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コロナ禍を経て、改めて感じたい「心」

「ある(在る)」という表現がいいのか、「持っている」という表現がいいのか、べつにそんなことを明確に決める必要はないのか。

目に見えなくて、取り扱いが難しくもなるけど、誰もが「心」と共に生きています。

何となくは感じていながら、ことばで表現しようとするとうまく言い表せない「心」について、note仲間でもある西嶋さんと語り合いました。

西嶋さんは、1200日以上連続でnoteを更新しながら、本を通じて人と出会う旅に出かけるというコンセプトのインターネットラジオ『ほんじゃーにー』も続けていらっしゃいます。福祉の現場で働かれているので、何度か個別に相談もさせてもらいました。
その西嶋さんから、『心はどこへ消えた』という本について語りましょうと声をかけていただき、『ほんじゃーにー』の収録となったのです。


『心はどこへ消えた』は、臨床心理学者の東畑開人さんが書かれた本です。
2020年5月から2021年4月にかけて週刊誌で連載されたエッセイをまとめたもので、タイミングはちょうど新型コロナウイルスによって僕たちの生活が激変した時期。まさにコロナ禍の社会の様子や、カウンセリングルームでのクライアントとのやり取りが、著者の視点で綴られています。

なので、西嶋さんとの語り合いは、本を振り返りながら、自然と自分たちのコロナ禍の生活も振り返る時間となりました。

お互いそうだよねと共感するのが、リアルで人と会った時のなんだかホッとする感じ。オンラインで、画面を通してやり取りするのとは、やっぱり違います。
何かの用件を済ますだけでよければ、オンラインはとても便利で効率のいいツールとなります。この「便利」や「効率」は、時間がかからないとか、余計なことをしなくていい、といった表現で代弁できそうです。このおかげで、外出できない状況でも仕事は進んだし、遠くにいる人ともやり取りできるようになりました。それはそれで、とてもありがたい。
だけど同時に、それだけじゃないよね、という感覚がつきまとっている人が少なくないようです。

その「感じ」・「感覚」をひも解く鍵になりそうなのが、「Be」の状態。
「Be」は「いる(居る)」とか「ある(在る)」を表していて、対になるのが「する」を表す「Do」。
オンライン上のやり取りは、そもそもが何かの用件を成し遂げることを目的としているので、「Do」の営みです。
「Be」にも、大きく見ると一緒にいて何かをすることが含まれているけれど、それ以外の何もしないでいる時間も存在します。ホッとする感じは、何もしないでいる時間に生まれているのではないでしょうか。

そんなことを考えると、身近にいて、直接の接点がある人間関係が、改めてとてもありがたいものに思えてきます。
場合によっては、その人の姿が見えなくても、花壇に咲く花からも、人の営みを感じることがあります。


西嶋さんとの語りで、大切なこと、大切にしたいことを、見つめることができました。
今回の『ほんじゃーにー』の収録は、2回に分けて公開されています。お時間のあるときに、ぜひ聞いてみてください。

心って何者か、定義するのは難しいかもしれないけれど、立ち止まって考えることを通じて、身近な人にやさしくなれたらいいなと思います。


『心はどこへ消えた』を読んだときの、読書のきろくはこちら。

僕が読んだのは、去年の11月。
それからまた半年が経ち、生活の様子が変わってきた今読んでも、また感じることが多そうです。

まだ読んでなければ、いかがでしょうか?

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