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SMよ、人生をひっくり返してくれ⑥ ミルキーウェイで逢いましょう

どうやって入ればいいのか?

ついに、SMバーの扉を開く日がやってきた。
夜8時、コロナ騒ぎなどなかったかのように賑わう五反田の繁華街を、友人Aちゃんと人を避けながらキョロキョロと周囲を見回しつつ歩く。目指すは「ミルキーウェイ」というお店。なんともロマンティックな名前だが、天の川ではなく三途の川だったらどうしよう。緊張のあまり、腹ごしらえに食べた長崎ちゃんぽんを少し残してしまった。

場所が非公開だったため、メールで住所を聞いていた。「わかりづらい場所なので、近くまでいらっしゃったら電話で案内しますよ」と言ってくれたため、電話をかける。
Twitterのメンションで伝えていた来店時間からは、30分も過ぎてしまっていた。恐縮しながら名前を告げると「あ~、どうもどうも!」とやたらにノリのいい男性が、丁寧に道順をナビしてくださり、無事に店のあるビルまでたどり着くことができたのだった。

ビルを前にして、思わず息をのむ。この街に普通に飲みに来たのだったら絶対に見過ごしていただろう、何の看板もなく古びた雑居ビル。エレベーターはない。狭い階段を4階まで上ると、緊張のせいか空気さえ薄く感じた。いったいここは標高何メートルなのか。長崎ちゃんぽんも口から出てきそうだ。目を白黒させる私を見て、Aちゃんが半笑いで「大丈夫大丈夫」と励ましてくれた。後からわかったのだが、Aちゃんは私の付き添い程度の感覚だったので、だいぶ気楽だったらしい。しかも、仕事で懇親会があったとかですでにビールを何杯かひっかけていた。
我に返ると、目の前には、店というより住宅という感じの茶色いドアが沈黙している。その手前には使い古されたビニール傘が刺さった傘立てがあり、さらに「家感」を増幅させている。表札のあるべき場所には、ファンシーな飾り文字のタイルが行儀よく並んでいた。

M・I・L・K・Y・W・A・Y。
ここで間違いない。

店内は見えない。入店の説明書きも一切ない。どうやって入ったらよいのものか。ドア脇のインターホンを押すべきか、それとも――とゆっくりドアノブをひねってみたが開かない。そりゃそうか、勝手に変な人に入ってこられたら嫌だもんな。いや、変な人はいったいどっちだ?
いたし方なくインターホンを押すと、「はーい」と明るい声。相手に名前を告げるとすぐさまドアが開き、黒いTシャツの男性が笑顔を見せた。先ほどの電話の人だった。

玄関は暗い。文化祭のお化け屋敷のように手前に黒い布が垂らされていて、奥は一切見えない。そこで靴を脱ぎ、まずはお店の人から店内ルールの説明を受けた。

ちなみにこの日、Aちゃんは仕事帰りのため白いポロシャツの下にモノトーンの花柄スカート&ハイテクスニーカーという活動的な出で立ち。私は一応、Mの方に失礼のないように小ぎれいなベージュのブラウスとおそろいの色のロングスカート。Mの方を足で踏むことを想定していたので、靴は迷った。ハイヒールは持っていないので購入も考えたが、そもそも歩きづらい靴は苦手だ。「自分のために行くのに、相手に迎合してどうする」と踵のフラットなエナメルのビットローファーで挑んだ。
でもまぁ、靴を脱ぐシステムだったので、足元問題は杞憂に終わったわけだけど。

店内ルールは、ラミネートされたA4の紙に裏表ぎっしり書いてあった。
ネットで事前に読んだ内容の他には、「住んでいる場所や勤め先、年齢がわかるような会話はしないこと」「他のお客さんが写りこむ写真撮影はNG」「連絡先の交換は禁止。例外としてTwitterのアカウント交換はOK」などと多岐にわたる。お客さん同士のトラブルがないように試行錯誤された結果なのだろう。

自己紹介から始まる

すべては覚えられなかったが基本的な心構えを理解し、ロッカーに貴重品を預けたAちゃんと私は、晴れて垂れ幕をくぐることを許された。

じゃじゃーん。
店内の第一印象は「楽しいサークルの部室」というイメージだった。十畳ぐらいの絨毯の部屋。壁にはロープや鞭などの道具がたくさんかかっており、床には座卓のような黒いローテーブルがラフに並べてある。中には7、8人くらいの人がいて、くつろいで座っている人、何かに取り組んでいる人など様々だ。
足元に目を落とすと、正座をした男性2人がじっとこちらを見上げている。初対面の相手をそんなにまっすぐな眼差しで見られるものなのか。

