歴史と経済64〜広がり〜

自己拡大と利潤追求の時代から少しずつ変化してきているように感じる。
地球環境への配慮がEVや原発全廃などを目指す動きに見られる。
SDGsの達成を企業が志向し、ビジネスの重要な要素を成してきている。
教育分野では、特別支援教育の考え方が普通校であっても必要とされてきている。
そして、子どもを育てるのは、学校だけでなく地域で育てるという考え方が登場してきており、その動きが顕在化している。
専門機関どうしが連携して、横のつながりを作っていく。
外国人も増加してきている現在では、教育に夜間中学を活用できないかという
発想もあるだろう。


成長・発展を望むのは人間の性であるかもしれないが、それも何らかの価値観に基づいていることは確かだ。
20世紀は資本主義の時代であった。
戦争の時代でもあった。
地球環境よりも国家の成長や覇権争いが優先された時代であった。
その結果、人間はそれ相応の豊かさを享受できるようになってきた。
出産の死を伴うほどのリスクも軽減されてきた。
貧困などの問題も少しずつ改善が見られる。
かつての人類史のどの時代と比較しても、人間は長生きできる時代になってきた。
一方で、豊かではない世界を押し付けられてきた人々や社会における「普通」に入れない人々が見過ごされてきた事実は見逃せない。
十分な豊かさを享受してやっと現状を見直し、遍く広くあらゆる人々にこの豊かさが享受できるように光を当てていくべきだという雰囲気が出てきている。
もはや、資源の配分の観点からも予断を許さない状況である。


ビジネスをするにも、講演会を開くにもさまざまな立場の人や環境への配慮が求められるようになってきた。
利潤を追求するにしろ、この観点は欠かせない。
だとすれば、21世紀は福祉へのリテラシーが標準となってくるのではないか。
そして、現在起こっていることを広い視野から深く学ぶ姿勢が重要となるのではないか。
知識の瞬発力ではなく、思考の持久力の勝負の世紀だと言えるかもしれない。
ここに、歴史の果たす役割は大きい。
過去のことと切り捨てるには、得られるものが多すぎる。
昔の人々も現在の人々とそう変わらない程度に努力していた。
むしろ、今より不便だった分、さまざまな方面でエネルギーを要求されたのではないか。
幅広く物事を捉え、考えていこうと思えば歴史の果たす役割は重要となる。
現在世界は人類の選択の結果である。
人類が開発を優先した結果、地球環境問題が起こっている。
コロナウィルスの問題は人類の知恵を試している。
分断された世界でもつながりを求める人間の姿が見られる。
手を取り合ってこの問題を乗り越えようという決意が感じられた。
果たして、昨今のコロナ問題を人類が連帯して取り組めるだろうか。
この点に注意してもし過ぎることはないだろう。
国際情勢一つとっても、米中の覇権対立は強まってきていると言える。


現状、なぜこうなっているのか?
どこを改善していけばいいのか?
このような問いを発見し、解決策を探ることは簡単なようで難しい。
現在世界の「どこ」が問題なのか、「なぜ」問題になっているのか?
こういった問いは自分から探して取り組む姿勢が要求されるだろう。
現代世界の課題はさまざまな要素が複雑に絡み合っている。
これを解きほぐす作業に歴史が一役買うことは間違いない。
そして、経済を捉えるときに他の福祉的な要素と調和させる必要があるのであって、経済至上主義では人類は前進できなくなった。


こういった状況を踏まえると、これからの発展のあり方は縦にまっすぐ前進していくというよりは、横に広がりながら「少しずつ前へ」といった進み方になるのではないか。
そこには、一義的な解答が求められるのではなく、さまざまな人の考えを聞き、最適解を見出していく力が求められるのではないか。
世界の潮流がその方向へ向かっていっているように感じる。


勉強ができることも大切であるが、発信力や表現力、人と繋がる力が要求されていると言えるだろう。
この繋がりがインターネットでこれまでとは違う規模で可能になってきている。
あとは、求めるか求めないかの差である。
もっとも、「地域」で繋がるのか「世界」で繋がるのかを選択できるという意味でも成熟社会が到来してきている。


少なくとも自己拡大が志向される時代が終焉し、どれだけ分かり合えるのかという人間的な共感力や発信する勇気が求められる時代になってきていると言えるのではないか。

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