雑記:怒りの感情と曲


音楽は私にとってどういうものか考えてしまった。大学生活は軽音楽部に所属し、ライブをいっちょまえに行ったが、演奏や歌がうまくなることはなかった。当たり前だが、真剣にやっていなかったのだろうと今になって思い返す。もっとうまくなりたかったと後悔は残るが、ライブしたその後の心の晴れやかさはいい思い出として残っている。先輩や後輩に様々な楽曲を紹介してもらえたことはとても幸運なことだった。今でも曲を聴いて、心を平穏に保つことが出来ているからだ。

悲しいときは心を癒やし、気分が落ち込んだときは心を高揚させ、怒りを覚えたときは発散させる。

この中でも自分は怒りの性質が強いようだ。他人への怒りはもちろんあるが、他人へ怒りを覚えたあとは、必ず自分への怒りに変わる。

「なぜ、怒る?お前は他に怒りをぶつけて良いほど良い人間か?心の狭い奴め!嘆かわしい。」

他人への怒りも自分に最終的に返ってくる。もちろん、他人を何処かれ構わず怒るようなことはしない。怒りと指導は違うが、様々許して注意をして、注意した相手に自分で考えてもらう。煩わしい顔や態度されても多くの人は聞き流すか考慮してくれる。少数は反発する。だが、別にそれで良い。正義感を振りかざすつもりはない。

私が怒らないのは自分のためである。怒りになんの得があるのか分からないからだ。暴言や暴力に何のメリットもない。相手の心を傷つけるだけで、恨みを買うだけで、1銭の得にならない。無意味だ。冷静に俯瞰して見て、近くの他人の行動が他に危害を及ぼしそうなとき、もしくはその他人がどうすれば分からないように(私が勝手に想像しただけだが)見えたときに注意をする。

どんな罵詈雑言、誹謗中傷も飲み込む。心は痛むが、それに怒りで返しても私が疲労するだけだ。

だから、私は怒らない。

しかし、心に傷が深く刻まれる。

私はもともとねちっこい性質なのか、心の傷がなかなか治ってくれない。別にそれで悩むことはないが、うずくときがあるのだ。どうしようもなく痛くなるときがあるのだ。

「この怒りをどうしよう」

叫ぶわけにも、ものに当たるわけにも、どこか遠くへ明日から行くわけにも行かない。平穏無事に生きたいだけなのだ。

同仕様もない怒りの感情に襲われたときには音楽を聴く。だが、選曲はヒーリング曲ではない。怒りを爆発させた曲だ。他人への怒り。そして、そんなことを考えた自分への怒りをまるごと消火してもらう。

だいぶ前から感情が保たないときに、瞬間的なカンフル剤として「St.Anger」という曲をよく聴く。

ちなみにそんな神はいないそうだ。

私は怒りなんてものは意味のないものだと思う。他人を許して、自分を許して、理解しようと考えて、共感して、寄り添えば、どうにかなると思う。ならない場合は、距離をとれば良い。そう考える。

私は今この曲を聴いている。おそらく、怒りに満ちているのだろう。前から気づいていたが、今日自覚した。明日、冷静でいられるように、許せるように、寄り添えるように、しっかり歌を噛み締めて明日からに備えよう。

せっかく読んでいただいて、他人の怒りの話で不快になった方もいると思います。申し訳ないと同時に読んでいただいてありがとうございます。もし、同じような状態にいる方がいましたら、何か自分の感情を昇華してもらえる曲を1曲用意しておくのも良いのではないかと思い、記事に書かせていただきました。

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