ヒレンジャクをみた朝
弥生の休日。
昨日まで「三月中旬ってこんなに寒かったっけ」と話してたが、今朝はもう風も暖かい。
今日は燃えるごみの日だ。
家中の屑箱をまわる。
来月には中学生になる末の子に声をかける。一緒に行くと言う。
公民館にある収集場まで歩く。
途中、たわいもない話をする。
数年前から彼の頭の中に空想の王国ができている。たくさんの素直な住人たちがいる国の王様、という設定だ。日に日に細部ができていくので、話を聞くことはとても面白い。私は王の父なので、普通の人は入れぬ彼の国にも特別に入れるらしい。身に余る光栄である。今日は王国で何があるのかイベントを教えてもらいながら歩く。
もう水溜まりは凍らない。
公民館の入り口から素直に入ればいいのだが、子どもと一緒に歩くときは素直ではない道なき道を歩く方が多い。たぶん多くの子どもがそうだと思う。というわけで、法面の急斜面を駆け上がって行く。まだ雑草は少ないので歩きやすい。
三年前は上がれなかった。
二年前は手を使って上れた。
今は簡単そうに上がる。
収集場に着く。ごみ袋をちょっと離れた場所から投げ入れる。ナイスシュート。
ふと聞きなれない鳴き声。頭上をみると鳥の群れ。
羽の一部が赤い。珍しい、
「ヒレンジャクだ」と私。
「・・・ヒレンジャク?」
「うん、羽の先が赤いよね」
「ほんとだ。きれいだね。初めてみた」
きれいと思えば素直にそう言える感性が尊いと思う。
しばらく公民館のまわりで遊ぶ。
保育園のときからコンクリートで固めた貯水槽の上で相撲をするルーティンになっていた。前は兄弟三人でぶつかってきても平気だった。今は一人でも力加減不要で負ける。
おいかけっこをして汗だくになる。
ゴミ捨てに30分かかる。楽しい。
こんな当たり前の朝が続かないことは十分わかっている。上の二人もあっという間に大きくなってしまった。
来年もゴミ捨てを一緒にしてるとは思えない。子どもの成長と共に過ごし方も変わる。違う過ごし方も楽しいこともわかってる。
だから、寂しいと思ってはいけないんだけど。
ヒレンジャクをみると、このなんでもない朝を思い出すことになるのかもしれないな、とふと思った。
幾ばくかの切なさと暖かさと共に。