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私たちの現在について考える-『ホモ・デウス-テクノロジーとサピエンスの未来』で学んだこと⑦ 【Aflevering.133】

 『ホモ・デウス-テクノロジーとサピエンスの未来』(以下、『ホモ・デウス』)を読み、私が考えたことをまとめています。
 今回が最終のテーマとなり、私たちが生きる「現代」は一体どんな社会なのかについて考えていきたいと思います。

本書を活かした生徒たちへの「問いかけ」

 現代社会について考える上で、生徒たちと一緒に考えたいと思える問いをいくつか思いつきました。いつか本書を生徒たちと一緒に分析するような授業をしてみたいです。

①暴力と砂糖のどちらが危険?
②世界規模の戦争がここ最近起こらないのはなぜか?
③誰もが情報にアクセスできる現代において、「情報の価値」はどう変化したか?
④子育てや教育に正解はあるのか?
⑤高度に情報化し、遺伝子工学が発達した社会では何が起こると考えられるか?

 ユヴァル氏が読者に与えてくれる、これからの社会を考える上でのヒントを活かして授業を進めたいと考えています。これは歴史の授業に関わらず、日本語の授業や小論文の授業にも活かしていきたいです。

①暴力と砂糖のどちらが危険?

 私たちの生活は大きく変化し、それとともに人の死因もまた大きく変化しました。かつて戦争のあった時代の人々が今の時代を見たら、どのように感じるでしょうか。

②世界規模の戦争がここ最近起こらないのはなぜか?

 かつてIB(国際バカロレア)生の授業をしていた時に、栗本慎一郎氏の『パンツをはいたサル』で述べられていた、人間が持つ「遺伝的に備わった攻撃性」について議論したことがあります。
 争いごとがつきものと考えられている人間が、現代では世界規模での戦争を起こさないのはなぜなのかについて『ホモ・デウス』に書かれている考察はとても印象的でした。
 この問いかけ自体、いろんな考えが出てくる可能性が高いので、生徒たちとの議論も深まるのではないかと考えています。

③誰もが情報にアクセスできる現代において、「情報の価値」はどう変化したか?

 中世ヨーロッパでは聖書に関して、ラテン語が分からない人は内容を自分で理解することができませんでした。当時は、情報にアクセスできるかどうかが鍵となっていましたが、現代では情報自体には誰もがアクセスできる時代に変わりました。
 そして、どの情報が正しくて、どの情報が信用性が低いのかを見分ける力がこれから求められる中で、日本の教育がそこにどのような役割を担うことができるのかがとても気になります。

 私が2年前から興味を持ち始めたIB (国際バカロレア)には、「学問的誠実性」という用語があります。その中で、何かを調べた時の情報源は必ず明記するように指導されます。
 私がかつて日本の高校現場にいる時は、ウィキペディアで調べたことをそのまま発表で使っている生徒がいて驚きました。その時に、情報の扱い方を子どもたちにきちんと伝えていかなければならないと思いました。

 前述のように、情報が少なく偏りがあった時代は、情報そのものへのアクセス権に価値がありました。その一方で、誰もがある一定の情報に触れることができ、むしろ情報溢れかえっているのが現代の特徴です。その「情報の価値」の違いを考えながら、私たちに求められるのは、一体どんな力なのかについて考えていきたいと思います。

④子育てや教育に正解はあるのか?

 およそ100年前では当たり前であった「子育て論」が現代では通用しないことがたくさんあります。
 本書の中の事例をいくつか読んでいく中で、教育にある「虚構」にも、現実とのバランスを保っておかないといけないということを強く感じました。

 現在の教育現場では当たり前とされている「成績」や「平均点」についても、「虚構」として見る必要があります。それがなぜ重視されるのか、これはどのような意図で教育制度に入ってきたのかについて知ることで、新たな方向性が見えてくるのかもしれません。

 学校の教員をしていた時は、学校以外の自分の時間を持つことができず、社会が今どうなっているのかを捉えにくい状態でした。休みの日も学校に行かなければならないため、同質的な集団でいることに慣れてしまい、外の世界を見ることを疎かにしていました。
 そして、学校内での業務に追われて、学校の中ばかりに目がいってしまっていたことを覚えています。特に授業に関しても、進度の調整や試験問題の内容についてのしがらみがたくさんあり、なかなか自分らしい授業はできないままの期間が何年も過ぎて行ったことを覚えています。

 仕事やプライベートでも実社会とのつながりを感じつつ、今の子どもたちに必要なことは何かを感じて考える時間が、教員にはあって欲しいと思います。そして、子どもたちも一緒になって「教育」を一緒に考えていきたいと思います。

⑤高度に情報化し、遺伝子工学が発達した社会では何が起こると考えられるか?

 これは『ホモ・デウス』の中で最も重要なトピックなのではないでしょうか。今の経済格差がやがて、圧倒的な生物的格差につながると本書では指摘されています。さらに、人の労働力への需要が低下することによって「無用者階級」と呼ばれる新たな階級が誕生し、労働力すらも求められない人々が生まれた時、これまでのような社会保障が機能するのかどうかという観点で述べられていました。

悲観するだけでなく、楽観視することも大切

 高度に情報化した社会では、あらゆる物事のスピードが速くなり、私たちは日常生活でストレスを抱えやすくなりました。しかしその反面、その利便性を有効に使うこともできます。

 本書の中で紹介されていた「アルゴリズム」を使ったカーシェアの話では、アルゴリズムの進展により、今世界に存在する自動車の数よりも圧倒的に少ない数で事足りるそうです。こういった環境に配慮した生活も、情報化社会の中では目指せるのではないでしょうか。

 私は社会科の授業準備をする時、資源や環境について調べているととても不安になる時があります。しかし、現実を受け止めるからこそ未来のために何ができるのかを考えることもできると思います。だからこそ、世の中のリアルを子どもたちに伝えることを忘れないように、常に自分の中でも授業で「やらなければならないこと」と「やりたいこと」のバランス、つまり「虚構」と「現実」のバランスを取りながら授業をしたいです。

<参考文献>
・ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之 訳『ホモ・デウス(上)-テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房、2018)
・ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之 訳『ホモ・デウス(下)-テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房、2018)

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