pray

 祈る、と口に出せば宗教的なニュアンスを含んでしまう気がする。あるいは他力本願、強欲。あるいは、清廉、神性。でも、僕はもっと違う意味でこの言葉を理解している。

 藤原新也「メメント・モリ」をみたのは中学生の頃だった。図書館から借りてきて、死、を強く感じさせる写真と言葉にドキドキしていた。この本は僕の死生観に大きく影響を与えていると思う。死、はいつも近くにある。特別扱いしてはいけない。受け入れもしないけど過剰に排斥もしない。
藤原新也の言葉で印象に残った一文がある。「何も願わない手を合わせる」。当時、ハスっていた僕にこの言葉はしっくりきた。願いごとなんて弱い人間のやることだ、僕はこの方がいい、と思った。

 今はちがう。だいぶ前にハスるのは辞めている。祈りの多様性を知っているし、藤原新也の言葉の解釈も変わった。「何も願わない」のは現実を受け入れているので変化を願う必要がないからだし、「手を合わせる」のはカッコつけたいからだ。ボーっと突っ立ってると間抜けに見える。

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今日の音楽
くるり「pray」
これは高校生のときに好きだった曲。「猫、危ない!」と思ってドキドキする曲。当時はピカピカのギターをもっていた。フェンダージャパンのジャズマスター。この前、ハードオフで売ったら1万円だった。

最後まで読んでくれてありがとー