「いやー、このお二人はずっと待っていたんですよ。もう期待値が高くて」
と、先ほどのスタッフさんが紹介してくれた。
「え、もしかしてTwitter見て、来てくださったんですか? もしかして、Mの方ですか」
「そうですよー」
とスタッフさん。
なんと、虐待克服を兼ねた怒りの練習台であることを知りつつ、それに付き合ってくれるという方が2人も来てくださるとは。感動で胸が詰まった。
M男=中年というイメージが勝手にあったのだが、お二人は20代後半か30代前半くらいの、思ったより若めの人だった。一人は小柄で肉づきがよく、ドラえもんのジャイアンを小さくかわいくしたような感じ。もう一人は、丹精な顔立ちで平成ノブシコブシの吉村に似ていた。

「じゃあ、まず自己紹介しましょうか」
と、スタッフさんがイニシアチブを握り、皆さんがニックネームと性癖を簡単に教えてくれた。我々はまさにサークルの新入部員のような扱いだ。みんなが優しい。お客さんは年代も見た目も様々で、中には緊縛を習っているスペイン出身の人もいた。日本の伝統芸能を習う感覚なのだろうか。
M男のお二人もニックネームを教えてくれたが、大切な名前かもしれないので、ここでは伏せて仮名にする。ジャイアンは「腹にパンチされるのと、くすぐりが好き。我がままなタイプのM男です」と教えてくれ、吉村氏は「叩かれるのは得意ではないが、相手が喜ぶ姿を見るのが喜びです」ということだった。

私も自己紹介をした。
「あのー、重いかもしれないんですけど、ぶっちゃけちゃっていいですか?」と前置きすると、吉村氏は「もちろんですよ。ここはそういう場ですから」と頷いてくれた。
そこに勇気をもらって、私は母親から殴られる、罵倒されるなどの環境で育ったこと。その影響もあって、怒りの感情をうまく処理できないこと。その克服のために「誰かに暴力をふるう」という立場を経験したかったことなどを手短に話した。最後に
「プロの女王様が”飴と鞭”を使い分けるとかサービス精神にあふれているのに、私はこんなに自分勝手な不純な動機ですみません。この話を聞いて、お二人が率直にどう感じるか、すごく気になってます」
と締めくくった。二人の反応が怖かった。

すると間髪入れず、ヒデさん(仮名)と名乗った最初のスタッフさんが「大丈夫!ここに来るのは不純な人ばかりですから~」と、冗談めかしたフォローを入れてくれた。たぶんものすごく空気を読んでくれているのだ。
ジャイアンはSM歴が長いらしく、
「SMには、加虐・被虐で成り立つ関係のほかに、支配する・されるという精神的な面で成り立つ関係もあります。こうあるべきという『型』があるわけでないので、自由でいいと思いますよ」
と真面目に感想を返してくれた。おそらく、私がやろうとしているような暴力による関係性もありだし、プロのS嬢のように精神面が重視する関係性どちらもありだということだろう。M男歴3カ月という吉村氏も
「ボクは、叩かれたら痛いは痛い。快感にはならないんですよね。でも、相手の人が『それをしたい』というなら、させてあげたいし、奉仕したいんですよ」
と、まっすぐな眼差しを向けてくれた。

ここで「他人の思想を否定しない」という店内ルールが生きてるのかとも思ったが、それだけではなく、二人とも心から言ってくれているように感じた。胸に温かいものがじんわりと広がっていくようだった。

Aちゃんは深くは語らず、私の友人であることと付き添いのつもりで来たこことを話して、自己紹介タイムは終了。
女性はフリータイム飲み放題で3000円(私はTwitterで来店予告をしたので1000円引きだった)。人体に危険な「縛り」をしなければアルコールはOKということで二人でビールを注文し、ジャイアン&吉村氏他みなさんと乾杯。

しばらく雑談をしていたが、私は「その先のこと」をしにきたわけだし、先方もそれを望んでいることだろう。
「あのー、じゃあちょっと試してみてもいいすか?」と口火を切ると、ジャイアンと吉村氏は「はい」と居住まいを正した。二人の瞳の奥が、きらりと光ったように見えた。

(続く)


カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!