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4月から一番遠い

9月が終わりかけていることを受け止め切れていない。あと1週間で10月に入る。10月は4月から一番遠い。

物心ついたときから、4月1日がくるとドキドキするようになっていた。
一つも嘘をつかずに終わって、誰からも騙されずに終わることが多いけれど、だからって次の日に後悔したりはしない。その数日後に入学式やら始業式やらを迎えたあと、とっておいた嘘を披露する機会には恵まれるからだ。忘れ物をしたことを親に隠したり、「ゲームは一日30分」の決まりを破ってポケモンを1時間やったり、小学生のころから内容はみみっちいものばかりだけれど。でも、みみっちい嘘を一つ二つと重ねるたび、おなかの底が重くなって肺がつぶれていくような感覚は確かにある。塵も積もれば山となり、自己嫌悪で眠れない夜を過ごすことも何度かあった。だが、歳を重ねてさらにみみっちくなると、重なった小さい嘘を飲み込んで消化する術も覚えていく。
そんな中で、4月の間は嘘をつかなかった初日を思い出し、〇年分のエイプリルフール貯金を切り崩しているのだと言い聞かせるようになった。だから、毎年4月はだいたい安眠できている。

でも、そんなことはどうでもいい。
なんといっても4月の末には誕生日がある。一年に一度だけ使えるわがままを、一か月かけて考えるのだ。何を食べて、どんな服を着て、その日の夜には誰と会うか。大人らしく高尚なディナーにするのもいいし、自分でケーキを作って失敗してもいい。誕生日を口実に好きな人とお酒を飲みたいし、友達と下ネタで騒ぎたいし、あえて一人で難しい本を一気読みするのもいい。良くても悪くても、次の誕生日までおみやげが残るような1日にしたい。みみっちさも忘れて、とっておきのわがままを抱えてうずうずする一ヶ月間が最高に好きだ。

22歳にも慣れきって、10月に突入しようとしている今日この頃、部屋の掃除をした。16歳の4月にもらったコルクボードと、17歳の4月にもらったミニアルバムと、20歳の4月にもらった似顔絵。重なって少しずつしか見えなくなっていたものたちを並べ替えた。でも、置き場所が狭すぎるせいでたいして変わらず、今も似顔絵の目の部分だけがアルバムの上から覗いている。重なって隠しあって埋もれたとしても、何かの拍子で引っ張り出せるおみやげがあるのが嬉しい。わたしのわがままやみみっちさに付き合い、生まれた日を一緒に喜んでくれた人がこんなにいたという事実。4月が恋しいと嘆くことができるのは、実は相当幸せなんだろう。

10月は4月から一番遠いけれど、さつまいもがおいしい。洋服が可愛い。最近好きになったアイドルは10月生まれで、たぶん彼女の誕生日イベントには来年も行く。
4月をもっと恋しくさせる思い出も、10月を絶望せず過ごせる楽しみも、まだまだいっぱい欲しい。10月も結局楽しかったねって好きな人と言い合えたら、これ以上の幸せはない。
歳を重ねたら、4月から遠ざかっていく時間をもっと素直に楽しめるだろうか。そうだったらいいなあと切実に思う。

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