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【連載】「こころの処方箋」を読む~12 100点以外はダメなときがある

人生には「ここぞ」というときがあって、その時に100点を取ることが大切だということ。そして、裏を返せば、そんなことは時々であって、いつでも100点取らなくともよい。かえって「いつでも100点を取ろう」と思うと、不機嫌になったり攻撃的になったりする。


自分はどちらかというと、80点くらい、高くても90点くらいを目指しているように思う。

それは、そもそも求められているのが80~90点くらいで、誰も100点を求めていないような場面が多く、自分にとっては楽に80~90点が取れることが多いからである。

そんな中で100点を取らなければ「ここぞ」という場面に、最近は出会っていない。本当は出会っているのに、見過ごしてしまっているということもありそうだ。


何かをするときに、とりあえず10点でも20点でもいいからとにかく始めてみる、とにかく発信してみることが基本なので、「100点を取ろうとする感覚」を忘れてしまっている気もする。

資格試験にせよ、学校の試験にせよ、「100点を取らなければならない」という試験はまず存在しない。

特に表現の世界では、自分では100点だと思っていたものが10点だったり、その逆だったりもよくあることなので、この「100点を取る」という感覚がつかめなくなっているところもあるだろう。

また、自分では50点くらいのクオリティなのに、先方はそれを150点くらいのものとして受け取ってくれることもある。自分では大したことをしていないと思っていても、先方ではそれを奇跡のようなものとして評価することも、よくあることである。

そうなると、いよいよ「100点を取る」というのはどのようなことなのか、ぼんやりとしてしまう。


もちろん、これを「ここぞという時に全力を尽くせ」という意味でとれば、とにかく「全力」が大事とも受け取れる。

しかし、時にその「全力」というのも、わからないものである。全力を尽くしたからといってうまくいくわけでもなく、全力を尽くすことでかえって災いを招くこともある。おそらくそのあたりを見極める目を持つことの大事さも説いているといえる。


となると大事なのは、「ここぞ」というとき、「100点」を出すときがいつなのか、ということになる。

やっぱり見過ごしているだけで、存在しているのか。もしくは、最近はなかなか出会えていないだけなのか。

そもそも、秘められすぎてわからなくなってしまった自分の「100%」はどこにいったのか。どういう状態が「100%」なのか。そしてそれをどうやって引き出すのか。


やっぱり筋トレか。運動か。筋トレや運動をされる方は、そのあたりの感覚に敏感そうである。筋トレで「限界からさらにもう一回」というのはよく聞く。

だが、それこそ運動は自分の限界を突破しなければならないので、それが「ここぞ」というときでなければ、しようとは思わないのである。


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