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抜け出せない低空飛行

もう、くったくたですわ。

今日もスクーリングが終わり、どっぷり疲れた。いつもながら、大したことをしていないようでいて、どっぷりと疲れる。そんな中でも、授業後に演奏会に行けたのはえらい。えらすぎる。

疲労感の要因の一つが、スマートフォンである。どうにも、動作が鈍い。なんでスマートフォンは、十年もつように作られていないのか。

要因の一つは、多分アプリである。いらないアプリが多すぎるのだろう。といっても、かなり削っている。だが、最近いくつかいらないアプリを入れた。就活アプリだ。就活サービスに連携したアプリだ。僕は基本的に就活サービスを利用しない。詳細は割愛するが、雑多な情報が多すぎる。もっともっとパーソナライズされれば良いのだが、何分ノイズが多すぎる。情報を入れてるんだから、もう少し妥当な案内だけにしぼってくれ。交通の仕事も介護の仕事も求めていない。運転は苦手だし、介護のスキルも皆無だ。どこでどうしてそうなった。企業からのオファーも大概だ。誰でもいいのを隠しもしない。そんな情報にまみれるのは嫌だ。しかし、登録しなければならない。なぜなら、登録しなければ応募できないなどというふざけた求人があるからだ。求人サイトも商売だからといえばそれまでだが、本当に面倒だ。それでも、興味がある求人であれば、とりあえず応募してみる。その都度、履歴書にあるようなデータを入力する。名前から就職先、資格などなど、一通り入力する。そして、データをもとに送る。そして、落ちる。無駄でしかない。

一方で、応募が簡単なものもある。履歴書や細かい情報は必要ない。名前や年齢といくつかの条件を入力しただけで、受理される。条件といっても、求人票に書かれている必要な資格などで、それを所持しているから応募しているので、それでどうこうということはないはずだ。だが、落ちる。何で落としたのか。名前か。年齢か。それくらいしか思い至らない。年齢が原因なら、そう書いておいてくれ。年齢を制限するのは、求人票のルールには抵触していないはずだ。それとも名前か。名前で落とされたのなら仕方がない。とんでもないな。まあ、実際は既に人が決まったとか、優先したい人がいるとか、なんやかんや事情があるのだろう。そんなことをいちいち考えても仕方がない。とにかく、ご縁がなかったのは、ご縁がなかったのだ。それはもう、ご縁がないのだから、考えても仕方がない。

そんなこんなを3年くらい続けているが、相変わらずこのプロセスに消耗している。求人を探す、応募の準備をする、応募する、面接をする、落ちる、または受かる。それを繰り返している。それもまあ、パートタイム労働(通称アルバイト)ばかりしているからなのだが、それに疲れたので正社員を探している。もう、とりあえずどこでもいいから落ち着きたい気持ちもあるが、ここで妥協しすぎるのも困るので、ご縁を探している。

ということで、絶賛進路に悩みまくりである。まず、教育系を探しているけれど、結局は支援系の仕事に従事するということで、それはそれで大丈夫なのって感じもあるし、かといって他に君に何ができるのかっていうと、何も出来る気がしない。教育系、支援系の仕事は、ブラックで金にならないのが基本である。例外はいくつかあるけれども、だいたい僕が関心を持てるものは、だいたいブラックな要素がつきまとう。健全に、安全に、安定した仕事を選ぶ選択肢がない。これ、いいかも、って仕事はだいたいブラックだ。しかも、賃金も高くはない。それは、パートタイムでも正社員でも変わらない。じゃあ、他に何ができるのかっていうと、何もできない気がする。困った。詰んだ。

教育系でも比較的、ほんとに比較的であってそれがブラックでないとは言わないのだが、比較的良心的な進路として、最近興味を持った大学の教員だが、それはそれで、修士課程、博士課程という時間とお金のかかる選択肢であり、どっぷりげんなりする。今の段階で研究したいテーマも定まらないし、まずは二つ目の大学を卒業するのに必死である。求人の内容的に、論文指導以外であれば、講義でも学務でも学生募集でもなんでもやれそうな気もするけれど、何分論文指導はちょっと無理なのですよ。だって、自分だってこれから卒論書くのに。昔書いた卒論なんて、過去すぎて過去だし。とにかくも、金も時間もかかるのなんなの。何で僕は日本に生まれちゃったの。

心理学は学んでいるものの、それを直接仕事にする道は、どんどん考えにくくなってきている。まずは、公認心理士って資格のコスパのわるさにうんざりしているし、Gルートで取得した皆さんの話を聞くたびに、こんなことまでして取得しても、この方々と同じなのかと思うと、ちょっと落ち込む。彼らは全くわるくはないのだけれど、一般的にはAルートもGルートも変わらぬ社会的評価だと思うと、まあ、落ち込みますよ。時間とお金をかけて取ってもなあって思ってしまう。それはわかっていたのだけれど、学べば学ぶほど、なんでこんなに学んでるのに同じやねーんとは思ってしまう。一方で、臨床心理士の資格や学びも、これまた時間とお金の賜物である。時間を生み出すのも金なのだから、結局は金、金、金である。格差社会ってなあに。そうね、それが社会なのよ。

僕が心理学を学びたい一番の理由は、心理を基本から学び直さないと、対人支援の仕事に支障が出ると感じたからだった。だから、心理職になりたいわけでも、心理の研究をしたいわけでもない。とにかく、昨今のポピュラー心理学、カジュアルな心理学の有害性を感じ、対抗手段として、体系的な学問としての心理学を学ばなければならないと思ったからだ。また、その学んだ証明としての、資格も取得しようと考えたからだ。だが、それさえも、結局は資格を得るための勉強という、ある意味では本末転倒になってしまっているところがある。それもこれも、カリキュラムをこなすのに、余裕がないからだ。実習がある関係で、追い立てられるように課題をこなさなければならない。わかっちゃいたけれど、どっぷり疲れている要因の一つだ。

一方で、音楽や芸術に触れる仕事もいいよなあと定期的に思う。でも、これはもう、安定したお金にはなりにくい。安定した収入に向けても、やっぱりお金と時間がかかる。そして、ものっそい努力と苦労が必要である。僕は芸術は好きだけれども、苦しいことはなるべくしたくない。そんな覚悟などない。息を吸うように芸術に親しみたい。何かを失いながらやるのは、無理だ。

もう、教育と芸術なんて、日本が力を入れていないランキングワースト2のような二つを専門としている自分がうらめしくなる。そして、第三の専門としようとしているのが、これまた魑魅魍魎の住まう心理学である。もう少し、自分の興味関心適性は、他に行かないものか。もうちょっと生きやすい道はないものか。結局は自分が見えている自分が、教育と芸術だけだから、そこから抜け出せない。教育と芸術の呪縛の中で、文句を吐きながら、低空飛行を続けている。


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