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いっそのこと、義務化しちゃえばいいと思う【もしも〇〇を改革するなら】

今日は土曜日。
土曜日と言えば、『書くンジャーズ』。仲間たちと毎週テーマを決めて共同運営を続けている日刊マガジンで、僕は土曜日を担当しています。

今週のテーマは、【もしも〇〇を改革するなら】

「改革」。

もしも僕が、何かの改革をするなら、小学校のPTAを選びます。
過去に会長をさせてもらった経験もあって、ネガティブなイメージを持たれていることも感じ、思うところがあるから。

僕がもしもPTAを改革するなら、義務化。

「ん?」と思ったらぜひ、僕の勝手な解釈と仮説にお付き合いください。

まず、PTAの定義を調べると、こう記されていました。

日本におけるPTAは、各学校で組織された保護者と教職員による社会教育関係団体。
(中略)
任意加入の団体であり、結成や加入を義務付ける法的根拠は無く、
(以下略)

>ウィキペディアより

「任意加入なのに、何らかの委員をやらされる」とか、「委員決めでいつも逃げてるあの人がズルい」とか、「任意加入だから拒否する権利がある」とか、毎年残念な意見を見聞きして、そのたびにモヤモヤしてしまいます。

大人が、大事なところこから目を背けてどうするんだ?、と。

PTAが、団体のあり方として本来目指すものは、保護者と教職員が共に学ぶ場。学ぶ内容は、子どもの育ちのことだけでなく、その学校がある地域の歴史とか、どんな人がいてどんなつながりや関わりがあるのか。

そこで生活する者として、地域のことを知らなかったら不安じゃないですか?
地域のことや地域の人を知っていたら、子どもと一緒にもっと安心して暮らせそうな気がしませんか?

実際、子どもたちは、親が知っていても知らなくても、関心を持っていても無関心でも、地域の人たちに見守られて学校生活を送っています。登下校する通学路もそうだし、今は学校の授業の中にも地域の人が関わったりしています。

情報が少なかったり、忙しくて余裕がなかったりで、関心が持てないだけならまだいい。でも、そこに対する否定的な反応はおかしいと思うんです。
生活している以上は、学ぶこともセットになっていいはず。「公道を通行するなら、交通ルールは守る」と同じくらいの感覚で。

これは僕の仮説ですが、ここには危うい思想が潜んでいる気がするんです。

それは、「子どもたちのために何かをする」という想い。イベントや、何かの節目に品物を送るといった行為といった類のもの。
もちろん、いいこともたくさんあります。だけど、「何かをする」ことだけに光が当たりすぎた結果、やりたい人とやりたいわけじゃない人、できる人とするのが難しい人が生まれてしまってるんじゃないでしょうか。最初は、小さな差だったのが、どんどん摩擦が大きくなって対立構造と否定的な感情に発展して。

そう考えると、究極は、イベントごとは何もやらなくてもいいかも。
先生たちと、他の保護者と、一緒になって地域のことに意識を向ける。公民館や自治会が出すおたよりに目を通したり、近所の人とすれ違うときにあいさつしたり、地域の人と子どもとのふれあいについて子どもから話を聞いたり。
そんなことをしようね、こんなことがあったよと、保護者と教職員が言い合える。まずはそこだけを大事にする。

意識を向けるのは目に見えないから、実際にどんなことをするのかは、各個人に委ねるしかありません。だけど、生活しているのだから、ほんのちょっとでいいから愛着を持とうと気にかけることは、出来ると信じたい。みんなでやっていきたい。
そういう意味での、義務化。

呼びかけ続けるのが、いわゆる会長や役員・委員といった存在なんでしょう。「何かをする」のは二の次になるから、会費はいらないかもしれない。

「もしも」から始まる勝手な妄想だから、うまくいくかは分かりません。
でも、任意加入で揉めるくらいなら、はなから義務化の状態で、余計なことは考えずにみんなで地域のことに目を向けている社会を見てみたい。

毎週テーマを決めて共同運営を続ける日刊マガジン『書くンジャーズ』。
今週のテーマは、【 もしも○○を改革するなら 】でした。

お題に身を委ねて、普段思っていることをつらつらと書いてみたのは、土曜日担当の吉村伊織(よしむらいおり)でした。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

書くンジャーズメンバーが思い描く「改革」は、こちらのマガジンでチェックしてくださいね。

それではまた、お会いしましょう。

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