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訳すことは聞くこと。

“yoshikoってあまり自分のことを話さないよね”
20年来の友人にこう言われたことがある。別に嫌味でも何でもなく、当時母親になったばかりの彼女は、自分のことを積極的に話すママ友が多かったらしく、私と会話をしながらふとこう思ったらしい。友達などといる時、聞き手に回りがちであることは事実だが、それでも彼女の言葉には結構ドキッとした。“あ、見透かされた”と。

自分について話さない理由はいたって簡単だ。自分の話やネタに自信がないからである。“こんなことを話して、相手は楽しめるだろうか?果たして聞きたいのだろうか?”と考えるうちにタイミングを逃し、話さずに終わってしまうことが多い。だから相手の話を聞くことに意識を向けてきた。今までブログを書いたことがない理由も同じだ。“私のこんな独り言、読みたい人はいるのだろうか?”と思うと、足がすくんでしまい、今まで何も発信できずににきた。(SNSは日記のような使い方なので別)

一方で、友人の言葉を受けて、なぜ自分にとって翻訳や通訳が心地いいのか理解することができた。翻訳や通訳は“私”を出す必要がないからである。翻訳・通訳は「聞くこと」が何よりもまず大事だと私は思っている。それはただ聞くという行為ではなく、耳を傾けること。私の仕事の場合は、脚本家、監督、役者、話者、製作陣などが、何を言おうとしているのか、何を伝えたいのか、なぜこの言葉を選んだのか、じっくりと耳を傾けて、それを汲み取った上で訳さなければならない。その作業に“私”はほぼ存在しない。自分の考えを挟んでしまうと、思い込みが生じ、勘違いや解釈ミスにつながるからである。自分を無にして相手の言葉を消化し、それを別の言語に置き換えてアウトプットしていく。その工程が私にとって何よりも楽しいのだと思う。

もちろんアウトプットする時は、それまでの知識や経験が大いにモノを言い、場合によっては個性が出ることもある。翻訳・通訳というと、世間ではこちらがクローズアップされがちだ。しかし「聞くこと」ができるかによって、訳の内容も大きく変わってくる。翻訳者・通訳者にとっては当たり前のことだが、一般的にはあまり気づかれていない点のように感じる。

ということで、自分の弱点を活かせる仕事に出会えたことは幸せなのかもしれない。でも自分のことを知ってもらう機会を自ら奪うのも勿体ないので、友人の言葉以来、勇気を振り絞ってできるだけ発言するように努力しているのであった…。

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