強い女、おもしれー女であること

強くなりたい、面白くなりたいとずっと思ってはいたけれど、そうなることが実際幸せか?というとそうでもない気がしてきた。

友達と恋話をすると、「強いね」とか「面白いね」と言われることがまあまあある。もっとストレートに「めんどくさい」と言う人もいる。
確かに「男の子って~」みたいな話になると黙ってしまうし、脱毛やダイエットで盛り上がるくだりにも乗れない。煮え切らない片思い相手から本心を引き出す方法にも、彼氏と長続きするようなLINEの頻度にも興味がない。20そこらの女が相当少ないサンプルで「男」を定義するなんて暴力的だし、それをベースに小手先のテクニックで相手を操作できるとか考えるのも怖い。恋話を「深い話」と言う人も多いけれど、深く立ち入った結果出てくるのがこれか、と相手にげんなりすることも少なくない。
そして面倒くさいことに、この違和感に嘘をつかないように話をすると、相手の目には「バチバチのフェミニスト」に映ってしまうらしい。そのときに出る「強いね」「面白いね」に少しずつ傷ついていたんだと、最近ようやく判った。「あなたはそういう人だから」と線を引かれて、「恋話をしている友人」から「いちコメンテーター」になる疎外感。その場で「だからモテないんだよね~」と流せても、次の日には二日酔いのようにモヤモヤとムカムカが残る。

初めて会う男性と話すときも「強いですね」と言われることがある。
あなたの好きなことが知りたいと言われて勉強の話をした。ジェンダーを学んでいると言うと、そのきっかけを訊かれた。あまり思い出したくない痴漢や盗撮の話を、する義理もないのにしてしまった。どんなふうにされたか、どんな気分だったか、「勉強したい」と事細かに訊かれた。律儀に答えてしまったあと、彼は「強いな~」と感心したように言って、「他人の背景を知るのって面白いですね」と続けた。それに対してちゃんと怒りが湧いたのもつい最近のことだ。

そりゃ弱いよりは強いほうがいいし、「つまらない」よりは「面白い」って言われたほうが嬉しい。でも皮肉なことに、私が「強い女」になればなるほど私の考えは相手に届かなくなる。むしろ「例外的な人」とされて、相手が自分の弱さから目をそらす口実になってしまうことさえある。「面白い」と言われるほど、自分の人生を生きることが難しくなる。他人の勉強の資料でもエンタメの材料でもない自分の人生を、無意識に切り売りしてしまう私にも腹が立つ。

私が「強い女」と呼ばれなくなるまで、自分のためだけに「おもしれ―女」であれるようになるまで、あと何年かかるのか。歳をとって「強いオバサン」「おもしれーオバサン」になれたら少しは楽だろうか。あと倍の年数は生きてみないとわからない。押しつぶされそうになるときもあるけど、今死んだらもったいないことはわかる。とりあえず、このしんどさは来るべきハッピーオバサンライフのための試練だと思うことにする。

元気なオバサンになる第一歩として、まずは睡眠をしっかり取る。今日はこの辺で。おやすみ。


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