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うつ病を経験してたくさんの愛情に気付いたから生きていける
表紙で三色団子を食べているのは私です。
人が何を考えているのかを知ることがすきです。情熱大陸とプロフェッショナルは大好物。
好きが高じて心理カウンセラーにもなりました。
普段は旦那さんと娘と至って普通の日常を送っていますが、メンタルがめちゃくちゃになった時期が2回あります。
1回目は20歳、2回目は27歳。
病名はうつ病でした。
1回目は突然やってきたのです。
ただ大学で授業を聞いているだけなのに涙が出てきたのです。
悲しいことは起きていないのにポロポロと涙が出てきました。同時に息苦しさも襲ってきました。
明らかにおかしいけれど、思い当たる節がなくただこの意味不明な状態を耐えるしかありませんでした。
そんなしょっちゅう泣いている私を見兼ねた友人が半ば強引に自家用車に乗せて、街外れの心療内科に連れていきました。
病名はハッキリと告げられなかったのですが、処方箋に記された薬は抗うつ剤でした。
ここできっと「なんでうつ病になったんだろう」と深く自分を知るべきだったのかもしれません。
でも私にはできませんでした。
自分を深く知る方法も分からないし、無闇に掘り下げていったら自分の掘った穴から永遠に出られなくなりそうだったからです。
20歳の私は全てをうやむやにする暴挙に出ました。
周りの友達と一緒で、「20歳前後で人生について考えていたらちょっと病んだだけ」ということにしました。ふわっと治ったことにしました。
そんな誤魔化しは7年で効かなくなります。
27歳にある日、またあの意味不明な涙が出現したのです。
平日の朝、携帯のアラームで起床後にメイクをして服も着替えて菓子パンをテレビをみながら食べて、さあ靴を履こうと玄関まで歩いてきた時でした。
靴が履けないのです。
靴を履くための一歩がどうしても出ないのです。
身体はとんでもなく重くて、頭の中で「仕事に行きたくない!」が響いてくるようになりました。
「これは…ダメだ。」
そう思った瞬間にポロポロと涙が止まらなくなったのです。
仕事に行きたくないという全身からの訴えと、行かなきゃいけないのに行けない悔しさと情けなさでいっぱいになっていました。
仕事を数日休んだ後、スマホで診察予約をした診療内科に向かいました。
少しじめっとしていて換気が十分にされていないような空間は、異様なほど静かでした。
名前を呼ばれて診察室に入ると、バカでかいゲームチェアに座っているおじさん先生が現れました。
その頃の私は疲れ切っていたので流暢には話せず、ただ泣いたことや玄関から出られなくなったことを伝えました。
先生は淡々と話しを聞いた後、冷静にこう答えました。
「休職したほうがいいかもしれません」
やっぱりそうか。
そうするしかないか。
嫌だなぁ。
サラッと答えてパソコンでサクサク入力していく先生と対照的に、私は肩を落として絶望感に襲われていました。
自分でも疲れ切っていることには気付いていたし、休職するしかないと思っていたのですが、もっと頑張れると思っていました。
でも先生の意見に従うことにして会社に休職届を提出しました。
薬もちゃんと飲んで家で数週間過ごすと、身体もなんとなく元気になってきました。「たいしたことなかったな」と思って仕事にも復帰していつもの日常に戻りました。
順調に復職に成功したのですが、この日常はあっけなく終わりを迎えます。
また玄関から出られなくなったのです。
休んだのになんで。
なんで私は頑張れないんだ。
『なんで』で頭がいっぱいになりました。先生の言う通りにしたのに、なんで…。
そんな時に暇つぶしで入った本屋さんである本に出会いました。
エッセイのコーナーに平積みにされていた心屋仁之助さんという心理カウンセラーが書いた本です。
何気なく手に取った本の中には聞き慣れない言葉が詰まっていました。
『頑張るのをやめよう』
『人に頼ろう』
『ダメな自分を受け入れよう』
「いやいや、嘘でしょ?」とツッコミたくなるほど、今まで大人達が言っていた言葉とは真逆でした。
「頑張らないと仕事で成長できないし、人に頼るなんてダメな人がやることだし、ダメな自分は一生懸命直す必要があるじゃないか」
頭の中で私の反論は止まりません。
ただ「これを実行したら私は変われるかもしれないという」予感だけはしたのです。
霊感も第六感もない私の予感を信じて、レジに持っていき会計を済ませサッと本をバッグに押し込みました。
その時は心理カウンセラーの本を買うことも恥ずかしかったし、そんな本に頼るしかない私を惨めに思っていました。
でも、もう藁にもすがるしかありません。藁でもなんでもいいからすがって良くなりたかったのです。
自宅に帰った後、すぐに読みました。腑に落ちないことだらけでしたが、とりあえず書いてあることを信じて行動に移してみることにしました。
詳細は後半で書きますが、頑張ることをやめて、人に頼ってみて、ダメなところを受け入れたらしんどさが無くなっていました。
藁だと思って掴んだものは、頑丈な船でした。
玄関から出られなくなった日から普通の生活が送れる日までにどんな経緯があったのかを、現在の心理カウンセラーとしての見解も含めてお伝えしていきます。
ここで事前にお伝えしたいことがあります。
実は玄関から出られなくなった日からの記憶が断片的にしか残っていないのです。
記憶を無意識に消したくなるほどしんどかったんだと思います。
断片的な記憶を手繰り寄せながら書いていきます。ちょっとでも誰かの力になれることを願って。
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