インフォームドコンセントとパターナリズム


今回は利用者さんの意思決定とケア方針について更新していきます。


パターナリズムとインフォームドコンセントについて


パターナリズムとは?

強い立場にある者が弱い立場の者の意志に反して、弱い立場の者の利益になるという理由から、その行動に介入したり干渉したりすることである。

とあります。


医療、福祉現場においては
「医者と患者の権力関係」がパターナリズムであると、1970年代初頭に医療社会学者のエリオット・フリードソンによって指摘されました。
著書の『医療と専門家支配』により詳しく記載されております。


パターナリズムと相反するものとして挙げられるのがインフォームド・コンセント。
こちらの方が馴染みがある方が多いかもしれませんね。

インフォームドコンセントは利用者さんが専門職から医療やケアの方針について十分な説明を受け、納得した上で自らが治療や処置を受け入れる決定を下すものです。
いわゆる本人の意思を大切にするという価値観の下でのケアになります。

パターナリズムの「患者のためになる」という判断での処置は、患者の同意を得ていない場合このインフォームド・コンセントに反します。
医者から無理強いをしない治療やその人らしさを尊重する考えは一件良いことのように思える。

しかし医療や介護の現場ではそう簡単にいかない。
一般的には事前に本人や家族の意向を汲んで治療を行います。

だが何らかの疾病により意思疎通が難しい方や認知症により自己決定が難しい方についてはインフォームド・コンセントの適用が難しい場合があります。
そして本人の意思が聞けないまま医者や家族、第三者により治療の方針が決められてしまう事は珍しい話しではない。

パターナリズムを拒否する。

パターナリズムを拒否する方達を「リバタリアン(自由至上主義者)」と呼ぶ。
広い意味で安楽死や自傷的行為を行なう考えを保護する法律に反対する考えである。

シートベルト着用義務法はを例にあげる。
オートバイに乗る際のヘルメット着用義務法。
この法律はもちろんヘルメットをかぶらずに運転することは大変危険である事から制定されていることは誰もが理解できると思う。
しかしヘルメット着用義務法が命を守る法律だとしても、リスクを自ら管理する権利を侵害しているとリバタリアンは話すのである。
第三者に危害が及ばない限り、そしてオートバイの乗り手が自分の医療費を払える限り、国はオートバイの乗り手が自分の命と体でどんなリスクを取るかに指図する権限はない。


これがリバタリアンの考えである。

このような根拠で反対し、人間の自由の名において、医療や福祉の場では度々ぶつかり合う事がある。

私は医者ではなく、一介護従事者です。

福祉の視点から考えた時の介護

私は医者ではなく、一介護従事者です。

その人出来ない事を支えるのではなく

〜その人らしい生活を支える〜

この考え方が非常に重要です。

パターナリズム的な
「あなたのためになる!」という押し付けではなく、あくまでもその人の生活を支える。


そしてインフォームドコンセントの行き過ぎ

「なんでも好きにどうぞ」ではなく、生活の中での支えを考える。

食事介助一つ取ってもそうです。
食事を勧めても、本人がたべたくないと話す時。
それを疾病の影響や認知症の場合は伝えるのが難しい。
その場合ケア者は食べてもらえないと仕事が終わらないと考え、口に詰め込んだりし始める。
本人からすると急食べ物を口に入れられたと解釈し恐怖を覚えます。
ケア者側の都合優先で進めてしまうジレンマにハマってしまう。
目の前の仕事ではなく、生活や暮らしの背景を支える考え方をしていきたいですね。


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