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他人に依存しない自分のものさし

私は、他の人達と比較してダメなところしかないという劣等感とか、インスタグラムやFacebook等で見える華やかな生活ができないという羨望とか、そういうことをかなり多くの人が抱えていると思っています。私がそうでした。

大学生の頃、同じ部活に所属している部員のマンションに遊びに行ったり、集まりに参加したりする度に、自分の部屋の貧しさやお金がないことに心が苦しくなっていました。十分に仕送りをしている親に対する怒りすら感じていました。アルバイトをしたとしてもその方たちの生活の水準にどうやってもたどり着かないことに自己嫌悪に陥ったこともありました。そして、自己嫌悪感が怒りの感情になり、私がこんなにつらい思いをするのは社会が悪いとか周囲の人の環境がおかしいとか考えることが多くなりました。

ですが、これは何の意味も成しません。

心が貧しくなってしまうばかりか、周囲を逆恨みしてしまったり、自己成長をする機会を失ってしまいます。私はそうでした。

他人を羨んでも憎んでも、何一つ私の心や生活は豊かになりません。華やかな生活をしている人にはその人の苦労や努力があり、悩んでいない人間はほとんどいないと思います。他人を「ものさし」にして自分を測っても自分の幸福に必要なことは見えて来ません。自分を「ものさし」にすることで自分の幸福に必要なことが測れると思います。

いくら他人と比較したり、羨んだところでその人に代われることはないです。自分の幸せにできるのは自分だけです。「みんなが持っているもの」が「あなたが必要なもの」ではないです。「みんなが普通だと思っているもの」は「あなたの普通に必要なこと」ではないです。他人の尺度でものを見ずに自分の尺度で幸せについて考えてみてください。

自分の幸せを考えることができないくらい切羽詰まっているなら、何が今の不幸のネックになっているか考えてみましょう。私の場合は「自信がないこと」でした。

自信の無さが私の不幸の主要因でした。自信の無さが他人との比較思考を加速させていました。自信をつけるために取り組んだことは以下のことです。

ダイエット(ウォーキング、筋トレ)
服装(ユニクロ)
脱毛(最初は剃るだけ)
読書

こう考えてみると見た目のことが多いかもしれません。他人と比較してしまい、余裕を無くして卑屈になってしまう要因を1つずつ潰して行こうと決意して実行していきました。私がわずかながらでも自信を持つためには必要なことだったのです。

ダイエットは現在も継続中ですが、4年掛けて理想的な体型に近づいています。副産物として健康的になり、食べる量が減って消費が減少しました。運動の習慣をつけたことにより少し活動的になりました。精神が前よりは安定して、自信がわずかに付いたため会話をするのが苦でなくなりました。お金を持っているイケメンと会話しても緊張しなくなりました。会話しても楽しいですし、勉強になります。

服装は清潔感があれば何でも良いと考えました。高価な服を買えない、着こなせない自分に嫌になったときもありました。クローゼットの中を見たことはありませんが、上から下までブランドを身にまとっていて、何着も着こなしているのを見て、とても羨ましかったです。しかし、もともと私は服にそこまで知識が明るくなかったから興味が薄いのだと思います。ただ、ブランド品を所有していることが羨ましかったのではないかと今では思います。ですから、とりあえず清潔感があって自分にあっていれば良いと思うようになりました。ユニクロは生地の肌触りとか見た目とか色とかが素敵だと思うので、私には十分でした。かっこ良いと思います、ユニクロ。

体毛は子供の頃から気にしていたんだと思います。毛に対してもちょっとした弄りには笑いの種にしていましたが、職場で弄られたときに脱毛を強く意識しました。今は自宅でできる脱毛器で抑毛して、そのうちお金が溜まったら医療脱毛をしようと思っています。今は割と毛が薄くなって来て嬉しいです。

他人と比較して自分を卑下して追い詰めるのではなく、自分が羨ましいと思っているところを「勝手に」真似して、嫌いな自分を一つずつ消し去って行くことが幸せになる近道だと思います。自分の環境の中で自身に変化をもたらすことで不幸の芽を潰しましょう。

何事も焦ってはいけません。急には変えられません。脳が耐えられても、精神と肉体が付いて行かずに挫折してしまったりだとかリバウンドしてしまったりだとか不都合なことが起こってしまう可能性が高いと思います。自分以外の他人の価値観に依存することなく、自分の「ものさし」で考えて、心と体を騙しながらゆっくりと自分の目指す理想へ近づけばと良いと考えます。

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