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海辺で泣きたかった

今、この瞬間でなければだめだった。
これでなければだめだった。
きっと、誰しもそんな時がある。そんな衝動に駆られる時がある。

私は船に乗った。乗船時間は約3分の短い船旅だ。
今日はどうしても、海を見たくてたまらなかった。

5月半ばの今日、外はよく晴れており、その日差しは夏を思わせる。それだのに、今日はとにかくいかにしてもだめであった。

父とバラを見に行く予定にしていた。だが、どうにも一向に、人生に絶望しきってしまったような、重たい暗雲が立ち込めたような心が晴れない。
正直言って、これはしょうもない、私の心の未熟さからきていることはわかっている。それと、自分以外のこともあるけれど。
誰に言っても仕方がない、でも自分の中で完全に始末がつけられない、多分時間がかからないとどうにもならないようなことだ。

私はいつもこの辺がだめである。たまに、自分の気持ちなのに、手が付けられないことがある。大人のくせに情けない。

とにかく、外に出たかった。そして海辺で泣きたかった。夕飯も一人で、誰もいないところで。
出発した時間が時間なだけに、暗くなってから海辺に行くのは少し心細い気もした。
でも、今の気持ちは抑えられない。今の心は暗く静かな海とよく溶け合うだろう。

それにしても、ここまで衝動的に飛び出したのは本当に久しぶりであった。もうほとんど、こんなことはしていなかったのに。10代やそこらの頃にはよくあったような気がするが。
夕飯もどこか店に入ろうという気があまり起こらず、降り立った駅のそばのスーパーで惣菜パンと菓子パンをひとつずつ、それと飲料水に缶チューハイを買った。
ここのところずっと、食事はちゃんと作っていたしそれなりに規則正しくやっていた。酒も強い方ではないので、普段は一滴も飲んでいない。
今日は何か、解き放たれたかやけくそになったかそんな感じだった。きっと店でも弁当でもなく、パンでなければいけなかったし、酒だって一気に一缶飲み干してしまいたかった。
パンの袋をガサガサと言わせながら、品も何も関係ないという風にかぶりつく。
酒の缶を勢いよく開ける。カシュッ!と小気味いい音が響いた。それを数回に分けて飲み干す。なるほど、酒というのはなかなかに良い。夜の涼やかな風と酔いの火照りとがほどよく混ざり合う。

ふわふわとしながら渡船場に向かった。
眼前には、ライトアップされた大きな赤い橋が煌々と輝いていた。昼夜問わず、これを間近で見なれば気がすまない時がたまにある。
どうしようもなさと、橋を見た時の切なさに、涙が出た。歩きながら泣いた。
亡き母の故郷が向こう岸にあるから、余計感傷的になったのかもしれない。

間もなく渡船場につき、船に乗り込む。
橋の下をエンジンを蒸しながら進む船。風が重たい気持ちをさらっていって、そのまま海に落ちて溶けていくような気がした。実際そうだとどんなに楽だろうか。

短い船旅を終えて、海辺にあるベンチに座り込む。街灯はあまりないが、渡船場の近くなのでそう危険はなかろう。
次の船が来るまで、残っていた菓子パンをかじってゆっくりとする。少し遠くで、写真を撮り合う人らの楽しそうな声がした。もう涙は出なかった。
本当に、ほんの少しだけ心の重みが海に溶けていったのかもしれない。

今日は海辺でなけれはだめだたった。
駆け出さずにはいられないそんな衝動も、きっと必要だからそこに連れ出してくれるのかもしれない。
どれもこれも、今日それでなくちゃいけなかった。替えはない。

父には謝らなくちゃいけない。明日はバラを見に行きたい。

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