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SMよ、人生をひっくり返してくれ⑮ アメリカのSM、日本のSM

1カ月のブランクに焦りだす

SMデビューから1か月が経った。
やはりM男さんをしばかないと、心の中の女王様がだんだん薄く弱くなっていく。本当は、関西在住のHちゃんからラブコールがあり一緒に大阪のSMバーを開拓するつもりだったのだが、ある理由から中止になりしばらく鞭を振るう予定がなくなったのだ(この理由についても興味深かったので、いつかまた)。

「ああ、早くSMバーに行かないと、またゼロの弱い自分になってしまう」と焦る私に、半透明になった女王様がふっと不敵な笑みを浮かべた。

「あたしはまだ消えないよ。それより、あんたはまだ片付けなきゃいけないことがあるだろう?」
「そうなんです。私、SMの世界についてちゃんと知りたいんです。自分は今、どんな場所に首を突っ込んでいるのか俯瞰で把握しておきたくて。そうしないと先に進めない気がするんです」
「ほお、それはいい心がけだね」
女王様は舌なめずりをした。ちなみにどうでもいい情報だが、そのお顔はテレビドラマ『お水の花道』の頃の財前直見と、セクシー女優の故・紅音ほたるを足して2で割ったようなきつめの美人だ。女王様は、私を見下ろしながら続ける。
「でも的を絞らなきゃ、得たいものは何一つ得られない。で、具体的に何が知りたいんだい?」
「いくつもありますが――。そもそもSMバーって、いつから日本にあるんですか?」
「う・・・、それは知らないね」
「え、知らないんですか。じゃあ質問を変えますが、鞭と縄を使うようなプレイスタイルって世界共通なんですかね? ほら、文化とか宗教って国によって違うから」
びしっ!!! 女王様は鞭を地面に叩きつけた。
「つべこべうるさいね! 知る訳ないじゃないか!! だって、あたしはあんたの頭が作り出した虚像だよ。あんたの知識以上の知識はないのさ。そんなことは自分で調べな」
女王様は、ぶつぶつ言いながら去っていった。

まずは、日本のSMの歴史が知りたい。私は、資料を探してみることにした。

「SM」という言葉はメイド・イン・ジャパン?

手始めに、いくつかの本と論文を探す。
SMなんてテレビ番組のコントにもなるぐらい大衆化されているのだから、文化論や通史なんていくらでもあるだろうと思ったが、1冊でざっくり全体を網羅しているようなものは意外と見つけられなかった。
緊縛に特化した文化史はあったのだが、「やはり鞭と縄はセットでSMだろう」という勝手な思い込みがあり、このときは手に取らなかった。

そんな中で見つけたのが、日本のサドマゾヒズムとSMの研究をしているという福岡女子大学の准教授、河原梓水(かわはら・あずみ)の論文『現代日本のSMクラブにおける「暴力的」な実践:女王様とマゾヒストの完全奴隷プレイをめぐって』だ。

これは日本とアメリカのSM文化を比較しながら、アメリカのSMの規範を再考したものだ。読んでまず驚いたのは、アメリカでは「SM」という言葉はあまり使われず、「BDSM」という言葉が使われているということだ。
WikipediaによるとBDSMとは、「B」Bondage(ボンデージ/拘束)、「D」Discipline(ディシプリン/躾や調教、懲罰)、「SM」Sadism & Masochism(サディズム & マゾヒズム/加虐性欲・被虐性欲)の頭文字で、好んで残虐なことをする性的思考のことをまとめてこう呼ぶらしい。

そもそも「SM」という呼び方自体が、日本で生まれたらしいのだ。団鬼六のエッセイ『SかMか』(朝日新聞出版)では、団鬼六本人が「SMという言葉をつくったのは自分だ」と言っている。

一九四〇年代の後半、大阪で創刊された「奇譚クラブ」によって、この世にSM趣味者という具体的な階級層があることがはっきりわかったが、次に一九五〇年代半ばに東京で創刊された風俗雑誌「裏窓」には表紙の副題に「サディズム・アンド・マゾヒズム・コーポレーション」という長たらしい名がついていた。
そんな長ったらしい副題では不都合だから、単に頭文字だけを取って「SM」雑誌とした方がいいのではないか、と私が編集長に提案したように思う。

団鬼六『SかMか』(朝日新聞出版)

「奇譚クラブ」といえば、SM誌の先駆けとして私も何度かは耳にしたことがあるほど有名な媒体だ。しかし、その奇譚クラブでさえも当時はまだSMという言葉は定着しておらず、連載されていた氏の『花と蛇』はサド小説、沼昭三の『家畜人ヤプー』はマゾ小説と呼ばれていたそうだ。

SMという言葉、現在はどこまで普及しているのだろう?

