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いつからだろう、濡れることを厭うようになったのは


梅雨が来た。


気がつくと部屋の隅に溜まってしまった埃のような空からポツリ、ポツリと雨粒が落ち、噎せ返るような匂いが肺を襲う。
その瞬間、僕はどうしようもなくうんざりしてしまう。


もともと、雨は好きだった。
宗教上の理由で傘を差さない(本人談)友人と小学生の頃に登下校を共にしていたせいで、帰り道はほとんど傘をさしたことがない。しかし雨を煩わしく思うことはなかったし、むしろ雨という非日常が好きだった。


なのに今は、どうしようもなくうんざりする。


守るべきものが多くなった、といえば聞こえがいいが体裁を気にするようになったと言えばなんとなく情けないような気持ちになる。雨は嫌いじゃない。それは今も変わらない。けれどもどうしようもなくうんざりするのは、僕が日常の中でそっと触れずにいる瘡蓋をいとも容易くふやかして、疼かせるからだ。


僕は優等生だった。ただの、優等生だった。
人よりも勉強はできたし、先生たちからの信頼も厚かったと思う。ただ、僕は僕をたらしめているものをなんら持たなかった。「普通」という枠組みの中から、「学校」という枠組みの中から逸脱しなかった。ただそれだけの価値しかない。


だから当時、僕は自分の同級生たちへの劣等感と嫉妬の中で学生生活を過ごした。勉強はできなくても、学校の規範からは逸れていても、どこまでも魅力的で奔放な彼らに僕はなることはできなかった。


常識、規範、世間体、あらゆるものの顔色を窺いながら僕は生きている。破天荒な生き方に憧れるが僕はそうはなれない。「普通」でないことが恐怖ですらある。しかしそれと同時に、どうしても「普通」でいたくない。特別でいたい。


少年Aであることに安堵し、少年Aであることに辟易したまま大人になってしまった僕にとって、雨は残酷な事実を突きつけてくる悪魔なのだ。


ほらまた、悪魔の足音が聞こえてきた。



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