ここ最近の「そういうのいらん」

好きな人、好きだった人に対して抱いてきた「そういうのいらん」が溜まってきたので吐き出します。

「ありがとう」と「ごめんね」

小学生のときから、道徳の授業の教訓でも学級目標でも「『ありがとう』と『ごめんね』をちゃんといえる大人になりましょう」は定番だった。たくさん言えることが正しいと思ってたけど、最近はちょっとわからない。特に、こういうのを好きな人から何度も言われると肩身が狭い。
例えば、会う予定を組んだのもご飯を作ったのもあなたのためじゃない。「ありがとう」って言われると、わたしの「当たり前」や「楽しい」があなたへの奉仕に回収されてしまいそうで気持ち悪い。急な用事で約束を延期しようが、なかなか電話ができなかろうが、わたしの生活には何の支障もない。なのに「ごめんね」って言われると、わたしがかわいそうな子みたいで腹が立つ。あなたの罪悪感を消すためにわたしを被害者にしないでほしい。
わたしは優しさから「謝らなくていいよ」とは言わない。わたしがこれを言うときは「そんな安易に謝ってんじゃねえよ」の意味なので、覚えといてほしい。

泣いてる絵文字

「…」と同じくらいよく出てくるけど、結局なんの感情なんだろう。悲しいのか、悔しいのか、理解できないのか、申し訳ないのか、わかんないけどこっちに汲み取らせようとしてくる絶妙な表情。絶対泣いてないでしょってことだけわかる。文面だとどうせ伝わらないんだからそういうのいいよ。

意味が読めない苦笑い

会話の切れ目によく入ってくる、「ははは」とも「ふん」ともつかない、鼻と口の間で出てるみたいな笑い。嫌いじゃない。次に出てくるの何かな?ってちょっと楽しみ、なので、次に何もないとムカついてくる。会話の相槌がほとんどこれだと腹立つ。

わたしのことでにわたし以上に怒る

怒るべきことかそうじゃないかはわたしが決めるので、その前に先取りするのだけはやめて。相手を負かす方法考えるの楽しいだけでしょ。自分が戦いに飢えてるからってわたしを利用しないで。まだちゃんと怒ってない段階で味方とか守るとか、そういうのマジいらない。それを愛だと思ってるなら帰ってください。

「どうしたの?」

いつもと違う、なんて、あなたが見てる「いつも」なんて一瞬でしょ。それもあなたに都合のいい可愛い部分でしょ。そこから外れるたびに「どうしたの?」って訊かれると疲れます。

超優しいペンギンキャラ的な何か

「朝起きれてえらい!」「授業受けてえらい!」「生きててえらい!」うるせー。自分で自分に言いすぎて聞き飽きてるよ。

「好きだからだよ」

そうですか。それって傷つけたり怒らせたりしていい理由になるんですか。

独自のセンス

いらんいらんいらん。そういうの求めてる人だいたいつまんない。他の人が求める「個性」とか「オリジナリティ」とかを演じてる人って、結局どんな人なのか全く見えない。「尖ってる」って自分で言うけど、使い古されたエログロナンセンスじゃわたしには一ミリも刺さりません。ちなみに、「笑える話なんだけど~」って枕詞で風俗ネタか飲み会ネタが始まったらほぼ確定でつまんないです。

これ以上リストが増えないといいなあ。




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