見出し画像

イスラム・コラム No.5 「共同体との対決」

これもまた20年前、イスラマバードのUN Humanitarian Coordinator's Office for Afghanistan というところで働いていた頃の話だ。クーデター直後のパキスタンの話なのだが、今、読んで驚くのは、またしても現在の日本との近似性だ。日本には共同体メンタリティが根深く残っていると思っていたが、今ほどそれがあからさまに表面化して来るとは思っていなかった。日本は共同体メンタリティと対決できるのだろうか?

Friday, November 12, 1999
イスラム・コラム No.5 「共同体との対決」
JapanMailMedia 035F号から転載。
______________________________________________________________________________________
 ■ イスラム・コラム No.5  山本芳幸
______________________________________________________________________________________

イスラム・コラム No.5 「共同体との対決」


龍さん

 すんません、先週はとうとうデッドラインに間に合わなくなって。
 他人のデッドラインの話を書いていたら、自分のデッドラインに間に合わなくなった。デッドラインの怨念ですかね。

  本質的な責任はギリギリまで原稿を出さない自分にあるのですが、世間体のいい言い訳を探すと、電話線が切れて右往左往している間に時間を浪費してしまった というのがありました。そこで、散々検討した予定をまた変えて、電話線の話から始めたいと思います。電話線が切れるなんてことは、日本で生活する限り ちょっと経験できないことだと思うので詳しく書きたいと思ったわけでなく、この電話線切断騒動にもクーデターの余波を感じたからです。

* * *

 ある日、突然電話が通じなくなる。パキスタンではこんなことに誰も驚かない。

 あっ、またか、と思い、電話局になんとかして連絡する。「すぐ行く!」という調子のいい返事が返ってくる。1時間、2時間、3時間、その日は誰も来な い。パキスタンではこんなことに誰も驚かない。翌日、また電話局に連絡する。昨日、すぐ行くなんて言って、誰も来なかったじゃないか、と詰問調で迫ってみ る。相手は、決して謝らない。全然こちらの言葉を聞かず、性懲りもなく「すぐ行く!」を連呼する。

 パキスタンではこんなことに誰も驚かない。こういうことを1週間くらい繰り返してみる。1週間後に電話が繋がっていたら、運が良かったと家族みんなでお祝いをする。1ヶ月くらいで繋がったら、自分は並みの人生を歩んでいるなと納得する。それ以上経って、繋がらなかった場合は、借金をしてカラシニコフ屋さ んに行く。そういうのがパキスタンだ。

 電話線が繋がらないと僕はとても困るのだ、コンピュータに繋ぐのだぞ、これで日本でもアメリカでも繋がるんだかんな、市内通話料金だけでいいんだぞ、おい、分かってんのか、このっ!

  こういう恫喝めいた、やや帝国主義的腐臭も漂う話を何度したことだろうか。電話が繋がらない時には必ず緊急な用事がある。マーフィーの法則はイスラム国にも適用できるらしい。たかが電話線一つ切れたくらいで、先進国人の苛立ちは一気に沸騰点に達してしまう。それぐらい電話線が肉体化してしまっている。自分 の肉体の一部を切り取られたら、誰でもカッとするだろう。電話線が切れたという一大事にのんびりヘラヘラ対応しているパキスタン人を見ると、もうダメだ。 この世は理不尽だ!正義はどこにある?!神は我々を見捨てたのか?!と要は世界が理解できなくなってきて、あらゆる究極の審判者を持ち出してきて、電話線 が切れたという不正を正してもらいたくなるのだ。

 こうやって、あなたの信じていたものが何一つ動かない世界に入って、完全な無力感に打ちひしがれている外国人にもやがて神の使者かと見まがうような人物が必ず登場するだろう。それは外国大好き権力者だ!

