バレエ小説❤️グランジュッテ その3

「頑張っておいでね!」
「はーい!行ってきまーす!今出来なかったから、帰ったら甲出しするね!」
「行ってきますのハグは?」そう言われて凜は急いでママのところに行ってママにギュッと抱きつき、キスをしてから家を出た。
 バレエ教室までは歩いても5分程度。雨の日も、風の強い日も、雪の日もほとんど休まずに通い続けている。バレエのおかげか、風邪もほとんど引かない。季節の変わり目にたまに喘息咳が出て、小さい頃は悪化してママかパパが子供準夜間病院に連れて行ってくれる事がよくあったけど、今は割と軽い発作で収まる事が多いから、喘息が出た時は自宅吸入でどうにか過ごす事ができている。
バレエ教室では既に前のクラスが行われていて、ナナ先生の明るい声がスタジオ中に響き渡っていた。スタジオに着いて着替えてから最初に凜がやることは腹筋。息を吐きながら起きてきて、寝ながら息を吸う。ずっとおへその辺りを見ながらそれを10秒ずつかけて10セット行う。それだけで結構お腹が痛くなってくるし、最近では腹筋が割れてきたのを鏡で見て分かるようになってきた。
 自分の体の変化が凜は嬉しかった。小さい頃はぽっちゃりしていたけれど、本気でバレエに取り組むようになってから徐々に体つきが絞まってきてバレリーナの体形に近づいているように感じた。やればやるほど体が絞まって、動きやすくなるし、基本のポジションが入りやすくなっていくのを感じた。腹筋だってサッカーをやっている男の子に負けないくらい割れていた。同級生の子たちが男の子に興味が出たり、近所に遊びに行く話をしていてもちっとも羨ましいと思わなかった。遊びに行く時間があればバレエが上手になるような事だけをしたかった。見た目には気を配るようになったけれど、それもバレエのため。
ナナ先生が
「バレエは舞台から人に見てもらって感動してもらうものだから、髪の毛ぼさぼさ頭だったり、ガサツだったりしたら見ている人が気分悪くなるし、誰も観たくないでしょう。だから、自分を美しく見せる努力をしなさい!」
としょっちゅう言っていた。
 凜が腹筋を終わらせる頃、同じレッスンを受ける子たちが続々と入ってきた。凜はいつもレッスンの30分前には来て準備をする。できるだけ多くの時間をスタジオで過ごした方が得るものが多いと感じているから。先生が話すことはきっと無駄なことはないと信じているものの、ナナ先生はしょっちゅう冗談交じりの話をねじ込んでくる。それで、凜も訝しがったり、苦笑いせざるを得ないことが多々あるのだけれど、先生はお構いなしだ。
「凛ちゃん、ちょっとこっち来て!」
 突然先生が凜の名前を呼んだ。背筋しながら自分と向き合っていたものだからちょっと慌てて立ち上がって先生の傍に駆け寄った。
「ちょっとアラベスクしてみて。」
「はい。」小さな子たちが皆、一斉に凜を見つめる。中には憧れの表情で見る子もいるの視線から感じられた。
「みんなよく見てね!凜ちゃんのアラベスク、どこから足が出ている?」
一斉に手が上がる。
「背中!」
「そうだね、でもみんなの足は背中じゃなくて、わき腹の横から、横から出てますけど?」
 先生の言葉に心当たりがあるというような渋い表情をしながら顔を見合わせる子たち、自分でもやってみようとバーに付いてアラベスクを一所懸命にやってみる子たち。凜を囲んでいた円が崩れて元のバーの列に戻るのと同時に先生は凜に戻っていいよと促した。
 この、プチクラスにいる年長から4 年生の子たちにとって凜は憧れの存在だった。5 年生なのに、大きなお姉さんの様に何でも出来る凜を小さな子たちはいつも目標にしていた。
ママたちの中にも
「凜ちゃんの様に上手になったらいいね。」
と言っている声を何度となく耳にした。それでも凜は、まだまだできない事が多すぎるのを感じていた。
先月初めて行ったユースアメリカグランプリ(YAGP )の日本予選。それは凜にとって今までの人生の中で一番大きな経験だった。日本トップクラスの本気でプロのダンサーを目指している同年代の子達がここでの上位やスカラシップの取得を目指してやってくる。その子達の筋肉の付き方、外国の先生方との接し方、積極的に自分をアピールする力、何もかも凜には持っていないものだった。顔つきも違ったし、歩いているだけで存在感がある、と凜は感じた。それと同時に、そういう雰囲気を醸し出す子達に限って見たこともないくらいレッスン前の筋トレやストレッチを黙々と行う様子がストイックだったし、レッスン中に与えられるアンシェヌマン(先生がその場で与える振り)の難しい動きも軽々とこなしていた。それに、それまで凜がやったことがなかった分野のコンテンポラリーというクラシックバレエとは全く違う、自由な動きや柔軟性を要求される踊りを軽やか、かつダイナミックに踊っている同年代の子たちに衝撃を受けた。それまでの凜は井の中の蛙。小さいコンクールでは奨励賞や優秀賞をもらったりすることはあったけれど、このコンクールは違った。
 ママと離れて先生と二人だけで尼崎まで行って過ごした1週間の充実ぶりと言ったらそれまでの数年間よりも濃いように感じられた。凜が変わったのはそれからだった。何もかも、このままじゃダメだと感じた。自分が変わらなくてはならないと。
ナナ先生には
「トウシューズって本当はまだ10歳じゃ早いんだけど、日本の場合仕方ないのよね。この歳で履いておかないと、コンクールに出るには遅すぎるから。」
と言われて履き始めた。ましてや11 歳でパドドゥクラスなんて早すぎるけれど、体感を鍛え、軸を感じるためには適していると言われてお姉さんたちに交じってやらせてもらっている。

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