ハノイのお好み焼き屋さん
先週、ハノイのお好み焼き屋に行った時のことを思い出した。店に入ると、10席くらいのカウンターに日本人らしきおっさんが1人座っていた。グループ客は2階のテーブル席に送られるようだ。
カウンターは全面鉄板で、中にいる店員さんがお好み焼きの具材をどんぶりみたいな器の中で掻き回し始めた。薄切り豚肉が固まらないように一つずつ分けていた。
「丁寧だなあ」とつぶやくと、「丁寧にしないとお客さん来ないですからね」と店員さんは言う。あまりに自然な発音なので、あ、日本人なのかと思ったが、胸につけている名札にはベトナム名が書いてある。
日本食は高めなのであまり行かないのだけど(それにベトナム料理の味って日本人に合うし。少なくとも僕の舌には合ってる)、時々日本食のお店に入ると、日本語がとても流暢な人に出会うことがある。
ベトナム中部のダナンでラーメン屋に入った時、とても快活な女性店員が客席周りを担当していて、カウンターの中ではなにかに思い詰めたような男性店員が真剣な眼差しでラーメンを作っていた。その女性もまた日本語が完璧で、さすがに彼女は日本人だろうと思って日本から来たんですかと訊いたら、ベトナム人だと言っていた。ダナン大学で日本語を勉強したそうだ。日本には行ったことがないと。
日本には一生英語の勉強をしても、全然英語が喋れない人が普通にいるよ、とは言わなかった。それは大袈裟としても、例えば、自分が大学の4年間ベトナム語を勉強したところで、とても彼女の日本語レベルで使えるようになるとは思えない。
ハノイのお好み焼き屋の店員さんに戻ると、彼はレベチで日本に5年間住んでいたそうだ。最初の2年間日本語学校に行き、次の2年間観光業の専門学校に行った。卒業して、めでたく飲食チェーンの会社に就職できた。ところが1年で帰国した。
嫌な予感にあふれ、思わず「どうして?」と訊いた。いじめられたのか?虐待されたのか?給料未払いか?
理由は、ビザを更新されなかったということだった。学校で勉強した分野と就職先の分野が一致していないからという理由だったそうだ。バカバカしいと思ったが、いかにも日本的にありそうな話だとも思った。
彼はその企業に就職するまでの4年間、年90万円の学費と生活費のために学校と二つのアルバイトを掛け持ちでしていたそうだ。朝9時から4時まで学校、そのあと5時から深夜まで飲食店でバイト、夜中に宅急便の会社でバイト、2時間寝てまた学校。
いったいいつ日本語の勉強したの?と訊いたら、学校でと言っていた。学校の勉強だけで一つの言語を習得するなんて驚異的だな。それ以外の時間に常に日本人と接触していたことが役に立ったのだろうと思うが、それにしてもたった4年間でたいしたものだ。アメリカに20年くらいいても5歳児並みの英語しか喋れない日本人いっぱいいるぞ、とまたくだらないことを言いそうになったが、やめた。
1人で行ったが、彼のおかげで楽しい食事になった。メニューにはもんじゃ焼きもあったけど、もちろん無視してお好み焼きを注文した。どの地方から来たか訊くので、大阪っていうと、彼はにやっとして、関西の人は絶対もんじゃ焼き頼みませんと言っていた。当たり前だよ、あんなゲロみたいなもの食えるか、とは言わなかったが、思わずニタニタしてしまい、無言で通じていたような気がする。
日本に行く人は今も多いですかと訊くと、「うーん、そうですね、いい人になりたい人は日本に行きます」と言う。意味が分からなくて聞き返した。
「いい人になりたい?」
「はい、いい人になりたい人は日本に行きますけど、お金を儲けたい人は、韓国か、それか、そうですね、ドイツとかに行きます」
なんか涙ぐみそうになった。そうか、まだそういう印象が残ってるのか。彼は5年も日本にいたから、日本人がベトナム人やその他のアジア人にどんな態度をするか痛いほど知ってるはずなのに、日本人に対しては、良さげなところを思いっきり振り絞って言う。
しかし、ベトナム人全体としては、日本の経済が急降下しているのは確実に把握されているのだろう。
このお好み焼き屋さんのオーナーは日本人らしいが、良い人材を雇えて幸運だ。この店員さんの素ぶりから、彼が誇りをもってお好み焼きを焼いているのが分かる。
また日本行きたい?と訊いたら、「はい、行きたいです。結婚したら1週間休みをもらって行くつもりです。ここのオーナーさんがビザのスポンサーになってくれるんです!」と言っていた。
実現することを願ってやまない。
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