  外国人のお友達がたくさんいる、外国人に顔が利く、外国人が集まるハイ・ソサエティな(ケッ!)パーチーに呼ばれる、などなどをステイタスの象徴にする田 舎もんが全世界の首都なんかにドッといるのだろうけど、パキスタンでは不幸なことに、そういう人達が権力を牛耳ってきた層と相当、いやほとんど丸々重なっ ている。あなたも遅かれ早かれ彼らの網に引っかかる。ものすごく意気投合するかもしれない。あるいは、一度会ってうんざりするかもしれない。

 いずれにしても、彼らがあなたの家にやってくるのは時間の問題だ。しつこい電話攻勢に負けて、気の弱いあなたは彼らをうっかり晩御飯に招待してしまうかもしれない。慈悲深いあなたは、うっとおしいけど、お茶ぐらい招待するしかないかと思うかもしれない。

  いや、外国生活に慣れていると自負するあなたは気の進みもしない相手を招待してしまうようなことは決してしないと信じているかもしれない。が、それでも、 無駄だ。ある日突然、いや~、ミスター○○ッ~、ハウ・アー・ユー~と言いながら、なんだこいつ?とまだ状況が飲み込めずボーっと玄関口に出てしまったあ なたを彼らの一人が力強く抱きしめるだろう。彼らの手には、チキン・ティッカ、マトン・カライ、シシカバブ、ダイー、ナン、などパキスタン名物一式が入っ たビニール袋がしっかり握り締められており、ちょっと近くまで来たついでに寄ったと(そんなわけないだろう!)言い張りながら、決してそこから立ち去ろうなどという気配を微塵も見せず、満面に笑顔をたたえて、権力者はあなたの優しい一言を待っている。もう逃げ道はどこにもない。しょうがない。「どうぞ、まあ、ちょっと中へ」と言った瞬間、権力者の顔に一瞬険しい表情が戻り、後ろを振り向き、すかさず二次攻撃の指令を出している。

 すると、今まで見えなかった男どもがわさわさと現れ、なっ、なんだ、なんだ、おい、その鍋はなんだ、その大皿は、おいおい誰だ、そいつ?専属のコックだっ て?何する気だ、うわっ、マンゴー一箱も持ってきてここで商売する気かよ、とうろたえているあなたを尻目にあっという間に、あなたの家は大晩餐会の会場と なっている。

 とんでもないなあ、も~、などという不機嫌用語がありありと顔に出ているあなたにはまったく気づかないふりをして、権力者は仲間たちを次々に相互に紹介しあって、彼らの富と権力をあなたの前でたたえあっているだろう。

 一通り、それに満足すると、次は好意に満ち溢れた質問攻勢が始まる。

なんか困っていることはないか?
なんかしてやれることはないか?
なんでもできるんだぞ、えっ、なんかないか?

 いや、別に、などと決して答えられない雰囲気がひしひしと伝わってくる。何か見せ場を彼らに与えないといけないのだ。なんか困っていることないかなあ、そう言えば、ビザがもうすぐ切れるな、と言った瞬間、

ノープロブレム!


とひときわ大きな声が胸をそり返した権力者の口から返ってくる。あれ?そうですか、あれ結構時間かかるんすよ、うちの事務所では切れる2ヶ月前に申請することにしていて・・・・。

ノープロブレム!ファイブ・ミニッツ!5分でできる、


と言い張る。そうかあ、便利だなあ、そうだ、運転免許証も切れてんだなあ、と口に出すや否や、

ノープロブレム!トゥモロー!明日持って来るある、5分で新しいのを発行してみせよう。


 あれまあ、そんな簡単なの?普通3ヶ月くらいかかるんだよ、まあいいか。それくらいで満足していると、さらに追い討ちを駆けられるだろう。

もうないのか?それだけか?えっ?もうないの?

