青いベンチ

 中学三年生のとき、音楽の授業で課題が出された。その内容は、クラスメイトと自由にグループをつくって一曲歌い上げるというものだった。生徒達のリアクションは大きく二つに分かれた。「受験前の大事な時期に余計なことすんじゃねえよ」と「中学時代の終わりにいい思い出をつくりたい」の二大派閥である。思いっきり前者だった僕はどうにか省エネでやり過ごせないかと思案したが、妙案は浮かばない。難しい顔をしていると、友達のO君から声をかけられた。一緒にやろうぜと言われた。特に異論はなかった。

 しかし、その次の音楽の授業で事態は変わる。一部の生徒たちからクレームがあったのか教諭の忖度なのかはわからないが、救済措置として、一人で課題曲のリコーダー演奏でもよい、とのお達しが下されたのだ。ぼくは飛びつく。これならば、仲間集め、選曲、パート決め、練習、などの工程が一気に省略できるのだ。僕はリコーダーが得意だった。
 O君の肩を叩く。悪いけど、僕は抜けるよ。
しかし、そうは問屋がおろさない。O君は悲しい目をしていた。部活動や放課後には悪友として仲良くやっていたO君。時にはバンド組もうぜ、と誘ってくれたO君。時には漫才やろうぜ、と誘ってくれたO君。生徒会選挙があると、急に僕を他薦してきたO君。
つまり、彼はイベントが大好きなのだ。僕はそんな彼をスカしたり、たまには付き合ったりして、ほどほどに楽しく過ごさせてもらっていた。
おい、最後のイベントは付き合ってくれるだろ?とプレッシャーをかけてくるO君。最後のイベントだと?僕は君のおかげで卒業生代表の答辞を読んだり、市のなんとかシンポジウムで発表せねばならんのだ。忙しいのだ。君にとって最後でも、僕にとっては最後じゃない。後がつかえている。
そんな僕とO君のやりとりを見ていたクラスメイト達から、次第に声があがり始める。皆は生徒会長たる僕ではなく、O君の味方をしていた。最後の思い出くらい付き合ってやれよ、O君はこんなに言ってくれてるじゃないか、と。プチ炎上している。
こんなんで残りの中学生活、後ろ指さされて過ごしたくはない。仕方がなく僕は、O君とコンビを組み、歌唱発表に臨むこととした。

 CDショップにいってカラオケバージョンのある曲を探したり、それぞれが歌うパートとか構成を決めたりするのは割と楽しかった。すったもんだの末に、選曲は当時流行していたサスケの「青いベンチ」に決まった。あまりにベタだったし、軽くUKロックをこじらせてた僕はちょっと抵抗がなくもなかったが、O君の「お前がわけのをわからん英語の曲を得意げに歌うのを誰が聞きたいのか」という発言に反論できなかったため、おとなしく従うことにした。いい判断だったと思う。この曲の収録されたシングルCDにはカラオケバージョンがあったので練習しやすかった。

 結果的に僕らの発表は上手くいった。手前味噌ながら、発表後の拍手は他のどの組よりも大きかったと思う。僕もO君も苦手とまでは言わないが、それほど歌が上手くはない。それでも、クラスメイト達から高い評価が得られたのは、僕らが音痴だと思われてたからだ。
実際、歌ってる最中にも気になるリアクションがみられた。「え?」とか「うまい……?」とか「なんで?」とか、小声で聞こえてきた。なんで?ってなんでだよ。どうやら、キャラ的に歌が下手なイメージらしい。解せん。あと、「かっこいい……」も聞こえてきた。でも、そんなことは言われたことがなかったので、幻聴だと思っていた。

 僕はこの出来事がきっかけで、二人の女子から声をかけられ、携帯のメアド交換をして、高校1年生の夏くらいまで交流をすることになる。バンドマンがモテるのはこういうことなのかと思った。後で聞いたら、O君にはそういう事は起きなかったらしいので、僕はそのことを未だに彼には内緒にしている。
25歳くらいのときに突然、彼から電話が来た。8年ぶりくらいに会話をした。彼は将来的に僕を地元の市長選に出馬させたいらしいが、それは勘弁してほしい。
僕らも今年で30歳になる。彼はいま、なにをしているのだろうか。

最後まで読んでくれてありがとー