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人間の「意志」はやっぱり存在するかも、と思った話┃『社会心理学講義』を読んで

最近、人の意志は存在するかも、と思った。

当たり前ぢゃん!と突っ込まれそうだが、過去に読んだ書籍の著者が、「人間の意志は、虚構である」ときっぱり否定していた。
意志は存在しないのか?この問いが頭の中で引っかかっていたのだが、先日子どもの予防接種に行って、この問いについて考えを巡らせたので、記録しておきたい。

まっすぐで透明な意志

先日、約3歳の子どものインフルエンザの予防接種のために、ベトナムの総合病院に向かった。病院に着く前から、「ちっくん(※注射のこと)痛いかなぁ。痛いかなぁと怖がる娘。ナースの部屋に入り、いよいよ注射の針を前に、緊張は最高潮に。

「手より足の方が痛くないから足に注射しよっか。」と看護婦さんからアドバイス。 

すると娘は、「いや、手がいい!」ときっぱり。

看護婦さん「手は痛いし、動くと危ないよー」

娘「手にするの」

看護婦さん「ぢゃぁ、泣いちゃだめだよ」

娘「。。。」

ちくん。

看護婦さん「はい、おわり〜!」

本当に泣かなかったし、じっと前を見つめて、微動だにしなかった。
おおーそのまっすぐな意志、かっこいい。
忖度も何もない、混じり気のない、透明な気持ち。
(のようにママは見える😂)。

あっでも、意志は存在しないんだっけ、とここで、以前本で読んだ一節を思い出す。その本とは、小坂井敏晶さんの名著『社会心理学講義』である。ここでは書籍に関連した記事を引用したいと思う。

(久々に読み直したらめちゃ良い記事だった・・・)

”人間が行動するまでには、まず脳が無意識のうちに行動の指令を出し、その後並行して「行動」と「その行動をしようという考え」が生まれてくるわけです。
受け入れ難いかもしれませんが、そもそも行為の原因となる意志なんてものは存在せず、私たちは無意識のうちに行動しているのです。

「自分の頭で考えろ」とみんないうけれど
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「意志」というものはもともと存在しなく、対外的な反応として、脳から「行動」のための信号が、無意識下で送られる。その後、我々は行動の根拠となる最もらしい理由を、「常識」の中から探し出し捏造する。これらは一瞬のうちに生成されるため、私たちは自分の意志で行動したと錯覚
したと思うらしい。

主体というものは存在せず、不断の自己同一化によって今ここに生み出される「社会心理現象」。

つまり、私がこのnoteを書いていることも、自分の意志ではなく、たまたまタイミングが重なった故に、外部から引き起こされた社会心理現象ということだ。

だけど、娘はどうだろう。
もしかしたら、過去に見ていたYouTubeの動画で、素敵なお医者さんが患者の手に注射をしている姿に憧れたのかもしれない。そこには、合理的な理由は何もない。だけど、無意識のうちに、脳が行動の反応を出したのかもしれない。

もちろん娘はこれが「意志」とは分かっていないわけだが、第三者の私が、彼女の意思をかっこいいと感じたらば、やはり人の意志はちゃんとそこに存在する、と思ったのだ。
純然たるそのまっすぐな気持ちを見て、嗚呼、やっぱり意思はある、そしてこのまっすぐな意志をちゃんと育んできたいと。

大人になると、自分の意志にさまざまな思惑や忖度が捕捉されてしまい、脳の行動指令も、まっすぐな透明ではなくなる気がする。わたしもちゃんと真っ直ぐな意志を育てたいぞ。

この「問い」については引き続き考えたいなと思うので、『社会心理学講義』を読んだ方がいたら、ぜひお話ししたいです!


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