 と、権力者一同はつまらそうな顔をしている。なんだか気の毒になってきて、一所懸命あなたは自分の不幸一覧表をあたまに思い浮かべるだろう。そうだなあ、電話線がよく切れて頭に来てますが、

ノープロブレム!今度切れたら、すぐに連絡しろ、5分で直して見せよう。


 そんな大げさな、と僕の場合は思った。

 しかし、彼らの言ったことは全部本当だった。5分が10分になるような誤差はあったが、本当に彼らはなんでもできるのだ。何にもまともに動かない、この パキスタンで。これがパキスタンの癌となっており、ムシャラフが今、撲滅しようとしているFavoritism だ。Favoritism とは、身内、仲間、同郷者、などを法的な根拠なしにエコヒイキすることと解説しておこう。これには、電話線の修理から大臣のポストまで、生活・人生のあり とあらゆることが影響を受ける。

  もとはといえば、仲間同士では、決して対立したくないという非常に日本人に分かりやすいメンタリティがパキスタンには良く残っていて、それを憲法で定めた 近代的な国家制度にそのまま持ちこんでしまっているということなのだと思う。そういう環境下では近代的選挙制度が極めて漫画的に働く。地縁・ 血縁・部族縁みたいなものが強力に投票者の心を拘束しているのだから、伝統的な紐帯で固く結ばれた集団ごとに同じ投票がなされる。デモクラシーは確か個を基礎にしているはずだったが、ここでは選挙制度は、各共同体の固い結束を確認することにのみ役立つ。だから、外からそんな制度を持ってきてポッと適用しよ うなんてしてもダメなのだという話は日本を含めてアジア・アフリカ各国にあるでしょう。面倒くさいけど、付け足しておくと先進国でも程度の差はあれ、同じ 現象はあるのですが。

  借金踏み倒しもFavoritism が元凶になっている。借金する、返さない、ノープロブレム、と言ってしまう。パキスタン人にとって、法に厳しくしたがって、親戚や同部族の者たちに対して エコヒイキしないというのは非常に難しいことなのだろうと思う。しかし、それを止めなければ、国家制度はまともに機能しないし、公正な競争による市場経済 の発展など期待もできないし、踏み倒しもなくならない。ムシャラフが直面しているのは、こういう問題なのだ。

 Accountability の実現は、先進国でいうほどシンプルな問題ではない。それは、共同体メンタリティとの正面からの対決でもあるのだ。そこに注目すれば、ムシャラフのやろう としていることに、近代革命(!)としての側面があることに気づくだろう。パキスタンは今やっとこさ、自分達で共同体と対決するという地点に達したと言え る。だからこそ、パキスタンの地方に厳然として残る封建性の一掃が地元メディアを賑わすムシャラフ応援歌に必ず入ってくる。

  恐ろしく困難な事業に今パキスタンは乗り出している。だから、半世紀弱で四回も軍政をやらかして、どうせまた今度もダメだろうと揶揄したり、マニュアル通 りに「デモクラシーへの復帰を」などという念仏以上の意味がない声明を繰り返している外国政府、外国メディアにはほとんど悪意しか感じない。悪意がないな ら、単に無能なのだろう。

 電話線に戻ると、今回、僕は「身内の」権力者に 頼まなかった。なんかそういうことをするのはムシャラフさんの事業の足をひっぱるようで嫌な感じがして、普通の手続きでどうなるか見てみようと思ったわけ です。切断後三日目まで毎日、僕は電話局に連絡して「すぐ行く!」を聞き続けていた。しかし、三日が限度で、もう癇癪を起こす寸前まで来てしまった。そし て、とうとう、一人の権力者に電話してみた。もはや失墜しているのではないかと思ったが、彼はのうのうと同じ椅子に座っていた。ノープロブレム!も同じよ うに返ってきた。しかし、これで繋がるとは今回僕は思っていなかった。彼の干渉はひょっとしたら効果ないかもしれないと思っていたのです。

 電話局の人達も普通の職員はムシャラフ支持でしょう。権力者の干渉にもう屈しなくてよいと思っているのではないか。かえって逆効果かもしれない。いや、効果があってはいけないのだ。

  権力者の干渉が効果なければ、すなわち僕の電話が5分以内に繋がらなければ、ムシャラフに未来はある。すぐに誰かが飛んできて電話の修理を始めるような ら、ムシャラフの未来は暗いということです。電話は繋がって欲しいが、誰も来ないで欲しいというようなアンビバレントな気持ちで待っていた。

