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"いちめんのなのはな" 教材で教える詩の授業 小ネタ

季節の動きを感じに、菜の花畑へ行きました。
コロナ禍、家族のお出かけは密を避け屋外。
まだまだ冷えるが良い陽気。春は近い。

黄色い絨毯に分け入りながら、娘が口ずさむ。
“菜の花畠に入り日薄れ”
「朧月夜」です。作詞も作曲も誰なのか僕にはわかりません。
続いて僕が思い出したのは

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

山村暮鳥 「風景 純銀もざいく」より一部抜粋

ひらがな表記と反復が印象深い山村暮鳥の詩。
帰宅後に撮った写真を整理しながら
“そういえば、
この詩を使って授業したことがない”
と思い、
”どうやったら授業になるかな~”
と考え始め…
3秒でやめました。

「教材をどう教えるか」
「教材でどんな授業を授業するか」と考えるのは
“なんちゃって国語科”らしくない。

「教材教える」ではなく
「教材教える」が基本スタンス

考えるのは
「これは教材になるのか」
「この教材はどんなタイミングで使えるか」
です。

考えた結果…
教材になりそうだと思ったので
Canvaの練習台としてスライド&動画化

動画はこちら

https://www.canva.com/design/DAE5gTJWcU4/watch?utm_content=DAE5gTJWcU4&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=shareyourdesignpanel

詩の鑑賞の授業はもちろん、
詩や短歌の創作、
自由選択での鑑賞レポート作成、
ポスターやチラシの作成の授業の際に使えそう。


以下はスライドの内容を補足説明です。


はじめてこの詩を読んだ時に思い浮かんだ多くの疑問がありました

  • 何でひらがなにしたのだろう?

  • 何でこんなにも反復して8行に?

  • 何で7行目を変えたのだろう?

    興味深かったので、調べました。
    配置に山村暮鳥の工夫があると言われています。

この詩は各連が縦に8字、横に8行。
全てひらがな表記にして1音1文字とすることで、響きだけでなく、見た目の数も揃えているのが特徴。
だから、斜めの文字数も8字になる。

反復が多いため、斜めに読んでも「いちめんのなのはな」になりそうに見える。
しかし、惜しくも「いちめんのなのな」になる。
7行目が反復でないため、各連1文字だけ合わないのだ。

同様に第二連、第三連も斜めに読むと
「ベ」と「つ」がイレギュラー。

ぶ・ベ・つ…「侮蔑」でしょうか?

全体を見渡すと
「いちめんのなのはな」に
「侮蔑」が紛れ込んだビジュアルとなります。

第三連「やめるはひるのつき」は
漢字だと「病めるは昼の月」かと思われるので
“どこか暗い詩だな”
とそもそも感じさせる詩なのですが、
菜の花畑に「侮蔑」が潜んでいたとはなかなか気づけません。

タイトルの「純銀」は活版印刷用の鉛の活字のパーツのことだと推測され、
その活字でつくったモザイクに心の暗部を隠したということでしょうか。

こういった解釈で合っているのか、深読みしすぎなのか、
山村暮鳥が語らぬ限り判り得ないのですが、そこが楽しさ。

古典にも登場する「折句」と言う技法を
明治、大正時代の山村暮鳥が活字の力で発展させた工夫。
謎解きのようでおもしろいし
時代を掴んだ挑戦だと僕は感じます。
音声言語で伝わることの方が多かった古典の頃には
できなかった工夫ではないでしょうか。

ICT端末が子どもたちの手元に渡り
文字・画像・映像・音楽…
様々な情報を複合させることができるようになった21世紀
子どもたちがどんな創意工夫を見せ
言語文化を発展させていくのか
楽しみですね。
新しいものが生まれる瞬間を
教室で目撃できるかも。


ちなみに、工夫を深読みせずとも僕はこの詩が好きです。
想像世界の視覚に訴える1〜6行目に突如差し込まれた7行目は
「むぎぶえ」「おしゃべり」と聴覚を喚起する差し色として効いており、
ひらがなによる柔らかさ
反復によるのどかさが
春の雰囲気を醸すとともに印象深く、
思わず口に出してしまう魅力的な詩だと思います。

でも、全生徒にそれを共感しろというのは乱暴な話だと思いますし
「教材教える」授業をする気もない。
この詩教えるのは、
「詩は表記で仕掛けが可能」を教える位でいいのではないでしょうか?

なんちゃって国語科でも
もちろん教材研究は大切。
そう思った週末でした。

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