力も高いとされています。
このように、日々の中で思考・分析することによって、物事を狭くとらえることなく「世の中にはいろんな考えがあるんだ」ということを体感しているからこそ、そういった議論の力になっていると考えることもできるかもしれません。
私自身もこれまで日本の教育しか知らなかった頃よりも、オランダの現地校での様子やいろんなインターナショナルスクールに通う子たちの話を聞いて、学校教育に対する視野が広がったように感じます。
やはりいろんなことを比較・分析する力が議論する力と結びついているように思います。
以上が最近の授業で感じた子どもたちの表現力について考えたことでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?