山本哲士氏へのインタビューを開始します

2月以来、事実経過は述べても、いくつかの理不尽な攻撃に、珍しく沈黙している山本哲士氏へのインタビューを申し込んだ。なぜ黙っているのか? どう考えているのか?
インタビュアーは、フリーの編集者たち、そして企業経営者たち、さらに教師たちからなる。出版上の問題だけでなく、現在の本質的な問題がビジネス的なマネジメント問題としても凝集していると考えるからだ。日々の生活の生き方においても関わる。世界の分断は、日常生活においてももう起きているし、異常に窮屈だ。
ロシアが、勝手に土足でウクライナへ侵略しながら、自分の過ちを正当化している光景が、個人の言動にも現れてきている。それは、社会の動きにもう胎動している。ベトナム戦争での米国、ウクライナ戦争でのロシア、そこに象徴される自由主義・社会主義、民主主義・独裁主義などの対立を超えて、人殺しが横行して正当化され、そこへの厭世感が当事者たちにも一般にも蔓延しつつある。侵略への反撃も人殺しだという問題に一般化されてしまう。言動においても、放っておけない物事が、今回の「心的現象論・本論」をめぐる出来事にはある。編集者の常識からして、全集版では、刊行物・著者に対して明らかに出版倫理に反していることがなされている。その編集者の態度は、編集の風上にもおけない信じがたいものだ。ビジネス倫理としても、よそごとであると知らぬふりでもって放置はできない。周囲にいろんな形態で起きていることでもある。
山本氏からの回答は、あと1ヶ月時間をおきませんかとのこと。出来事が起きて事態が誰にもはっきり冷静に感知できるようになるには半年以上かかるであろうとのことからだ。事実を述べても事実が否定される異様な事態が起きている時、他の作用が機能しているゆえ、冷静に事実を間違えないようきちんとすることには、権力関係の根源が働くことが不可避になる。間違いを正せば済むということで終わらない。そこで解釈はずれようと、事実は一つだ、その違いへ自覚をもってくれと言われた。事実への否定態度が平然と横行している、だが実名は当事者たちに害が及ぶゆえ、できる限り記号化するように、公の場で名誉を汚すことはすべきではないし、やむなく規制されてしまう関係者たちの関係性へ配慮するように、とのこと。処理されたことが蒸し返された異様さには、根深い編集作業の本質問題と歪みが潜んでいるゆえ、さらに広い本質視座を抜かさないでくれ、とも要請された。現象だけで理解は成り立たない、という理由からだ。しかも、語られたことだけが事実でも真実でもないと、主張された。ほんとのことは目に見えない、語られていないことも語らねばならないし、考えられえていないことも多々考え語らねばならぬ、と氏は言う。であるゆえ回数は、はっきりするまで何回でもすること、記録起こしは慎重に、との要請だ。当然である。その上で、受諾してくれた。
吉本亡き後、状況へ迫る考察は薄れている。山本氏は、現実の実際にたって本質の論理を展開するだけでなく、実際のマネジメントを研究生産として実行している。ただの机上の学者ではないゆえ、聞くに値すると我々は思っている。我々自身にも利害関係はシビアに関わってくるゆえ、慎重に進めるが、自分のこととしての自覚をもってなす。ただ非難・批判をすることが目的ではない。
大転換のカオスの中での「真正の機能」を掴み直すこと、それなら意義はあると山本氏は言われた。社会主義の真正原理が崩壊した後、資本主義の真正原理が空転ないし空洞化しているゆえ、「正しさright」と「真正性authenticity」との隔たりが日常世界でも増してしまっている、そこで「自由の自己技術」はどうなるのかを考えるべきだ、と氏は言う。問うていきたいことだ。
山本氏に対してもこちらが言いたいことはあるし、吉本情況論が世界理解でぶれたりすることがあったのも、我々は知っている。遠慮なく突っ込んでいくが、山本氏は妥協する人ではないのも知っているゆえ、緊張感がある。公開は、我々の責任においてなすが、秘匿すべきことはきちんと守り、口外はしない。間違いは、即修正するように努める。少しづつ公表していく。6月末から、開始する。質問の要点などは届けてある。change.orgで一つのムーブメントをおこしたことへの責務であると考える。