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「事実」を確認して、「事実」に基づき行動選択するということ。ただ、それを伝える手法も大事ということ。

1 帯を見て購入

堀栄三さんの「大本営参謀の情報戦記ー情報なき国家の悲劇ー」(1996年、文春文庫)を読みました。梅田の丸善ジュンク堂に行った時に見かけて買ったものです。

帯では、確か、LINEからZOZOに転職されたtwitter等で発言をいろいろとされている坊主頭の方の推薦文があり、それで手に取ったものです。

読み始めると、面白くて止まらず、お風呂に入りながらの時間で数日で一気に読みました。

2 「事実」ー疑い、精査することー

267頁

堀が情報参謀として実戦で行ってきた子は、常に徴候を集めてそれを通して相手の中枢の意思を探ることであった。父はよくこれを仕草と呼んだ。一つの徴候だけで判らんときは、時に鉄砲の一つでも撃ってみることだ。そうすると別の徴候がまた現れて霧が少しずつ晴れてくる。

311頁

大島元武官の話の中に、「情報の究極は権力の中枢から出てくる。ソ連のような国では権力の中枢に近づけないから、中枢の外周で徴候を見て廻ることになる」というのがあったが、いま、まさにそうなってしまった。

このような教えを実践し、まずはその報告が事実なのかどうかから吟味し、航空戦の報告については「誤報」と判断し、さらにはアメリカでの株価ー缶詰製造工場会社の株価ーの推移と米軍の動きとの連動を読み解き、本土戦となった場合の上陸地点をそれまでの米軍の行動の分析から推測するということを行っていた著者。

181頁

「現地レイテ湾の雲量はどうだったか?」
「誰が、どんな飛行機で見に行ったのか?」
「彼に艦船を識別する能力があったのか?」
この三つの設問が、咄嗟に出なかったところに、机上と戦場との大きな違いがあった。
事実をありのままに伝えることは、情報業務の初歩的原則であったが、すでに主観や判断が入ってしまっいてた。

こうした具体例が随所に書かれています。これは、弁護士業務に通ずるものだと思うし、元外交官であった現在は作家である佐藤優氏の本でも、似たような記述があったと思います。

佐藤氏の著作では、佐藤氏がソ連での赴任当時、現地、地方の新聞をいくつか購読し、日々、読み比べていたところ、そうした何気ない地方での記事から、当時のソ連での中枢部の動きが読み取れることに気づいた、といった記述がありました。

周辺の動きから、過去に一体何があったのか、その人物が口にしている「事実」は、「事実」なのか、あるいは「主観や判断」が入ったその人の推測、評価、あるいはさらには意図的な虚偽の供述なのか。

これは、訴訟での反対尋問の手法と似ています。客観的なものと照らし合わせる、矛盾がないか、根拠を確認する。これは、目の前にいる相談者、依頼者に対しても、実は同じです。本人が口にすることを「鵜呑み」にしていては弁護士業はできません。

3 情報を得るためにー交渉と外交ー

堀氏は、敗戦後は自衛隊に入隊し、駐独防衛駐在官をされていたようです。ドイツ語にも堪能だったようで。

赴任の際の、大島浩元武官という方からの教えとして、次のようなことが記述されています。

301頁

初代の武官の第一の仕事は、まず信用を得ることであろう。信用獲得の第一の仕事は、ドイツでは時間を守ることである。
つぎはは相手の名前を早く覚えることである。名前を知らない人には、必ず聞いてよろしい。その次に会ったときには、「やあ今晩は、○○○さん」とやらなければならない。
三番目は姿勢だ。姿勢は正しく堂々と背筋を伸ばして、卑屈にならないことである。
四番目は、自分が催すパーティーでの客に対する挨拶だが、これが簡単なようで仲々難しい。・・・あらかじめ招待者名簿を丹念に研究して、頭に入れておかなければいけない。「ああ、このことを覚えていてくれたか」と相手の客が感銘する一語が必ずあるはずである。何の工夫もない挨拶は人を惹きつけない。

こうした記述は、17世紀フランスの外交官であったカリエールの「外交談判法」(岩波文庫)にも似たようなことが書いてあった記憶です。

4 収集しただけでは意味なく、それを伝えて生かして完結

結局、人間、その集団となる組織は、いつまでも、どこででも、同じ過ちを繰り返しやすく、だから17世紀のフランスでも、20世紀の日本でも、こうした本が書籍として、語られ続けているのだろうなと。

難しいのは、この堀氏のように、自身は訓練し、意識し、自覚していても、決定権がなく、決定権を有する人が「事実」に基づかない判断をしていく場合に、自身に何ができるのかという問題かと。

そこはまた別の知恵が必要になるところなのかと。

これもまた、判決として判断をするのは裁判官という訴訟という舞台において、当事者代理人がどう、彼、彼女らを導くのかが別の問題ということと同じかなと。

見せ方、伝え方の問題。

思い返すと、小学生の頃はスパイに憧れ、中学生の頃は林真理子の「ルンルンを買ってお家に帰ろう」を読みコピーライターに憧れていた経緯からすると、今の仕事は、もう20年目ですが、やっていて飽きないなとつくづく思います。いつまで経っても、まだまだだと思えます。

久々に「外交談判法」を読み返すか。

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