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書評|『dancyu“食いしん坊”編集長の極上ひとりメシ』植野広生

池島信平、壁村耐三、花田紀凱、島地勝彦、岸田一郎、山本隆司、岡留安則……(敬称略)。名物編集長と呼ばれ、雑誌の売り上げを伸ばした大立者がいる。『dancyu』の植野広生さんは、今、もっとも知名度のある名物編集長のひとりだろう。

業界紙記者、『日経マネー』編集者を経て、植野さんが『danchu』編集部に入ったのは2001年。しかし『danchu』には1990年の創刊直後から携わっていて「おいしかった」をもじった「大石勝太」のペンネームで記事を書いていたという。

大学時代は銀座のキャバレー「モンテカルロ」で黒服をしていて、もらったチップを握りしめて裏階段から抜け出し、屋台の磯辺焼きを食べるのが楽しみだったとか。ほかにも目白のアイスクリームショップ「サーティワン」、東高円寺の鰻料理店、下北沢のコーヒーショップなど、飲食店でのアルバイトを数多く経験。デートでフレンチレストランに行ったり、いいワインを買うために日雇いアルバイトで稼いだこともあったそうだ。

長年にわたり、あちこちの店で「隣の人より美味しく食べる」を実践してきた“食いしん坊”が一番楽しいのは「ひとりメシ」だという。

【目次】
第1章/実践!極上ひとりメシ
――植野流「美味しい」の法則

第2章/隣の人より美味しく食べたい
――植野流「食べ方5大ルール」と好かれる客になるコツ

第3章/食べたいものを食べたいだけ
――植野流「ひとりメシ」の楽しみ方

第4章/店に行くと、ここを見ている
――植野流「いい店」の見つけ方

第5章/「旨い」は皿の外にある
――食いしん坊仲間との至福のとき

ポプラ社が運営するウェブアスタの連載がもとになった新書。ナポリタン、牛丼、かき揚げそば、カツカレー、鰻重、餃子、天ぷら、ラーメン、カレーうどん、アジフライの食べ方にも、植野さんならではの流儀がある。ひとりメシの楽しさは、誰にも邪魔されることなく、自由に飲み食いができることだ。

グルメが美食を極める人たちだとすれば、食いしん坊はもっと広く食を楽しみたい。だから、立ち食いそばでもフレンチでも、焼肉でも鮨でも、A級もB級も関係なく楽しみます。

『dancyu』の店紹介記事がどのようにつくられているか。そこにもふれてあって興味深い。情報を集め、整理して「試食リスト」をつくり、そこから「食べ込み」。餃子を特集した号では、東京の店3軒を紹介するのに、担当者二人が108軒を食べて回ったそうだ。「基準店」を設定し、取材をお願いするのはそれ以上の店のみ。基準に満たない場合はその号での掲載を断念する。それでも、きちんと見ておくことが必要なのだという。

すいぶん昔の個人的な思い出話になるが、レジャー紙でインタビュー記事の連載をしていた頃、唐十郎さんに紹介してもらい、よくしていただいた焼鳥店が阿佐ヶ谷にあった。建物は古いが掃除が行き届いた店内。肉の鮮度が高く、部位ごとに焼き加減を見極めて出してくれる焼鳥。自家製の韓国風辛味噌をつけたら、また違った味わいに。食べていて気になったことを聞いたら、丁寧に説明してくれて、ひと串で二度も三度も美味しい体験ができた。

ある時、その店のおかみさんから「今度『danchu』で紹介されることになった」と、ちょっとうれしそうに伝えられたことを覚えている。『danchu』は創刊以来約30年、ずっと覆面調査。厳選された店だけが掲載されているのだ。そういえば、渋谷の炭火焼ゆうじさんのことを知り、行くようになったのも『danchu』がきっかけだった。

植野流のよい店の見極め方も披露されている。重視する3つの要素は「顔」「メニュー」「調味料」だそうだ。チェックするポイント、判断基準が明確に示されていて、店選び、注文の仕方の参考になり、「なるほど」とうなずけることばかり。植野さんお気に入りの店も、ひとりメシの楽しみ方の例としてあげられ、紹介されているが、この本はグルメガイドではない。行ってみたいし、機会があれば足を運ぶつもりだが、それよりなにより、自分にとってのいい店を、自分で見つけるために、ひとりメシで“食いしん坊力”を磨いて、発揮できるようにしたい。プライベートの楽しみとして、ゆとりの時間を充実させられることはもちろん、仕事で役立つことだってあるだろう。

プロが食材や仕事に「こだわる」のは当然のことで、やはりそれは褒め言葉にならないと思うのです。だから、『danchu』では褒め言葉として「こだわり」は使いません。「こだわり」を使わないのが『danchu』のこだわりです。

やたら目にする言葉だが「〇〇がこだわり」などという見出しや記事は店に失礼。書き手の姿勢として配慮が欠けている。安直に使うのは手抜きであり、表現の工夫が足りない。結果的に掲載される媒体の質が問われる。常々そう思い、主張してきたので、うれしく、心強く思えた。

どうやって『danchu』を盛り立てようか。2017年に編集長に就任した植野さんが考えたこと。そのひとつが「グルメ情報誌」ではなく、「もっと美味しく、楽しくなるための提案を行う食いしん坊雑誌」であることを知ってもらうことだったという。

たとえば店情報にしても、ただ客観的な内容やデータなどを掲載するのではなく、『danchu』に人格を持たせたとして、食いしん坊である“danchuさん”が、ひとりメシに行くとしたらどこへ行ってどんな風に飲み食いするか、大切な人をおもてなしするとしたらどの店でどのような料理を食べてもらうか、実感を込めて具体的に提案します、と。

そして自分自身を“danchuさん”のモデルにしたのだという。植野広生は『danchu』のペルソナである。食べる楽しみ、喜び、幸せを教えてくれる。

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