ある日夢を失った少年。

 「あなたの将来の夢はなんですか?」この質問ほど、私を困らせた質問はなかった。私の記憶にある、最も古いそれは、幼稚園での出来事だった。私の通った幼稚園では、毎月、その誕生月のお友達をお祝いしましょうのような、まあどこにでもある、ありふれたイベントが行われていた。私が幾つのときかまでは覚えていないのだが、自分の誕生月の際に(とはいえ、私は八月生まれなので、翌月に持ち越されるわけだが)、女の先生にマイクを向けられ、大きくなったら何になりたいかの発表を強いられた。そのとき私は、たいそう困惑した。というのも、子供らしくないなどと思われるかも知れないが、当時の私には、全くといってそんなものは持ち合わせていなかったのだ。そんなこと考えてみたこともなければ、自分が何者かすらわかってもいないのに、何者になろうか、などと考える暇などなかったのだ(すなわち、ただぼけーっと遊んでいただけである)。ただ、何か答えなければばつが悪いと思い、咄嗟に、「プロ野球選手になりたい」という、当たり障りもない答えを述べてみた。全く野球なんかに興味を示していなかったにも関わらずだ。ただ、なんとなく大人の受けは良かったらしい。私の記憶が正しいならば、当時の私は、とりあえずこう答えておけば大人は喜ぶだろうと思って答えていた。なんとも可愛げのない子供である。その厭味ったらしい性格は、今も尚、健在だ。
 しかし、そんな私にも夢ができた。それは、小学生のころである。小学生なら、誰しも一度は夢に持つのかもしれないが、私のそれは「学校の先生」であった。何故なりたいのかと聞かれたら、ただなんとなくと答えるしかなかったが、どういうわけか、心の中でその夢がはっきりと確立していた。過去に一度、何故人は先生という職業に憧れるのかを考えたことがある。そのときの私が出した答えは、先生と呼ばれ、慕われ、そこに主従関係のようなものを見出すことに対し、ある種の快楽のようなものを感じるから、というものだった。恐らく、当時の私の中にもそういったものがあった、或いは、当時の先生達からそういう類のものを見出していたのだろう。そういうわけで、私は、自分の将来の夢というものを、公式に「学校の先生」ということにした。小学校の卒業アルバムの余白に、当時担任の先生だったT先生が、「将来教師として、一緒に仕事ができるといいですね」と書いてくれたことを、今でも覚えている。とても嬉しかった。自分の夢を肯定してもらえている気がしてならなかったのだ。そうして私は、先生になるのだと自分に言い聞かせ、その道を進むにはどうするのかを、自分なりに調べてみたりしたものだった。そんな思いを胸に、中学校へと進学することになるのである。
 私の通っていた中学校は荒れていた。学校の周りが田んぼに囲われているような、田舎の学校である。どんな感じだったかを簡単に述べるとすると、トイレは常に煙草臭かった。トイレの壁には、きっと誰かが波動砲を撃ったであろう穴が開いていたりした。募金箱を設置しようものなら、中身が減ったりもしていた。登下校で自転車に乗りながら煙草をふかしてるやつ、二〇一〇年代だというのに、短ランにボンタンという仲村トオルばりの衣装で決めているやつ、制服の内側には龍の刺繍が施され、世界征服とかテキトーな四字熟語を並べた裏ボタンが光ってるやつ、耳に蛍光ペンぐらいなら余裕で通るようなピアスを開けているやつ、廊下を自転車で駆けずり回ってるやつ(バイクじゃないところが可愛いのである)などなど。人物を挙げ続けたらきりがない。窓ガラスは週に一枚ペースで割れ、全校集会中に火災報知器が鳴ったこともある。廊下でロケット花火が飛び、愛車のBMWに思いっきりへこみ傷を入れられた先生もいた。別の中学から、赤色緑色金色などのカラフルな頭をした連中たちが押し寄せ、警察沙汰になったこともあった。翌日、大々的に地元の朝刊に載っていたのを覚えている。そんな学校で、私は入学二日目には先輩に目を付けられていた。入学して間もない教室に、怒号とともに飛び込んできたその先輩と取り巻きは、私の胸倉をつかみ上げ、鼻息を荒くしていた。どうやら私のセクシーさに高揚しているわけではなさそうだ。また別の日には、私はその先輩に学校の駐輪場で投げ飛ばされていた。痛かった。そりゃ痛いに決まってる。そんなこんなで、入学式を迎えて一週間後には、校長室にて事情聴取を受け、その翌日には担任と教務主任か誰かが、私の家まで直接謝罪訪問に来るなどというイベントが催された。素敵な中学生活の幕開けである。ちなみに、その先輩の言い分としては、「小学四年のときのあの時の態度が気に食わない」というものだった。なんだそれは。その執念深さは他に活かした方がいい。私は、「記憶にない」という、その辺の政治家が思いつくような返答をしてやった。実のところを言うと、私はそのことを覚えていた。正確には、「あの時の態度」という言葉で、思い返したのだ。確かに小学四年生のとき、近くの児童センターで、その先輩に面影見出せるような風貌をした、知らない男の子に話しかけられたのを覚えている。その先輩は、私のいた小学校とは違う小学校の出身だったので、見たことも聞いたこともないような人だった。そんな人間に、いきなり、「お前、あいつのことが好きなんだろう」と話しかけられた。あいつというのは、当時偶に一緒に遊んでいた、一つ年上の女の子だった。多少我儘な人間で、私は彼女のことが苦手だったのだが、そんな風に囃し立てられると、多少は苛ついてしまい、「別に」と沢尻エリカばりの返答をしてしまった。多分、そのときのことだろう。そうでなければ、本当に身に覚えがない。私は、なるほど、人への態度は、ちゃんと考えなくてはいけないなと学習した。こうして数年の時を経て、人は復讐にやってくるのだから。
