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坂口恭平・斎藤環「いのっちの手紙」一言感想文

そういえば、往復書簡というものも、めずらしくなったような気がする。対談や鼎談を文字に起こしたものの方が多いんじゃないだろうか。この本は、いわゆる往復書簡なのだけれども、その一回あたりの量がものすごく多い。全体でまあまあの文章量があるこの本全体で、六往復しかしないのだから、それは一回あたりの文章が長いことはわかる。これは、多くの熱量を持ったお二人だからこその文章量なのだと思う。相手の文章に触発されて、相手への関心と自身の持つ問題意識が混ざり合い、怒涛の文章が紡がれる。相手との対話でありながら、どこか内省的で、自己対話にもなっているのが興味深い。これは、対話ではなかなか起こりにくいものである。手紙という形にすることで、内省的な部分が色濃くなる。この人は何を考えているんだろう、このことについてはどのように考えるんだろう、そんな読者の関心を持たれる二人の熱量に、我々は圧倒される。ただ、対人支援を行っている人、創造的な活動を行っている人にとっては、共感とひらめきを促す内容にもなっている。音声によるやりとりではきっと実現できないような、文字でのやりとりからから生まれた言葉に、はっとすることも多い作品である。




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