アトムの子

 最先端の科学を駆使して、世界の人々に貢献するおじさんたちが割とたくさんいる。画期的な機械を開発して人々を豊かにしたり、ゲノム解析から新薬を開発して医療の発展に尽くしてるやつらが、実は、そこら中にいる。休日の彼らはスーパーでスナック菓子ばかりカゴの中にいれていたり、パチンコ屋でケンシロウ激アツリーチにはしゃいでいたり、家でNetflixばかり観ていたりして、あんまりスゴそうじゃないけど、実はスゴいんですよ。人類の宝だと思います。拍手!拍手!

 ところで、「科学的」が好きです。なんだか、人と話してると、あ、この人科学的だなぁ、とか、科学的じゃないなぁ、とか感じます。そういう価値基準で生きてます。国語辞典に載ってる定義は知らんけど、科学的っていうのは再現性があるってこと。再現性があるってことはマグレじゃないってこと。マグレで起こったことを信じてしまったらそれは悲劇だからね。もしくは喜劇だからね。

科学的な人は妄信しない人、過信しない人、ロジカルなシンキングが身についてる人だ。対偶、の考え方とかそういうの。「あいつはマスクをしているのにコロナに感染したからマスクは効果ないよなー」と独り言をいいながら歩いていたら後ろから肩をたたたかれて、振り向くと、「あなたは、マスクをしていた人が全員、コロナに感染したと思いますか」と言われて「いやぁ、そこまでは……」すると、うんうん、とうなずいて、「そうでしょう。ならば、マスクが効果がないというのは科学的とは言えませんね。少なくともあなたがもっている情報では判断できない」「はぁ、そうですか」「それでは、また!」髭面の紳士は夕日に向かって歩いていく。僕は思う。彼は科学的な人だ。
背中にささる僕の視線に気づいたのか、彼は歩きながら振り向かずに右手をあげる。
僕は思う。うわっ!

科学的じゃない人は考えるのが苦手だったり面倒だったりする人だ。特に理屈に合わなくても、雰囲気や流れで理解したフリや妙に前向きな発言をして僕を驚かせる。
「そうやって子犬を抱きかかえるのは躾にはよくないよ」「え?そうなんですか?」「犬自身が自分の方が偉い、って思っちゃうから、言うことを聞かなくなるよ」「そうなんですねー。なんかウケるー」「まあ、子犬がかわいいから抱っこしたいのはわかるけど」「そうなんですよー。でもー。なんか最近全然言うこと聞いてくれなくてー」「ああ。やっぱり抱っこするのがよくないかもね」「え?そうなんですか?」「……」みたいな。

 つまりなにが言いたいかっていうとなんかどっちともうまく付き合える気がしないな、人間、バランスが大事だなって。

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今日の音楽
山下達郎「アトムの子」

理屈とかはないけど、山下達郎に、僕らはアトムの子どもさ、とかいい声で歌われると、ああそうか僕はアトムの子供なのかそうなのか、と納得してしまう感があるくらいいい声。曲のクオリティもエグいけど。

最後まで読んでくれてありがとー