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楽園

『放っておいても人生は苦労の連続』
という言葉を、目にしたり耳にしながら私達は生きてきたけれど

ブッダは自ら進んで行う肉体的な苦行は捨て、
人間の苦しみは心の中の欲望が招くことであると説いたけれど

かたや世間では若者に対して
『苦労は買ってでもしろ』なんて言われたりもしたけれど

昨日、自動車学校から帰宅途中の夕空を見上げながら
(本当に人の世とはいつまでもそんなふうなのだろうか?)
と、ふと思いました

本当に人の世と人生は
苦痛に満ちる“べき”、苦労と共にある“べき”なのかなあ、と。

人の精神と肉体はこの物質世界で人生を生きるにあたって
何に意識をフォーカスするかによって、毎瞬ごとに確実にアップデートされている
(例えば毎晩修練することで私の脳はピアノコードを覚えていく。私は弾けるようになる自分を意識するようになる。ある時私は弾ける私になる。)

『考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる』
: 英国初の女性首相マーガレット・サッチャーの言葉 

愛、や 感謝、や 勇気、といった言葉は
とてもパワーのある言葉ですが
あまりにも色々な状況で使われ過ぎて

相応しくない場面、虚偽や欺瞞に満ちた精神からも容易に発せられ過ぎていて
(何故なら人を騙すとき、支配しようとする時、嘘をつくとき、それらの言葉は利用されるから)

それらの言葉を耳にし目にすると
多くの様々な感情が我々に押し寄せ
それらの言葉の意味とは真反対のものに意識がフォーカスしてしまうことがあります

陳腐で暑苦しく、胡散臭く、厚かましく、受け入れがたいものに感じることもあるし、
真っ直ぐな心の状態でなければ
その光に潰されそうになってしまう。

私やまわりの人達がこれまで生きてきた人生や
人類の歴史上の沢山の人生は、事実、
無数の不幸や苦悩、苦痛と共にあったことだろうと思います

けれど人の世と人生は
苦痛に満ちる“べき”、苦労と共にある“べき”
なのではなくて、
もっと幸せで満ち足りた平和なものにいつかなり得るのではないかなーと。

或いは、完全ではないけれど
今よりももう一つバージョンアップ出来る時代がくるのじゃないかなーということを
昨日なんとなく感じたのでした。

【楽園】とは、どういう世界だろう
それは現世で(ネガティヴな意味で)俗にイメージされるような

怠惰と愚鈍の、無法地帯
誰も働かず、何も努力せず、怠けて飲み食いし、欲に肥えて、あらゆるエゴや怠慢が思うままにのさばっているような、
そんな世界でしょうか

本当のそれを、まだ人はイメージできていない
今まで生きてきた世界が『あたりまえ』
なのか、それとも何か未知なものを『生み出して創造して』いくのか

いつも材料は同じものが用意されている
この宇宙にあるものと、命と、意識

日々世界で起きている色々な出来事のニュースを見ながら
今日も小さな自分自身の1日を生きる

世界は、日本は、段々悪くなっているように感じる時もある
けれどそうではなくて、
例えば身体の膿みが表面に出てきてカサブタとなり、やがてターンオーバーして剥がれ落ちてゆくように
今までもずっと内在していた不健康なシステムの原因が、内側から表面化され明らかになってゆくような
そんな過程なのかもしれないとも思う

だから愛、感謝、勇気などを
真っ直ぐに飲み込めるような健やかな状態に
なれば、世界はまた一歩バージョンアップできるのではないでしょうか

自分の内側のどんなものにフォーカスしていくのか。 

そんなわたしの1日
ひとまず自動車教習、仮免許合格して
よく出来ましたな日だったのでした

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