海外、例えばイギリスではどうだろうと、試しにネットの画像検索で「london sm」と打ってみたら、検索結果はなぜか腕時計の写真で埋め尽くされた。どうやら「SM London」というメーカーか店があるらしい。一方で「london mistress」と打つと、安定の女王様が勢ぞろいだ。

日米の呼び分けを見ると、アメリカのほうがなんとなくマニュアル的というか厳密な印象がある。その違いはどこからくるのか? アメリカのSM文化の成り立ちを知ると「なるほどなぁ」という気にさせられるのだ。

会社では降格され、歯医者で治療もできないSM愛好家

河原梓水氏の論文によると、アメリカのSM愛好家はかなりハードな歴史を歩んできたようだ。

世界的な流れとして、サディズムとマゾヒズムは、19世紀末ごろに精神医学分野の病理概念として誕生したが、最初は主に、快楽・猟奇殺人犯や猟奇殺人犯、悪質な暴行犯や性犯罪反などの「犯罪者」が想定されていたそうだ。
それが時代を経るごとに範囲が拡大され、お互いが合意の上でSMを楽しむ恋人同士など「合法な趣味人」たちもサディストやマゾヒストと呼ばれるようになったそうだ。

ここまでは日本もアメリカも同じ。
しかしアメリカでは、愛好家への強烈な差別があった。

SMに関わることで、会社で昇進を妨害されたり、借りていたアパートから追い出されたり、歯医者から治療を拒否された上に看護師から除菌スプレーを浴びせられた人もいたと論文には書いてある。さらには2013年まで、SMコミュニティの中ではそれが理由で親権を失うこともあるということが問題になっていたらしい。

それは世間から彼らが、猟奇殺人犯などと一緒くたに捉えられていたことが原因だったという。だから彼らは1970年以降、いくつものSM愛好者組織を結成し、ディスカッションや教育プログラムを実施し、業界のあり方を変えようとした。
その上で彼らが世間に対してアピールしたことが、論文では次のように書かれている。

(前略)SMの実施方法を、事故や争いのないものに「洗練」させ、SM愛好者には理性があり、同意の上でエロティックな遊戯を楽しんでいるだけであり、猟奇殺人犯やレイプ犯とは異なるのだということを対外的にアピールしていく。

河原梓水『現代日本のSMクラブにおける「暴力的」な実践:女王様とマゾヒストの完全奴隷プレイをめぐって』

そんなこともあって、欧米ではいまだにサディストやマゾヒストと聞くと、病的なイメージが想起されるそうだ。「私ドMなんですぅ~」とか「俺、Sだから」と軽口の叩ける日本とは大違いなのである。

そのため、欧米のBDSM愛好者は、サディストよりもトップやドム、マゾヒストよりもボトムやサブを自称する傾向がある。さらにサディストやマゾヒストは、本人の欲望に焦点を当てた呼称であるが、トップとボトム、ドムとサブは、関係性や役割に焦点を当てた呼称である。

同上

業界改革はまだある。1983年には、SM愛好者組織のひとつ「ゲイSMアクティヴィスト」(GMSMA)の委員会メンバーによって「SSC」というスローガンが発案され、これがSMの脱病理化に大きく貢献したそうだ。
SSCとは、「安全で、正気で、同意のある」(Safe, Sane, and Consensual)SMを意味するとのこと。
「同意のある」=カップリングが重要視されたため、どうやらその関係は個人間で繋がれることが多い様子。日本のようにSMクラブやバーなどの商業SM店に行くというより、プライベートの大規模コミュニティやSNSで相手を探すことが多いように読み取れた。

きっとこれは、セクシャルマイノリティの一部なんだと思う。『The Greatest Showman』という映画に『This is Me』という歌があったけど、あの歌詞の通りだなと思う。批判されても、居場所をその権利や自由を勝ち取るために団結して改革を起こすところは、すごくアメリカっぽい。

さてその一方で、日本のSMはアメリカとは違う道をたどってきたようだ。

(続く)

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!