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無気力な自分に話したくなる「自堕落脱出」の話

どうも、こんにちは、こんばんは。
起業屋さんのYoshinoです。

今日もいい天気で無気力で困ってしまいますね。
朝ベッドから体を起こすのが億劫なら働くのはもっと億劫です。

夜寝るのも億劫なのに朝起きるのも億劫とはこれ如何に。

スマホでいつも開いているアプリを開くのは面倒くさくないのに仕事でパソコンを開くのは面倒くさい。

嗚呼……
自分はなんてダメ人間なんだろう。

こんな風に危機感だけが募りつつも、やる気の感じられない自分を卑下してしまう人は沢山います。

私もそうですし、あなたもその一人かもしれません。

同じ悩みを抱える方なら分かっていただけると思いますが、Google先生に「やる気の出し方」やら「無気力の脱出法」やら「行動力の獲得ノウハウ」なんかを調べたことは一回や二回ではないはずです。

ブックマーク、画面メモ、スクリーンショット……, etc.
何でも良いですが、一回も実行せずに保存してある「行動」のノウハウがお手元のスマホには沢山眠っているのでは?

私もたくさん持っています。
でもどれもこれも一回も実行しないままだったのでこの前全部削除してしまいました。アーメン。

さて、それだけ数多の行動のノウハウを読み込んできたあなたなら既にやる気の出し方を知っているはずです。
実行していないだけで。

そうです、どいつもこいつも同じ事を言うんです。

「とりあえずやれ」

⬜行動力はとりあえず行動しないと湧いてこない

なんてこった。
やらなきゃいけないけどやりたくないけどそんなこと言ってられないから自分の尻を叩いてでも行動するために行動のノウハウを調べてるのに、心理学者も起業家も、経営者もカウンセラーもYou Tuberも皆口を揃えて「やる気は行動していたら湧いてくる」と抜かしやがります。

そもそもこっちはその“とりあえず”のやる気も出ないから困ってるんだってばよ

・とりあえず始めてしまえばやる気が出てきて、いつの間にか作業に没頭出来ている……
・脳がフロー状態になって集中力は徐々に高まってくる……
・とりあえず5分だけやってみる
・玄関にランニングウェアを用意しておく
・パソコンを開くだけ開いてみる
・とりあえずとりあえずとりあえず……

どこでも目にするこの「少ステップ」で始める方法ですが、どこでも目にするだけあってこの手法は非常に強力です。

根っからの自堕落である私も今この記事を「とりあえず」書き始めて書き続けられていますから本物なのでしょう。

とはいえそれほど強力なこの手法を私達怠惰組が実行に移さないのは、少ステップで始めれば「やっちゃう」ことを知っているからでもあります。

やりたくないんですよ。兎に角。

行動している自分を想像したら吐き気がします。
嫌で嫌で仕方がないんです。

ソファーで寛ぎながら楽な姿勢でお菓子食べながらゲームのコントローラーを握って自堕落に過ごしたいんです。

やる気を出して少ステップで初めてやるべきことをやっていたら自堕落に過ごせなくなっちゃうじゃないですか。

だから「少ステップ分」のやる気も捻出できないんです。

⬜それでも脱出したい

とはいえそんな自分とはおさらばしたい。

そう思うこともまた事実です。

ですから此度は既に自堕落を脱出した私からいくつかの提案をさせていただきます。

まず、方向性は大きく2つです。

1つはやるべきこと、ないしその先にあるものを「好き」になること。

もう1つは行動しないことで手に入れられる自堕落な幸せを「捨ててもいい」と思えるようになること。

いずれは両方ですが、最初はこのどちらかを選ぶことから始めます。

行動するためには「それ」自体を好きになるか、行動しないことで得られていた一時の幸福を捨てるしかありません。

人生は取捨選択の連続とはよく言ったもの。

まさか行動しないことでも獲得できていたものがあったとは。

いや失礼。
行動力のノウハウを調べまくっているあなたは既にこれくらいのことは知っていましたね。

ではその先へ話を進めます。

行動自体を好きになる方法は簡単ですからざっくりお話しておきましょう。

そっちは結構簡単なんです。

いくらかの結果を出したり、過程を誰かに褒められたり、監視してもらったり、レビューをもらったり、自分のやっている行動を自分以外の誰かに認めてもらえるだけで「好き」になれるんです。

子供の頃から好きなものってありますよね?
遊び以外で好きなものって、「あ、これ得意だ」とか「1番になれた」とか、そんな誰かと比べて上手く出来るみたいな感覚から来るものがほとんどなんです。

