見出し画像

夜明け前のヨミウリガール

きっかけは「音楽メディアの技術革新」だった。

大げさだ。でも、あえて大げさに言いたい。レコードに取って代わるように現れたCD。そのプレーヤーを、当時の私は持っていなかった。

中学2年生だった私は、あるバンドの大ファンだった。そのバンドの新譜がCDのみで発売されるという知らせを聞き、「技術革新憎し!」の感情を募らせる羽目になった。

「レコードプレーヤーしか持っていない人はどうするんだ!」

大黒柱だった父が亡くなっていた我が家は、貧乏ではないものの、余計なものは簡単に買えない状態にあった。さらに母は、自分が必要ないと判断したものには絶対に金を出さない人だった。

母にとってCDプレーヤーは、残念ながら必要ないものだったようで、「買わない」という方向にしか首を振らない。私が必死にねだっても、見事に突っぱねた。

「自分のお金で買うならいいよ」

ならば自力で金を稼ごうと、始めたのが新聞配達だった。毎日50件ほどに配達して、月に15,000円ほど。本当はもっと実入りのいいアルバイトをしたかったが、北海道の田舎の中学生が稼げる額など、せいぜいこんなものだった。

計算では、半年も働けば欲しい機種のプレーヤーが買える。半年だ、半年がんばれば。そう思い、朝4時半に起きる生活をスタートさせた。

朝日がまだ朝日になりきれていない時間に、自転車で家をスタート。新聞販売店に着いたら、配達する新聞にチラシを入れ込み、自転車の荷台に乗せる。前かごだけに乗せるとバランスが崩れるので、後ろの荷台に乗せる分と半々にする。

そこから配達地域へ出発する。私の担当は、たくさんのクラブやキャバレー、居酒屋が並ぶ繁華街と、そこから続く住宅街だった。二つに折った新聞を、郵便受けやシャッターの隙間に滑り込ませる。すでに起きている住人に手渡しすることもあった。

朝の繁華街には、夜の名残がたっぷりと残っている。酒のにおいや路上で寝る酔っ払い、化粧が崩れ切ったホステスさんと客。配達。配達。配達。酔っ払いが道路に吐いたゲロを避ける。配達。配達。玄関先の犬を撫でる。配達。ちょっとだけ鼻歌を歌う。配達配達配達配達配達。

新聞配達を始めて、3ヶ月ほど経ったある日。同じ新聞販売所に、クラスの男子が新聞配達員として加わった。販売所内では私も相手も知らん顔していたが、その日のうちに、私が新聞配達をしていることがクラスじゅうに知れ渡ってしまった。

「新聞配達なんて男しかしないよ、ふつう」
「三浦さんちって、貧乏なの?」
「中学生なのに働くって、なんか怖いんだけど」

たしか、そんなことを言われまくった気がする。かわいくて評判だったクラスの女子からは、「女の子なんだから、新聞配達なんてしないほうがいい」と説教まがいのことを言われた。

しかし私は、すべての言葉を無視しまくった。私はCDプレーヤーが欲しいのだ。大好きなバンドの新譜が聴きたいのだ。学校でいじめられていたときでも、そのバンドの曲を聴くだけで元気になれたのだ。「私はひとりじゃない」と思えたのだ。

その結果、私には「ヨミウリ」というあだ名がついた。ほら、ヨミウリが来たよ。運動神経が悪いんだから、ヨミウリは体育祭には出るなよ。どんなに勉強ができても、ヨミウリはデブでブスだから。うわヨミウリだ。

私のことを言いふらした男子は、いつの間にか新聞配達を辞めていた。そしてヨミウリは、何とか半年間働き続け、念願のCDプレーヤーを手に入れることができた。

で、どうする?

貯まったお金を目の前にして、私は腕を組む。新聞配達を続けるべきかどうか、と考えたが、答えは考える前から決まっていた。続けよう。続けたい。

お金を貯めよう、と思ったのだ。高校を出たら、とにかくこの町から出るんだ。人の悪口を言うことだけに人生を賭けているような連中とは、さよならするんだ。私に価値があると思ってくれる人たちがいる場所に行くんだ。そのときのために、お金を貯めなくてはならない。

それが私の新たな目標になった。

晴れだろうが雨だろうが雪だろうが、テストの前日だろうが学校でひどいことを言われようが、毎日とにかく新聞を届け続けた。

雨の日には、漬け物樽用の分厚いビニールで新聞の束を包む。二重にして、ひもでくくれば、ほとんど濡れない。ふつうの生活ではまったく役に立たないが、当時の私にとっては最高で最強の知恵だった。

自転車にもスタッドレスタイヤがあるとはじめて知った。初雪が降ったら、自転車屋さんでタイヤを付け替えてもらう。滑りにくくはなるけれど、凍結した路面にはあまり効かない。滑って転んでは、おしりに青あざ作った。

積雪が多いときには、自転車を押して進む。5軒ほど配達するたびに、泥除けとタイヤの間に雪が詰まってしまう。きゅきゅきゅ、と子犬のような声を上げ、タイヤが止まる。手でタイヤを何とか動かして、泥除けから雪を吐き出させ、タイヤの溝から雪をとる。そしてまた5軒に配る。タイヤが止まる。

そんなことをくり返していると、手袋をしていても手がかじかむ。息を吹きかけたところで、指の感覚は戻らない。テレビで見た登山家のまねをして、素手になって脇の下で直にあたためる。指先が一気に溶ける。これでOK。さぁ残りの配達に行こう。またタイヤが止まる。

結局、新聞配達は高校に入ってからも続けた。その間じゅう、私はずっと「ヨミウリ」で、学校では「貧乏くさい」だの「女らしくない」だの「汚い格好で配ってるらしいよ」だのと言われ続けた。

まぁ実際そうだったんだろうな、とは思う。朝4時半に、クタクタになったスポーツウェアを着て黙々と新聞を配っている女の子は、ちょっと怖いし、みっともないし、汚く見えて当たり前だ。でもね。

きれいはきたない
きたないはきれい

『マクベス』に出てくる魔女たちがそう言っていたじゃないか。汚いことときれいなことは表裏一体。最高に汚いものこそ、最高に美しいものなのだ。

ならば、あのころの私は、世界でいちばんの美人だったはずた。だよね? 違う? とりあえず、そうだったことにしておいてほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?