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雑記

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日記もどき
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夜食のパンが思ったより油っぽくて悲しかった

自分が人との関わりに飢えるような人間だと思っていなかった。失望した。この側面は精神衛生の保持を自己完結させたいというわりと畢竟の願いと矛盾しているので、加えて人間関係を保つ努力ができないという自覚もあるので、なんというかここしばらくずっと戸惑っている。戸惑いを持て余して飢餓感に目を瞑っていたら周囲のすべてが敵のように思える時間もさいきんは増えてきた。自分にだれかと敵対するような価値のないことはもちろん知っている。 周囲の人間関係はすべて裏で繋がっており、自分をいつか徹底的に

すべて過去になればいい

北極星がみえなくなりました。自分の吐き出すものはもっときらきらしていて、毒々しくて、あらゆるものが神経を苛んでもその輝きが増すのならすべてを飲み込めたはずなのに そのよすがすらなくなりました。 欲求の扱い方を学ぶべきだったと思っている。自分の欲求を伝えるとき、叶えてもらうとき、痛みを伴わなかったことがない。楽しい思い出もたくさんあったはずなのに、車を運転する疲れた横顔や、とり返しのつかないことに小言を垂れる口元しか思い出せない。 みんな、心の中では怯えと不平と、苦い疲れに

弟に自分の手を引かせてしまった日のこと

言葉にしてしまえばあまりにもあっけなくて、自分の苦しみ悩みの矮小さにうんざりする。人から可哀想だと思ってもらえる可能性にまだみっともなくしがみついているから。 夏の帰省のさなか。祭の日。家族での外食からの帰り際、弟が打ち上げ花火を見たいと言い出した。嫌がる母と弟との交渉の末、弟が暫く祭を見たあとに母が車で迎えに来ることになったらしい。人ごみに弟が一人で混じることを勝手に心配したわたしは彼について行くことにした。 人の流れを縫って屋台などを見ているうち、人ごみに少し気が滅入

どこですかここは

自分から外へ出て行かれない。 相対的にしか相手と同じ立場に立てない。  にんげんは頭の中に全員違う機構を持っているかもしれない。 だとすれば比較にすら意味はない。 自分よりも外へ出て行けないことは嫌じゃない。なぜならそれは自分という器が堅牢であることの裏返しだから。わたしは自分という単位や個人という単位を重視する傾向があるからそれ自体はべつに苦しい事じゃない。この意味でわたしは至極近代的な人間かもしれない。 結局わたしはいつだって自分についてしか話さないし自分のことしか

自分依存という極論

眠れない。 友人とCoCで遊んでもらう予定だったが、夕方からの頭痛が治らず直前になってやすませてもらうことにした。すぐに床についたが眠れない。22時54分。頭痛は画面を見られるくらいにはマシになった。が、2時間強の時間を眠れずに布団の上で過ごしてしまった。やるべきことも人との約束も、なにひとつ成せないままに、明日からがんばるために休むことすらできずに頭の中を駆け巡る思考の拷問に負けて今、こうしてブルーライトを浴びている。 身体的な症状が出ると安心する。警告としてひじょうに

きっと私は自分を持てあましたまま死ぬ

自覚が行動へうまく反映されないのは困りものです。 わたしは後ろ向きな人のことばが好きなので、後ろ向きで身勝手なことばをつい公開してしまいます。この記事は、後ろ向きな人のことばがあまり好きではない人は読まないほうがいいと思います。 いろいろと試しましたがわたしにとって告解にいちばん適しているのはこの名義のようです。これは再読も添削もせずに吐き出したことばをそのままに保管するという試みです。それを公開するのはなぐさみを期待してのことでしょうか、だとしたらそんなに浅ましいことは

お迎えが欲しい

初めて酒を飲んだ。常日頃、絵を描こうとしたり包丁を持ったりすると手が震えることがあり、困っているのだが、酒を飲んだところぴたりと震えが止まったので驚いた。飲酒経験も無い癖にいつの間にかアルコール中毒の症状でも備えていたのだろうか?調べてみると本態性振戦という種の手の震えにはアルコールで治る特徴があるようだがよくわからない。素人診断は危ない、何度もそうやって自分に症状を与えようとこじつけを行って痛い目を見てきた。私は強迫性障害でもADHDでもなくただの怠惰で打たれ弱い健常者なの

日記を晒す(2022年5月)

病んだ自分の日記が好きだ。頑張って生きていてなんだか滑稽味がある。 本当に何もできないときは日記なんかつける気力も当然無い。こういう文章を書けている時はその分の気力というか、エネルギーが余っているのだろう。 某日 学校嫌すぎて布団でスプートニクの恋人を読んでた。行かなくてもいい大学に行きたいって言って行かせてもらってるんだから学校行きたくないとは言わないと決めてたけどここでくらい許されたい。特に何もないんだけどまだまだ学問が頭に入ってこない、っていうか元の調子に戻ることなく

名前の話

 自分の名前が嫌いだ。    完全に名前負けしている。そのうえ読みにくい。さらに氏と名の取り合わせが悪い。白米に苺ジャムをぶっかけたような、バランスの悪い名前だと思う。  特に読みが嫌いだ。常用の読みからは当然のごとく外れているし、口頭では聞き取りにくい。自己紹介の時はいつも憂鬱だ。一度発音しても大抵正しく聞き取ってもらえないので、「あいうえおの『あ』に、かきくけこの『き』に……」を文字数分繰り返す。こんな人間の紹介に余計な時間を取ってしまい申し訳ないと思う。と同時に小学校

時間ぎらい

湿気た炭水化物でどうにか胃が満ちた。駄々っ子の様に絶えず腹をゆする吐き気をやり過ごしていたら日が暮れていた。おぞましい代謝の繰り返しによる生の消費に焦燥と怒りを覚えるのは自分だけで、損をするのも自分だけで、それ以外にとってこの崩壊期は些末事らしい。いまさら当たり前のことを述べている。 頭がうまく働かない。やさしく肉体(とそれ以外)をぴったり包む檻に雁字搦めにされて、自分の領分を視認することすらできなくなっているので、緩慢に四肢を消化されていることに気づけない。 溶剤を噛んで

くだらない人間と免罪符のように唱える

詩情が迸る時はいつもきまってそれを留めておく術がない。 不定形でふわふわと漂うそれらを昇華するべくいざ机に向かって腰を据える頃には、詩情もその残滓もそれを形にするモチベーションすらもとうに雲散霧消してしまっている。そうして消えた名作遺作の、かつて存在すらしえなかった幽霊が、夜な夜な私の枕元に立つ。あるいは私の口惜しさが枕元の幽霊とそれに睨まれる私という構図に落とし込まれている。 こういう悔しさの要因は、(もちろん単に私の把持能力が虚弱な事もあるだろうが)自分はもっと素晴ら

ぜんぶ私の頭の中にしかありません

芳丸です。よしまるです。 ネガティブ。日々の雑記をここに吐き出します。 回り回って誰かに楽しんでもらえたら嬉しい。承認欲求の化け物です。