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テナガザルのきもち

他人の容姿を揶揄することは推奨される行為ではない。そのような行為が教師の耳にでも入れば、放課後に学級会が開かれ、謝るまで帰れなくなることは目に見えている。「〇〇の気持ちを考えたことがあるのか」とお決まりの文句が聞こえてくる。しかし、悲しいかな動物に対してこの理論は通用しない。

その筆頭がテナガザルであるように思う。
手が長いというだけでテナガザル。安直。
彼にとって手が長いことが誇るべきことなのか、恥ずべきことなのかは知る由もないが、
あなたはテナガザルの気持ちを考えたことがあるだろうか。

僕はある。

文系の悲しい性で「気持ち」を考えずにはいられない。
まさにcannot help thinking. 
恋に似たこの気持ちWowWow.
そこで僕はひとつの答えに辿り着く。

「ワシが長いの、ウデじゃね?」

そう。彼は手が長いのではない。腕が長いのだ。ちなみに冒頭の写真はテナガザルかどうかは知らない。スリランカで哀愁漂うサルを僕が撮ったものだ。このnoteがバズって彼がテナガザルだと認知されたら申し訳ない。もしテナガザルだったら感謝してほしい。

話が逸れたが、テナガザル腕が長い問題は議論に値する。「手」と聞いたときにあなたは何を思い浮かべるだろうか。実に98%の人が「掌」を想像するだろう。「手」って英語でなんていう?と聞かれたら"hand"と答える人がほとんどなはずだ。つまり彼のことはウデナガザルと呼ぶのが妥当である。さらに言えばニノウデナガザルである。

しかし、日本語とは面白いもので、「手」は「手首から先」を指す言葉であると同時に、「肩から先」を指す言葉でもある。両手を広げて待つ彼女を想像したときに、手首から先を広げた姿を想像する人はほとんどいない。
東急ハンズ信者くらいだ。

要するに彼はテナガザルでなんら問題がないのだ。

身体的特徴を揶揄?されながらも逞しく生きる彼は、奇しくも「言語の指す範囲」の面白さを教えてくれている。ウデナガザルではなく、テナガザルと名付けた人に脱帽である。



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