 5 分経ち、30分経ち、1時間経ったが誰も来ない。3時間経っても誰も来ない。やっぱり権力者の効用は消えていた。ムシャラフ効果は相当すみずみまで浸透し つつあると考えていいのではないか。その後、僕はやや安心した気持ちと爆発寸前の癇癪を抱えて、夜の町を電話局を探しに出て行くことにした。

  交換機センターと呼ばれるところに辿り着き、苦情受け付けに、3日間、毎日修理を頼んでいるのに誰も来ない、どういうことなんだ?と押し殺した怒りが丸だ しの声で言うと、「すぐ行く!」が返ってくる。いや、すぐ来なくていい、そんなこと毎日聞いている、今から技術者を僕の車でいっしょに連れて行くから一人出せ、と僕は主張しました。しかし、技術者は外に出ていて、そこから直接現場に行くから家で待ってろ、という返事。もう僕は諦めた。エコヒイキも効かな い、制度も動かない、そんな大変な国になってしまった、パキスタン、厳しいぞお、と思いながら、そのまま買い物に行った。

 2 時間ほどして家に戻ると、門柱の脇の真っ暗な闇の中でうずくまっている男が一人いるではないか。そこには外からの電話線が来ているボックスがある。雨がシ トシト降っていたが、傘もささず汚い布で鉢巻をして、懐中電灯一つでバラバラにした電話線を一本一本調べていた。今頃、のこのこと!とまだ腹立つ気ちも残っていたが、このオヤジさんには何の罪もないのだと思いなおして、家から非常灯を出してきて貸してやった。

  夜の9時、雨の降る中、カッパも与えられず、ろくな道具も持たず、真っ暗な中で電話線を修理するこういう人の給料は想像を絶するほど安いんだろうなと思い ながら、僕はしばらく彼の作業を見ていた。こういうオヤジさんに正当な報酬が来る日がいつかは来るのだろうか。その日がくるためには、エコヒイキを与えることを拒絶しても社会的制裁をくらわないように誰かが保証してやらないといけない。ムシャラフ政権にどこまでそれができるだろうか。エコヒイキを要求する のは、電話線ごときで苛立つ外国人だけではない。武装した地方豪族だっていっぱいいるのだ。電話局の普通のオヤジさんがこういう輩のエコヒイキ要求を、生命を危険にさらさずに拒絶できなければ、ムシャラフは失敗する。

 僕の電話は三日間繋がらなかった。しかも三日後、正規の苦情ルートを通じて今繋がろうとしている。エコヒイキがともかく麻痺した。そして、正しい制度があまり効率的とは言えないが機能しようとしている。これは良い兆しではないか。

  暗闇でうずくまるオヤジさんは、断線の原因をつきとめた。問題はここにはないと断言する。他のどこかにあるらしい。今からそこへ行って修理するという。な んだか言い訳臭くて僕は半信半疑で聞いていたが、何も抗弁する根拠がない。彼は1時間で繋がるという。僕が分かったと言うと、彼は自転車に乗って暗闇の中 へ消えて行った。

 約1時間後、電話がかかってきた。三日ぶりだ。受話器を取ると電話局だった。繋がってるか?ときく。当たり前だろ、繋がってるから今、受話器取ったんだと思ったが、繋がってると答えた。OK?とうれしそうにきくので、OKと僕もうれしそうに応えた。

 危うい出だしながら、なんとかパキスタンは良い方向に向かっているのではないか。

 電話がなかなか繋がらないのは良い知らせだったのだ。

* * *

というのが、電話にまつわるクーデター話でした。

原稿の遅れでここまで壮大な言い訳を書いた奴はいないでしょう。
しかし、未来のある話を書くと気分がいいもんですね。

タリバンとアメリカの確執については、次回に延期します。が、 次の配信時(11月19日)までには、二つのデッドラインは通過してますね。 その経過によっては、また別の話になるかもしれません。
これは気の重い話になりそうです。

では、また。
______________________________________________________________________________________

もし記事が気に入ったら、サポートもよろしくお願いします! よしログ