でも今それを得ようとすると、やっぱり「とりあえず行動」していくらかの結果を出しておく必要があります。

それが出来ないから困っているのに、やっぱりとりあえず行動するしかないとは何たること。

「好きになるのは後回しにしないと結局行動できないままだ……っ!」

私のサイドエフェクトがそう言っています。

さて、そういうわけですのでもう1つの方向性、「行動しないことで得られる快楽を捨てる」方向で「とりあえず行動する」ためのやる気をひねり出していきましょう。

⬜一回死んでみる

何かを決断するためには強烈な体験も必要です。

一回死んでください。

物理的にではありません。
人間的にです。

昼過ぎに起きて、ベッドから出ることもせず、身だしなみも整えず、スマホで何かをするでもなく、やる気を出すための記事を読むでもSNSで活動している人の投稿を読むこともなく、お腹が減っても自分の体をほったらかしにして、やりたいことも特にない気分でひたすらに無気力で、Youtubeを見ることもなく、無料の漫画なんかをダラダラ読んで、一日が終わっていることに気がつく間もなく時間だけが無駄に過ぎていき、貴重な人生を貴重と感じることもなくただ無意味に時間を消費してみてください。

“死んでるみたいに生きている”

この状態を「やる気が出るまで」続けます。

生き返ったときに世界が全て新しく色鮮やかなものに見えるようになるまで。

死んでるみたいに生きていなきゃいけないから、ためになることをするのは推奨しません。

ゴロゴロするのはいいですが、どうせ自堕落にして良いのだからと新しいゲームや漫画、小説なんかを買うのは禁止です。
好きなものを食べたいと買い物に行くのも駄目です。
餓死しない程度にそのへんにあるもので済ませてください。

無料のスマホゲームをダウンロードして遊んでみるのはOKです。

死んでるみたいに生きている人は皆「自分の意思がなく周りに流されるだけ」の生き方をしています。

たまたま見かけた広告に惹かれて欲しくなる衝動、良いですね。
まさに自分の意思がなく死んでるみたいに生きてるって感じです。

お金を使うことは社会に流れをもたらしますから、経済活動に極力参加しない無気力人生の為にもできるかぎり抑えてください。

スーパーで買い物をせざるを得なくなっても、できるだけ割引、半額になっている品を選んでください。
今すぐ口に入れるなら満額だろうが半額だろうが味も品質も同じです。

「俺は割引品じゃなくて正規の価格で商品を買えるほど経済力のある人間だ」

みたいな自尊心は死んでるみたいに生きている人は持ち合わせていません。

高いお金を払うなんてまるで経済へ貢献しているみたいでよくありません。
禁止です。

スーパーにいくときも身だしなみは整えちゃ駄目ですよ。
死んでいる人が見た目なんか気にするもんですか。

時間に追われているのからそんな事をしている訳にはいかない?

大丈夫、死んでいるみたいに生きている人に「責任感」だとか「怒られたら嫌だ」とかそんな感情はありません。

やる気どころか、自尊心も羞恥心も責任感も自分の意思すらない生き方。
それが死んでるみたいに生きている人なんですから。

⬜生き返ってみる

さて、一回死んで見れば分かりますが、人によっては1日持ちません。

私は半日で生き返ることになりました。

家で転がっているだけなのにまるで脳細胞が端から本当に死んでいくような、体が息をしていないような、そんな感覚が自分を襲います。

ああ、人として死ぬって嫌なことなんだなと知ることができればもう大丈夫です。

生きていることが「社会の流れに加わること」だと気が付きます。

お金を払うこともそう、
身だしなみを整えて人前に出ることもそう、
人と話すだけでもそう、
ゲームや漫画に興じることもそう、
もちろん働くこともそうです。

無気力に流されるのではなく、自分からその流れに加わる感覚。
これを「生きている感覚」だと感じるようになります。

さて、人間が生き返ったら最初にすることは何でしょうか?

友人に私と同じ様に死んでもらって、私が生き返ったときと比較実験をしてみましたが、なんと私と同じ様な行動をしていました。

それが、「呼吸」です。

友人は生き返った瞬間に「息を呑んだ」そうです。

私も生き返った瞬間、急に目に力が入って思いっきり深く息を吸ったので、十中八九人間は生き返ったら「意識して息を吸う」のでしょう。

これで私とその友人の中には1つの行動のトリガーが出来ました。

それが、「深呼吸」です。

私と友人はもう「意識して息を吸えば」それだけで生き返った時の世界の色鮮やかさと、体の底から湧き上がってくるようなやる気、社会の流れに加わりた意欲、そして、自分の体を自分の意思で動かせることの幸せを再実感することができます。

※ちなみにその友人は2日死んでいました。

⬜意識を行動力に向ける

生き返った時の意識は一言で「やる気のある状態」とは少し違います。
先にも言ったように、「自分の体を自分の意思で動かせることに幸福を感じている状態」です。

自分がなぜ~をしたいのかを頭と感情で理解してから行動に移せている感覚です。

この意識があると、自分の体の主導権を握っているのが自分であるときちっと頭で理解できます。

朝ベッドから起きるのも自分の意思。
身だしなみを整えるのも自分の意思。
何かを食べるのも自分の意思。
ゲームをするのも漫画を読むのも自分の意思。
仕事をするのも自分の意思。
人の話を聞くのも自分の意思。
スマホを開くことさえも自分の意思です。

