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いい文章オブザイヤー2017

ライターという職業に就きながら言うことではないかもしれないけれど、文章を書くのって難しいなぁと思うことがある。いや、文章を書くこと自体はスルスルできるのだけれど、多くの人に伝わる文章を書くとなると、いろいろと悩むことが多いのだ。

たとえば、「私はみんなに無視されて辛かったんです!」と書いても、多くの人は「へー、そうなの。大変だったね」ぐらいの感想しか抱かないだろう。しかし、「みんなが私を見ていた目が、いつの間にか消えてなくなっていた」というように比喩表現を使って書くと、「目が消える」という表現にゾッとして、書き手の辛さが身に染みて伝わる人が増えたり、「そういう感じ、わかるー」と共感を得られることがある。だけど、「そんなこじゃれた表現を使ってんじゃねーよ!」と反感を買うこともあり得るのだ。

それだけ多くの人に伝わる文章を書くのは難しいけれど、時々「これはみんなに伝わる名文だ!」と思える文章に出会うことがある。そこで、私が今年出会った「伝わる文章」――「いい文章オブザイヤー2017」をご紹介したいと思う。審査委員長である私の選定基準は下記のとおりだ。

①書き手の気持ちが、誰にでも伝わる文章であること。
②小難しい表現を使っていないこと。
③借りものの言葉ではなく、自分の心から出た言葉を用いて書いていること。

つまり、内容うんぬんよりも、いかにして書き手の伝えたいことを、ストレートに伝えられているかを基準にして選考しております。

以上を審査委員長の挨拶に代えまして、3つの受賞作品のうち、まずは1つ目をご紹介。これは急遽、昨日受賞が決まったものだ。


受賞作品①:曽我ひとみさんによる夫・ジェンキンスさんへの追悼文

曽我ひとみさんのコメント全文:時事ドットコム

曽我さんはご主人を亡くされて、まだ日も経っておらず、お気持ちの整理もほとんどついていない状態だと思う。しかし、そんな整理のつかない気持ちの中から、ご主人にどうしても伝えたいことだけを絞り出し、大切な思い出と一緒に掬い上げて文章にされているように思える。

出会った当初私は、いまだ北朝鮮の生活に慣れず、現地の人を警戒している時期でした。そんな中で彼との出会いは、あまり多くの時間を要することはできなかったのですが、信用するに値する行動と誠意を示してくれました。

この部分だけで、曽我さんとジェンキンスさんの出会いから結婚に至るまでの道のりがスルッと理解できる気がするし、その結婚生活が、二人の心を豊かにしたであろうことが伝わってくる。

そして夫を亡くしたこと、お母様がいまだ見つかっていないことの悲しさ、無念さを述べたあとで、この一文がある。

それでも、日々は過ぎてゆき、また明日が来ます。

いたって普通の文章だけれど、これが曽我さんの言葉だと思うと、とても重い。ご主人やお母様がいない日々のことだけでなく、曽我さんがかの国で過ごさざるを得なかった日々の思いであるようにも感じるからだ。

……と、偉そうなことを述べたところで、2つ目をご紹介。Twitterのツイートなので、文章といえるかどうかはわからないけれど、本当に伝わる文章だったので、受賞となりました。


受賞作品②:元横綱・朝青龍さんの一連のツイート

これは画期的な文章だと思う(「#ドルジ文学」いうハッシュタグもできたぐらいだものね)。言葉なんてカタコトなのに、文末の絵文字とも相まって、朝青龍さんの怒りが余すところなく伝わってくる。

これだけわかりやすく伝わるツイートができるのは、朝青龍さんが「感情の取って出し」をしているからだと思う。感情の高ぶりを収めたり自己解決などすることなく、「いま、俺がこう思ってるんだから、これが正しいんだ!」という感情のボールを、170kmぐらいの剛速球として投げ込んできているのだろう。

おそらくこの文体は、誰にも真似できない。私も真似してツイートしたこともあったけれど、感情をまったく伝えられないし、ウランバートルにも集合できない。


受賞作品③:敬宮愛子さまの作文「世界の平和を願って」

最後の3つ目は、皇太子さまのご長女・敬宮愛子さまの、中学校の卒業文集に掲載された作文だ。

愛子さま:中等科卒業記念文集の作文全文 - 毎日新聞

 卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。

まず、この導入部分を読む限り、愛子さまはかなりの読書家でいらっしゃることがわかる。たくさんの文章を読み、自分なりに消化できている15歳(当時)の女の子の、本当にいい文章だと思う。

 何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の世界の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

後半にあるこの部分。導入部分の「青い空」とつながるようにして書かれていて、それを平和の象徴としてとらえていることがわかる。しかもその平和を維持するためには、「小さなことからコツコツと」が大切だと述べられている。……すごいな。私が国語の先生だったら、確実に100点をつけます。

この作文がもっとすごいのは、説教くささや居丈高な感じや、自分の文章に酔っているような雰囲気が微塵もないことだ。「世界の平和」みたいな大きなテーマについて書く場合、どうしても大風呂敷を広げすぎたり、「お前は国連の議長か!」とつっこみたくなるような上から目線で述べたりしがちなのだけれど、愛子さまはしっかりと地に足をつけ、自分の目線から述べられているように思えるのだ。


……と、3つの文章をご紹介したものの、実はこれらの文章を書いたお三方は、すべて「文章のプロ」ではない人たちだ。プロはどうしてもクライアントの要望に合わせた文章を書かざるを得ないので、自分の心の発露を書くのが苦手になるのかもしれないなーと思いながら、同じく文章のプロである自分の反省にもします。

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