The Mind tree by Tito Rajarshi Mukhopadhyay

The voice of silence

これを何度かに渡って興味深い所だけとないですが訳しました。スパルタ式の母親には、全ては賛成しかねますが、教え方や諦めない強靭な心は学ぶ所多いです。

マインドツリー、Tito 作重度自閉児、発語無し、回転や走り回り、脱走もしたインドの強度行動障害児が、母親の諦めないスパルタ教育で8歳から11歳の頃文章を書き、アメリカに渡った。その本をもう一度読み返しているので、これから少しずつまとめてツイします。

回想録で自分と周囲を第三者のように書いてます。

ーうちの子はなぜ歩かないんだ?と母は音の出る白い靴を履かせたが、音が追って来て恐怖しかなかった。
ー新しい道を歩くのも不安でできなかったー母が歌を歌って聞かせたので、鏡の前で試しても母のように唇は動かず鏡の中の彼はただ見つめ返すだけだった。
ー母は心配して専門家に彼を見てもらったが、脳障害、厄病、呪いとさまざまで鬱に。
ーコミュニケーションが取れないので良く脱走して叱られた。
ー母親は何とか言葉を引き出そうと2歳半→ の時に本を与えた。
ー脱走しない代わりに想像の夢のような世界にはまった。僕は時間空間を飛べると彼は思った。
ー新しい家に引っ越した時何もかも違ってパニックで大声で泣きまくった。玩具でさえ違う背景では違って見えた。悲しみは怒りに変わった。
ー他の子と遊べば言葉が出るだろうと保育園に→ 3歳で30人ほどのクラスに預けられた。最初の10日間程は好奇心があったが、飽きてきて泣き叫び、日増しに声は大きくなり先生から一か月で手に負えないと辞めさせられた。
ー自閉症で周りの事が理解できてないと心理士。彼の魂は、良く分かってるよと叫んでいた。
彼の心の声

マインドツリーの続き

ー3歳の時、なぜこの子は三輪車に乗れないのかと母は、三輪車の訓練を始めた。彼はハンドルを持つのさえ嫌だけど教鞭な母は諦めない。足でペダルを踏み込みなさい!彼は足に動けと言っても動かなかった。すると母は彼の足をペダルに置き上から交互に押し後ろに後退りした。→ 何度も何度も、するといつのまにか三輪車に乗れていた。
ー色彩も好きで赤いミニカーをずっと並べたりしていた。
ー怪我をした時、なぜ痛がらないのかと不思議がられた。だけど身体のどこが痛いのか分からなかった。
ー自閉児には何か創造製の玩具がよいと、母は組み立てブロックを与えてくれた。→ すぐに好きになって想像の世界の階段を組み立てた。
ーその時から母は訓練に夢中になった。ブロックの次はジグソーパズル4ピース。
母も一緒に遊んだが集中力が切れそうになると叱られた。そこで母に従う事を覚えた。
ー集中力が切れた時目がカレンダーを見てたので母は数字に興味があると考えた。→
ー母は明るいマジックペンで数字の14を紙に書き同じ数字をカレンダーから探せといった。(マッチング)。
どの数字も合わせた。母は喜び紙に書かずに声だけで数字を言った。それも合わせた。彼の記憶力がよいのがわかった。
ーパズルやゲームをした。形も覚えた。数字と同じ要領でアルファベットも制覇。
ー言葉の教え方は→ ある所にカラスがいましたと母は文章を読み、カラスを黒字で紙に書き、カラスの文字を探し当てさせた。彼は本が読めるようになった。
ーしかし、身体はとてもじやないがひとつに治らなかった。知らない所だと特に旋風機のようにグルグル回ったり走り回った。そうしなければ身体は粉砕しそうになるから。

マインドツリーの続き。簡単に興味ありそうな部分だけツイしてます。

ー本は読めるがまだ書くには至らず母親の文字版をなぞるように差し母が通訳してたので、誰も彼が答えていると信用しなかった。
ー精神科医は、喋れないのになぜ計算やコミュニケーションがとれるのか?と尋ねた。
そう言う人には彼は断固拒否した

ー話すのが嫌い、歪んだ話し方するより沈黙がいい。自閉者は話さない権利があると彼は答えていた。
精神科医は話さないなら教える必要がないと言った。でも母親は頑固で決して諦めなかった。
ー5歳の時に素敵なSTに出会い初めて愛の詩を贈った。母は母親である前に教鞭な教師だとその人に伝えた→
愛の詩は

愛は深い海に似てる
全てが青色に見える
この意味を知る人だけが
真実の景色を見る

母は驚いていた。
ー色彩に敏感な彼のために母は塗り絵を与えた。色のついたモデルがあったのでどの色を使えば良いか分かった。それからモデル無しになり、時間つぶしに塗るとしだいに楽しくなった。

ー○や□などは母が手をそえて描いて教えてくれた。
ー運動はできなかったので母がキャッチボールをし始めた。ボールを受け取ると手渡しして戻す。離れて受け取っても投げれないから手渡しで戻す。投げるという言葉は分かるが身体が投げ方を知らなかった。母は諦めず翌日壁を前にしてボールを投げて戻ってきたボールを受け止めて見せた。同じ事をしたら投げ方が分かった。
ー鉛筆を握り横線を紙一杯書いた。母は容赦なく鉛筆を落とす度に握り返され、しまいには紐で鉛筆が落ちないようにくくりつけた。横線だけでなく縦線も紙一杯に書いた。
ー水泳にも母は連れて行ったが水より全てが違和感でパニックで動けなかった。それでも水が怖いのだろうと執拗に水に誘い込んだので脱走した。母は初めて水泳を諦めた。

マインドツリーの続き
ー言葉を発する方法を母は始めた。青色を差し背中をバンと押された合図であぁーと言うと、あおと母はリピートした。トイレはバン、トゥー、トイレというふうに。赤ちゃんが初めて発音するようだった。背中を押されると口から息がもれやすかった。質問はあくまでこれ何?→ など答えやすいものばかり。STの所でも同じ方法でリピートした。背中の押しはしだいにうなづきに変わった。母のうなづき、発音、リピート。父親にも成果をみせたが酷い発音で言葉が分からず失望していた。
ー文章の読み方はいつも母が全部読んでくれていたがSTは読むのと同時に目で文章を追わせた。→ ー集中力が上がり家で母と練習、1か月で200pも読みこなせた。
ー聴覚過敏で人と目をあわせると声が聞こえないから見ない。音楽を聴いてると目と鼻は閉じてる。
ー感覚統合のためにO Tと共にゲーム、ぶら下がり、クライミング、転がる、マットでのぶつかり、ジャンプなどした。
ー8歳の時この本を書いた

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