 こんな話を書いていると、先にも述べた、カラフル頭髪連中が押し寄せたときのことをふと思い出したので、それにも軽く触れることにする。確かあれは、下校のために最寄駅に向かっている最中であった。運悪く、その連中の内の、赤髪をしたやつと鉢合わせてしまったのだ。どうも彼は機嫌が悪かったらしく、私の腕をつかみ、「おい、タイマン張るぞ」と言って、私を引きずっていった。どうしていいかわからず、そのまま身を委ねていると、彼の取り巻き連中が彼を必死に取り押さえ、「お前の狙いはこいつじゃないだろ」「早く逃げな」と私を逃がしてくれた。どうして毎度毎度こんな目に遭わねばならんのだ。
 まあそれはさておき、そんな荒れた中学校であったのだが、もっと深刻な問題があった。それは、生徒と教師の力関係の差である。というのも、生徒が力を持ち過ぎていた。体罰なんてご法度のこのご時世、生徒は常に、守られる立場だったのだ。様々な先生がいた。(生徒によって)あばら骨を折られた者、あごの骨にひびを入れられた者、鬱気味になって教師という職を辞めていった者。とにかく問題だらけだった。それでも、特に大きな問題になることはなく、平然と毎日が過ぎてゆく。そして、ある極めつけの事件があった。この事件に関しては、生徒に詳細が語られたことはないため、伝聞でしかないのだが。
 その当時、T先生(前回の話にも登場した、私が物真似を良くしていた先生である)という、おじさんだったのだが、面白いタイプの先生で、熱血漢でとにかく声のでかい社会の先生がいた。頭部が少々禿げ散らかしていらっしゃったのも、生徒受けが良かった要因の一つだろう。その先生がとあるクラスの授業中に、あまりにも言うことを聞かなかった生徒の首根っこをつかんで、引きずってしまったらしい。そして、どうもその模様を、別の生徒によって(持ち込み不可の)携帯電話で動画を撮影され、それが学校の上層部に突き付けられ、問題になったというものだ。その事件が起こったのは、T先生が担当している私たちのクラスの授業の、前の時間の授業だったらしく、その日T先生は、私たちのクラスにえらく遅れてやってきた。そのときの先生を未だに覚えている。教室に入るや否や、板書をざーっと書き、「遅れました。えー、取り敢えずここまでノートを取ってください」とだけ小さく述べた。私はそのノートを書きながら、ちらと先生に目をやってみる。するとそこには、今にも泣きそうな表情で窓の外を眺めているT先生がいた。今までそんなT先生を目にしたことはなかった。教卓を堀に見立て、「撃って!隠れて!撃って!隠れて!」と叫びながら、WWⅡで戦う日本兵を熱演したT先生は、もうそこにいなかった。そこにいたのは、何かを悟り、涙をこらえる為に、ただ一点を見つめることしかできない、切なくも哀愁漂う、一人の小さな男だけだった。六月ごろの出来事である。結局、その日以来T先生を、学校で目にすることは一度もなかった。代わる代わる代理の先生がやってきては授業をし、最終的には、その年度の離任する先生の中に、T先生の名前を見つけることが出来た。どうやら、別の中学校への異動となったようだ。聞くところによると、六月から年度終わりまで、謹慎処分を受けていたとのことだった。勿論このことは、外部に一切公表されていない。
 その事件翌日から、他の先生たちが皆丸くなってしまった。それは生徒である私の目から見ても明白であった。ちょっと尖っていた先生や、生徒に手厳しく当たっていた先生なんかも、皆丸くなってしまった。当然である。我が身を守る為には、仕方がないことだ。しかしそれによって、生徒の横暴はより酷いものへとなっていった。哀れなものである。私たちには、止めてくれる大人なんて、もうどこにもいなかった。誰も、何も言ってくれなかった。言えなかった。私は思った。「先生になるのはやめよう」、と。こんな世界で、自分に生き抜く力があるとは、到底思えなかった。私には、無理だ。私の、小学校でやっと夢見た世界は、私に現実を突きつけるだけ突きつけて、儚くも散っていった。また振り出しに戻ったのだ。十四、五歳には、少しばかり残酷な話であった。夢を失った少年は、ただ意味も分からぬまま、闇雲に勉強するしかなかった。きっと、新しい世界が拓けたとき、再び自分の夢が見つかることを信じて。

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