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雑記

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日記もどき
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#日記

日記を晒す(2022年5月)

病んだ自分の日記が好きだ。頑張って生きていてなんだか滑稽味がある。 本当に何もできないときは日記なんかつける気力も当然無い。こういう文章を書けている時はその分の気力というか、エネルギーが余っているのだろう。 某日 学校嫌すぎて布団でスプートニクの恋人を読んでた。行かなくてもいい大学に行きたいって言って行かせてもらってるんだから学校行きたくないとは言わないと決めてたけどここでくらい許されたい。特に何もないんだけどまだまだ学問が頭に入ってこない、っていうか元の調子に戻ることなく

名前の話

 自分の名前が嫌いだ。    完全に名前負けしている。そのうえ読みにくい。さらに氏と名の取り合わせが悪い。白米に苺ジャムをぶっかけたような、バランスの悪い名前だと思う。  特に読みが嫌いだ。常用の読みからは当然のごとく外れているし、口頭では聞き取りにくい。自己紹介の時はいつも憂鬱だ。一度発音しても大抵正しく聞き取ってもらえないので、「あいうえおの『あ』に、かきくけこの『き』に……」を文字数分繰り返す。こんな人間の紹介に余計な時間を取ってしまい申し訳ないと思う。と同時に小学校

時間ぎらい

湿気た炭水化物でどうにか胃が満ちた。駄々っ子の様に絶えず腹をゆする吐き気をやり過ごしていたら日が暮れていた。おぞましい代謝の繰り返しによる生の消費に焦燥と怒りを覚えるのは自分だけで、損をするのも自分だけで、それ以外にとってこの崩壊期は些末事らしい。いまさら当たり前のことを述べている。 頭がうまく働かない。やさしく肉体(とそれ以外)をぴったり包む檻に雁字搦めにされて、自分の領分を視認することすらできなくなっているので、緩慢に四肢を消化されていることに気づけない。 溶剤を噛んで

くだらない人間と免罪符のように唱える

詩情が迸る時はいつもきまってそれを留めておく術がない。 不定形でふわふわと漂うそれらを昇華するべくいざ机に向かって腰を据える頃には、詩情もその残滓もそれを形にするモチベーションすらもとうに雲散霧消してしまっている。そうして消えた名作遺作の、かつて存在すらしえなかった幽霊が、夜な夜な私の枕元に立つ。あるいは私の口惜しさが枕元の幽霊とそれに睨まれる私という構図に落とし込まれている。 こういう悔しさの要因は、(もちろん単に私の把持能力が虚弱な事もあるだろうが)自分はもっと素晴ら