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家族を分断し、そしてつなげてくれた山の恵み

昼間でもうっすらと暗い、お宮の裏の林。たくさんの種類の木が重なるように繁って、太陽の光をさえぎっている。そこで、しいたけは育っていた。

黒く、ゴツゴツした肌のクヌギの幹は、筋肉隆々の腕を思い起こさせる。ドリルで等間隔に穴を開け、種駒を打ち込む父の姿は、いつまでも飽きずに眺めることができた。

よく育ったしいたけは、大人が手のひらを広げたよりも大きくなり、肉厚でずしりと重い。大きな皿に並べて、塩をパラパラと振り、ラップをかけてレンジでチン。隣で、熱いのをハフハフ言いながら食べるのが、最高においしかった。余計な手間をかけずに素材を味えるのは、実は贅沢なことなんだと、今になって思う。

しいたけを調理するのは、いつも父だった。理由はただひとつ。しいたけが大好きな父とは対照的に、母は大っ嫌いだから。外食で出た茶碗蒸しにしいたけが入っていると、その周辺からごっそりとスプーンですくって僕の器に入れていた。しいたけに関しては、僕と妹は父派、弟は母派と、家族はまっぷたつに分断されていた。でも、父は、食べるライバルが減っていいことだと笑う。僕も、そうだそうだと同意しながら、しいたけをまた口に運んでいた。

昨日買ったしいたけが、懐かしい光景を思い出させてくれました。その時に住んでいた家は、僕が中学生に上がった年に引っ越して、もう取り壊されています。お宮の裏の林で育ったしいたけを食べなくなって、もうすぐ30年が経つと思うと、ものすごく遠い話に感じます。それでもその光景を思い出せるのは、幸せなことかもしれません。

と同時に、子どもたちにインパクトのある食の体験を残せていないような気がして、もどかしさも感じます。

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