生き返った自分に何かをやらせているのは全て自分です。
そこに「やらされている感」は一切ありません。

やらなきゃいけないからやるんじゃないんです。
自分でやろうと思ったからやるんです。

この感覚を掴むと、「行動しないことで獲得できていた快楽」がそもそも存在していないことにも気が付きます。

これは序盤で私が示した、やる気を出すための方向性を自分で否定していることにもなりますが、まさにそのとおりです。

行動しないことで獲得しているものなんてありません。

ただ自分が何を意識して行動しているかの違いです。


さて、一回死んで、生き返って、自分の体を自分で動かしている感覚を掴んだらあとは「何をするか」です。

構いませんよ?遊んでも。

それが自分の意思で「さぁ遊ぼう」と意識して遊んでいるならば、それにもきちんと意味があります。

やる気があって、それを使って自分の意思で遊ぶことにやる気を使っているんですから。

任意の方向や物事に意識を向けられるようになっている証拠です。

この記事を開く時にあなたが行動力を使いたかった対象に意識とやる気を向けるのも簡単になっています。


私は生きている感覚を、「社会の流れに加わっている感覚」と表現しました。

やりたいことは「自分の意思で乗りたい流れに乗っている感覚」です。
そして、やるべきことは「流れを作っている作業」と表現できます。

部屋の片付け、レポートの提出、ビジネスへの取り組み、ブログの更新、何でも良いんです。
あなたにはこの記事を開いた時に行動力を向けたかった対象があったはずです。

それは全て1つの例外なく「流れを作る作業」です。

私のこのnoteも私が作った1つの流れです。

やるべきことってすごくやる気が必要なんですよね。

そりゃあそうですよ、人が作った流れに乗るんじゃなくて自分で流れを作ってるんですから。

そりゃあ疲れるはずです。

でも疲れるから、やる気を必要とすることだから、やることにすごく価値があるんです。

自分が書いた記事をあなたがよんでくれていることが私にとってどれほどの幸せか。

本当にありがとう。Thank you.多謝。أنا سعيد جدا.

⬜自分を操れるようになる

最初の最初に話を戻しましょう。

「やる気を出すにはとりあえず行動すること」

まで話を戻します。

それができないからこまってるんだってばよ。

と悩んでいましたね。

この小ステップで始めるという方法はとにかく強烈です。

どれくらい強烈かと言うと、ほんの少しでも意識を向けた方向に自分の体も意思も全て舵を切られてしまうくらい強烈です。

例えばこんな経験はありませんでしたか?

・やる気を出すために作業用BGMを探し始めたらそのまま長時間動画サイトの巡回をしていた
・やる気を出すためにやる気の出る画像を探していたらそのまま……
・パソコンを開いて仕事しようとしたらいつもの習慣でネットを開いてしまい……
・勉強する前に邪魔になるものを片付けようとしてそのまま……
・視界の端に漫画が……

これは当初の自分の意思とは異なる、マイナス方向に少ステップで行動を始めてしまった結果です。

人間はとにかく小さく始めた方へ舵を自然と切り続けてしまう性質があります。

ベッドから起きるのが面倒くさいと一回思うだけでももうベッドで寝続ける方へ舵を切ってしまっています。

だからこそ「やるべきこと」を小さく始められれば、もうそれだけで目標達成は目前だというくらい少ステップで始めることには意味があるんです。

この人間の、自分の性質を知っていれば舵を任意の方向に切り直すのは意外と簡単にできます。

「気がついたら一旦意識を切ればいい」んです。

ネットサーフィンをしていたり、読まなくていい漫画を読んでいることに気がついたら、「あっ」と思った時に目をつむり、全く関係ないことを考えます。

その時考えるものが「やるべきこと」を達成した後の素敵な未来だったり、少ステップで始めるべき最初の一歩だったりしたら最高ですが、それはなれが必要ですから最初は本当になんでもない、今やっていることと違うことを考えるだけで十分です。

それだけで変な方へ舵取りしていた自分の意識を切断できます。

あとは本当に小さく細かく分解した「やるべきこと」の最初の一歩を頭で意識して考えれば、とりあえずでも動き始めることが出来ます。

「小さく始める」は本当によく聞くやる気の出し方ですが、皆まだまだ大きく始めようとしています。

ブログを書くための最初のステップがパソコンを開くこと?
まだまだ大きいですね。

最初の小さな一歩は、「パソコンがあった場所を思い出す」ことです。

その次が、「パソコンを見る」ことです。

「やるべきこと」だけを視界に入れるとすごくすんなり行動を始められます。


さて、後は「流れを作る」だけですね。
自分の作った流れが評価されたり認められるとすごく楽しくなります。

やらされてるんじゃないんです。

せっかく生き返ったんですから、自分のロールプレイは自分で選び取りましょう。


無気力な自分に話したくなる「自堕落脱出」の話は以上です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

あなたの作る流れに幸多きことを心よりお祈り申し上げます。

--Yoshino

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